で、ナラ枯れ問題には複雑な背景があることはおわかりになられたと思う。今まで僕たちは必要以上に森を神聖視したり、メルヘン的に見ていたのかもしれない。森ってなんだ? もう一度学ぼう。
教えてくれた人
神戸大学名誉教授 黒田慶子さん
Q1 「森」の呼び名が多すぎてわかりません
私たち研究者は、科学的な話をするときは森林、あるいは○○林という言葉を使います。森林科学(林学)では、人間による伐採が行なわれていない森を原生林、伐採を受けた後に育った森を二次林と呼びます。現在の日本の原生林は森林面積の1%前後とされています。原生林と思われてきたところでも、じつは過去に人の手の入った二次林であることが多いものです。
人工林、天然林という言葉もあります。林野庁は建築材になる針葉樹を植えた森林を人工林と呼び、それ以外の森林を天然林としています。ただ、この定義だと薪炭生産のため人為的に管理されたコナラやクヌギの森林、いわゆる里山の広葉樹林も天然林になってしまいます。天然林という言葉は原生林と混同されやすく、森林に関する科学的な議論をするときは不向きです。自然林という言葉もありますが、こちらはもっと抽象的です。
樹種構成を元にした落葉広葉樹林、常緑広葉樹林という呼び名もあります。常緑広葉樹林は葉が堅く光を反射する樹種が多いことから照葉樹林とも呼ばれます。
人が使っていない森はほとんどない
Q2 木を伐ることは自然破壊なのでは?
日本の森林のほとんどは伐採歴のある林です。つまり私たちが森と呼ぶ空間は人の手が加わった結果でき上がった自然です。落葉広葉樹からなる里山は生物多様性が豊かだといわれますが、薪炭生産のため定期的に木を伐ってできた代表的な二次林です。地表に光がよく入ることで、たくさんの草花が咲き虫も来るようになりました。
毎年順繰りに伐っていくと、樹種は同じでもさまざまな年齢構成の空間になります。伐ったばかりの区画には草原性のチョウが、木が十分に茂った区画には森林性のチョウがくるといった感じです。これが森林の本来の姿ですので、木を伐ること自体は自然破壊になりません。
伐って育ててお金にする。それが里山
Q3 人が手を加えなければ元の自然に還るだけでは?
植生遷移と極相林という言葉を聞いたことのある方もいらっしゃると思います。遷移とは植物の種類が環境の変化に応じて移り変わっていくことで、極相はその変化が最後に到達する植生(植物の構成)を指します。人が手を加えできたのが日本の多くの森林なので、手を加えることをやめれば再び遷移が始まります。
また、大木が集団で枯れると自然の遷移とは異なる樹種構成に変化します。ときどき「数百年後には原生林に戻る」と書かれた記事を見ることがあります。Q1の回答にも示しましたが、原生林は人間が伐ったことのない森林のことですから、まず言葉の使い方として誤り。数百年後のうちには極相を迎えるのは確かですが、極相は「最終段階」という状態を指す言葉であり、元の自然に還るという意味ではありません。将来もとりあえず森があればよいだろうではなく、後世にどのような森(自然)を渡すかが私たちの責任です。
大きな木ほど大事にというのはまちがい
Q4 どんなふうに伐るのが良いのでしょうか
今あちこちで問題になっているのは元薪炭林だった里山に広がっているナラ枯れなので、これを前提にお話しします。私は被害がある、被害がない、ブナ科であるかどうかに関わらず、生えている木は5~10アールくらいの小面積単位で順次皆伐してくださいとお願いしています。
これは林の若返りを図り元気な里山に戻すための処方です。カシナガは大径木ほど繁殖できます。伐採はカシナガの生息を減らす策ですが、健全木もあえて伐るのは、明るい環境にならないと、生きている切り株から再び出た芽が育たないからです。光を奪う大きな木は萌芽再生を阻害しますので、抜き切りではなく小面積皆伐が肝心です。生態系を豊かに保つにはまず林全体を健康に戻すことです。
Q5 ナラ枯れが起きたらどう対処する?
伐採は必ず冬のうちに行ないます。被害木の伐採は殺虫のための対策です。カシナガの幼虫はまだ木の中にいるので、春の前に玉切りして割って材を乾燥させると、生き残る幼虫は減ります。その場で乾かせば、完ぺきではないものの感染源になる心配が減るので、秋には持ち帰って薪ストーブに利用できます。
被害木はキノコ栽培にも適しています。菌糸の伸長がよくたくさん収穫できます。キノコの種駒を打ち込むとカシナガの幼虫が食べる菌(ナラ菌ではない)が負け、幼虫は餓死しやすくなります。ただし栽培は必ずその伐採地で行ない原木を外へ持ち出さないでください。薪やキノコ栽培への活用は、カシナガ幼虫を全滅させる方法というわけではありません。
Q6 私たちが森に対してできることは何ですか?
まずは自分たちが望む森林像をもう一度整理することです。公園的な管理がされている元里山が、木はなるべく伐らないという方針の観察保全林になっているのが気になります。国立公園的な保全を里山でも行なおうとすることにそもそも無理があります。資源であることを認識しないと管理は持続できません。
愛でるだけの里山を税金で維持することは、長期的にみると困難です。もう一度お金を生む場に戻すことが大切です。樹木は最も優れた再生可能資源だということを忘れてはいけません。また森林がすばらしい体験の場になりうることは、アウトドアを楽しむ方ならよくご存じのはずですし、海外の植物愛好家から見ると、日本の里山は憧れの存在です。歴史の中で育まれてきたその循環システムは、サステナブルツーリズムとしても大きな可能性を秘めています。
※構成/鹿熊 勤 写真/黒田慶子、矢島慎一、鹿熊 勤 図版提供/黒田慶子
(BE-PAL 2023年2月号より)