国際芸術祭『あいち2022』に自身のサバイバル登山を再現する作品を出展した服部文祥さんが熱く語る、「冒険はアートだ!」
探検家・関野吉晴さんが、時代に風穴を開けるような「現代の冒険者たち」に会いに行き、徹底的に話を訊き、現代における冒険の存在意義を問い直す──BE-PAL2月号掲載の連載第19回目は、サバイバル登山(可能な限り装備をシンプルにして食料と燃料を山の中で調達しながら行なう山旅)を着想・実践する服部文祥さんです。
「冒険とアートは、どちらも表現であり、常識や体制といった既存の枠からはみ出る点でも共通する」と考える関野さんが、実際にアートフェスティバルに“登山“を出展した服部さんに、「なぜ出展したのか?」と問い、真意に迫ります。その対談の一部をご紹介します。
関野吉晴/せきの・よしはる
1949年東京都生まれ。探検家、医師、武蔵野美術大学名誉教授(文化人類学)。一橋大学在学中に探検部を創設し、アマゾン川源流などでの長期滞在、「グレートジャーニー」、日本列島にやってきた人びとのルートを辿る「新グレートジャーニー」などの探検を行なう。
服部文祥/はっとり・ぶんしょう
1969年神奈川島県生まれ。登山家、作家、山岳雑誌『岳人』編集者。1996年K2登頂。その他、冬の黒部などで複数の初登攀記録を持つ。1999年にサバイバル登山を始める。昨年、国際芸術祭『あいち2022』に登山活動を題材にした作品を出展。
人間はこんなこともできるんだというかっこよさを表現したい
関野 服部さんは表現者として書くことを大切にされていますよね。
服部 じつは、山を始める前の中学・高校のころから作家になりたかったんです。芥川龍之介の『地獄変』を読んで、「かっこいいな。俺もこういうのを書きたいな」と。
関野 いまは登山そのものでも表現者になっていて、さらにその登山表現をアートとして国際芸術祭「あいち2022」に出展されました。なぜ出展したのですか?
服部 「登山は身体表現。広い意味でアートである。登山はアートなのだ!」と大風呂敷を広げていたら、「じゃあ出てみろよ」と挑発されまして、一緒に活動している写真家の石川竜一君と組んで出展することにしたんです。もともと僕は登山界でキワモノと思われていて、そのキワモノ感に磨きがかかる心配もなくはなかったのですが(笑)、出なければいけないと思いました。というのも、国を背負ってヒマラヤに登る時代も、企業が宣伝のために登山のスポンサーになる時代も過去のもので、個人のリクリエーションの場となった現代の山は人間の野望の対象ではなくなってしまったからです。
関野 登山の最前線が停滞しているということですか?
服部 はい。そこで登山がアートの仲間入りをすれば、アートが登山の動機・スポンサーとなり、登山の可能性が広がるのではないかと考えたんです。問題はいったい何を会場に展示するかです。登山や冒険は、同じ身体表現のダンスなどとは違って人前でできないので、そもそも展示と相性が良くありません。僕たちは山旅を再現することにしました。
関野 どのように再現したのですか?
服部 ふたりで北海道渡島半島にサバイバル登山に行き、1か月間、シカを撃ったり魚を釣ったりしながら旅をしました。そのときの写真や食ったシカの頭骨や皮、文字表現として作った冊子などを作品として提示しました。さらに、旅の途中で焚き火を囲みながら語り合った声や、自然の音、シカの内臓を取り出すときの音などを録ってきて、「サバイバルラジオ」と名付けて会場で流しました。
この続きは、発売中のBE-PAL2月号に掲載!
公式YouTubeで対談の一部を配信中!
以下の動画で、誌面に掲載しきれなかったこぼれ話をお楽しみください。