【その先のアパラチアン・トレイルへVol.12】
僕は、前日昼過ぎに、インターナショナル・アパラチアン・トレイルのゴール手前約4kmの、カタディン・ブルックというシェルターに泊まることにしました。
インターナショナル・アパラチアン・トレイルのゴールからは、マウントカタディン山麓に続く道までの10kmほどを歩きます。
ヒッチハイクをしなくてはいけないのです。
もし、ヒッチハイクが出来ず、バクスター州立公園内に泊まる場合、指定のキャンプサイトで許可書を取ってキャンプをしなくちゃいけません。
つまり、許可証がないといけないということです。事前に調べると、なぜかすべてのキャンプサイトが2週間ほどほぼ空きがありません。
おそらくウォークインの許可書もあると思うのですが、安全策を取って、手前で宿泊し、翌日朝早くにゴール。そしてヒッチハイクポイントを探すのが、ベストだと考えました。
本来、このエリアのダートロードは、車の侵入が禁止されており、人の姿を見かけることがありません。
しかし、なぜか多くの人々がダートロードを歩いていました。シェルターにいる僕に気が付いて話しかけてくる人も何人かいました。
なぜだろうかと思って聞いてみると、どうやらバクスター州立公園が僕が到着する3日前にこの場所がナショナルモニュメントに昇格し、国立公園局の管理に変わったとのことでした。
「おめでとう! ナショナルモニュメント昇格後初のインターナショナル・アパラチアン・トレイルハイカーだね」
と言われ、そこで初めてキャンプサイトに予約の空きが無かった理由がわかりました。そんな記念すべき瞬間だったのにも関わらず、僕の気持ちは複雑でした。
こんなに高まらない最後の夜は、トレイルを歩いて初めてだったかもしれません。
翌日、小一時間程でゴールにたどり着くと、そこには特別な景色もなく、ダートロードの脇にただの案内板のような看板があるだけでした。
このとき僕は、ゴールに対しての感動も、喜びも、気持ちの高ぶりすらありませんでした。
ゴールというよりは、「ここで終わりなんだ」ただ、そんな風に感じただけでした。
〇ATロッジ&ミリノキット
ATロッジのある古い町並みは、11年前とずいぶん変わり、閉店している店も多くあった。小さな食材店は近くにあったが、スーパーマーケットや薬局やファーストフード店が立ち並ぶ、ハンナフォードまでは約3.4km離れている。
バクスター州立公園へのアクセスポイントの町になる。
現在、ATロッジでは、ミニショップを併設しており、アウトドアギヤ・簡単なアパラチアン・トレイルのお土産などもここで買える。
シャトルサービスもあり、マウントカタディンストリームキャンプ(マウントカタディンへのアクセスポイント)や、ミリノキットから、最寄りのアクセスポイントバンゴーのバス停まで行ける有料の送迎サービスなども行なっている。
ATロッジ
少し寂しくなったミリノキット
ミリノケットに出来るナショナルモニュメントの事務所
インターナショナル・アパラチアン・トレイル南のターミナル
11年ぶりのATロッジ。アパラチアントレイルのハイカーの多くは、このロッジに宿泊します。11年前とは街並みもATロッジもずいぶん変わっていました。
ホテルからホステルに変わり、部屋の壁もなくなり大部屋に。ショップも作られ、送迎サービス用の車もあり、驚くばかりでした。
足の痛みがあったのですが、どうしてもアイスクリームを食べたくて、3.2Km離れたハンナフォードへのハイウエイをひとりで歩いていきました。
帰り道に「日本人の方ですか?」と、不意に車の中から声をかけられました。
どうやら、こんな田舎町のハイウエイを人が歩いていること自体が珍しく、さらに日本人のような姿の僕が気になって声を掛けてくれたようでした。
お父さんのボブさんと、奥さんのサトエさんは、10年程前にボブさんの出身地であるミリノキットに家を構えたそうです。現在は、日本で暮らしていて、長期休暇があると年に数回訪れているんだそうです。
僕が、アパラチアン・トレイルを歩いてから11年。最近では日本人ハイカーもときどき歩いているようですが、この町で日本人に会ったのは、僕が初めてだったそうです。今回は、アメリカンスクールを卒業してアメリカの大学に入る、キャサリンさんの入学準備でミリノキットに滞在しているそうでした。どうりでキャサリンさんの日本語が、日本人と変わらないわけです。
うれしいことにご自宅にご招待頂いて、夕食をごちそうになることになりました。しかも、夕食は日本食です!
前日に食べるはずのからあげが、1日ずれたらしく、僕にとってありがたい限りでした。
サトエさん手作りの唐揚げ!
久々のご馳走です
ボブさんのお宅にて
ボブさんの友人宅にて
インターナショナル・アパラチアン・トレイルを終えて、複雑な心境だった僕には、ご褒美を頂いたような出会い……。
心が救われました。
そして、キャサリンさんからは、留学中に食べるはずの大切な日本食までいただけることに。翌日、キャサリンさんは入学手続きのため、ミリノキットを出発されるそうでした。
もし、バクスター州立公園が昇格しなかったら、僕がMtカタディンを目指したら、ひとつでも歯車が狂っていたら出会えませんでした。
きっと運命の導きが与えてくれた出会いなのだと思います。
ボブさん、サトエさん、サクラさん、キャサリンさん、見つけてくれてありがとうございました! あたたかいおもてなしに家族の一員になったような気がしました。
あの、からあげの味、忘れません。
そして、キャサリンさんの大学生活がすてきな時間になることを、心より祈っています。
ATロッジは、僕以外すべてアパラチアン・トレイルハイカーでしたが、ここでも驚く出会いがありました。
2012年のパシフィック・クレスト・トレイルのキックオフパーティーで出会ったハイカーとの偶然の出会いでした。彼女は今年、アパラチアン・トレイルのセクションハイクに来ていて、Mtカタディンへ行った際に滑落して骨折し、ATロッジに長期滞在をしていたのでした。
11年前、僕がATロッジを訪れた際も、怪我をして治療中の南向きのハイカーがいて仲良くなった記憶が蘇ります。
あの時あげた妹に貰ったお守りは、彼をスプリンガーマウンテンまで導いたのだろうか? と、ふと思ったのでした。
つづく
【Profile】斉藤正史
山形県在住
LONG TRAIL HIKER
NPO法人山形ロングトレイル理事
トレイルカルチャー普及のため国内外のトレイルを歩き、山形にトレイルを作る活動を行う。
ブログ http://longtrailhikermasa.blog.fc2.com/
山形ロングトレイル https://www.facebook.com/yamagatalongtrail