僕は、トレイル協会から台南副市長をご紹介いただき、除幕式の後のハイキングに通訳の方とともに歩きながら話をすることになりました。実は、台南市と山形市は友好姉妹都市になっており、僕は山形を拠点にしています。そのことを知った台南副市長が、トレイルを歩き終えたらぜひ台南市に来て、トレイルのお話をしてほしいとのことでした。
この後、昼食会場に移動し、なぜか僕は台南市政府の副市長や農業局長をはじめとした要人とともにテーブルを囲むことに。でも、まるで近所のおじさんやおばさんたちと話しているような和やかな食事会でした。昼食後は達邦部落の村長に、伝統的な村の集会場で達邦部落の歴史をお聞きし、日本統治時代の話も伺うことができました。きっと観光旅行で来ていたら知ることができなかったと思います。こちらのツアーに参加させていただいたことに感謝しました。
達邦部落出ると曲がりくねった山道に入り、長いドライブの末、山海圳国家緑道の拠点でもある大埔へ。大埔は、僕がトレイルを歩くときに宿泊する予定の場所で曾文水庫(ダム)の山側の町です。僕は、ここでテント泊をする予定だったので、朝ごはんの前にホテルを出て、隣にある公園を散策しましたが、直ぐに目的のキャンプ場を発見。4日後ぐらいにここへ歩いてくるんだと思うと、なんか不思議な感じがしました。朝食を食べ、バスに乗り込むと、後々トレイルを歩くときの参考とするため、窓の外の景色を眺めていました。
大埔の反対側、曾文水庫のセンターに着いてGPSをチェックすると、ここはまさにトレイルのルート上を示していました。ダムセンターの目の前の道を歩き、急な道路を下って行く道のりを歩くのかと考えながら、記念撮影の輪に入っていきました。曾文水庫は1967年に着工されたダムで、日本の鹿島建設が施工顧問を務めたそう。再びバスに乗り込み、ダムを南下しました。ちょうどこの辺りから嘉義市から台南市に変わる境目のようです。
ダムから少し南下すると、東口工作站へとバスは進みました。このルートもほぼ僕がトレイルで歩くことになる道のりでした。ガイドさんの話によると、東口工作站までの道の近くにキャンプ場があるという話でしたが、グーグルマップでは調べても閉鎖になっており、車中からキャンプ場を確認することはできませんでした。
東口工作站は日本統治時代に八田與一さんが、烏山頭ダムの水不足を解消するために、3.2kmの引水道を開いたそうです。トレイルは、その際に探索するために作られた道のようです。しかし、度々起こる災害のため、道は崩れ、次第に使われることがなくなっていったそうです。ただ、現在は山海圳国家緑道として整備されていて、東口工作站から西口工作站までを繋ぐ道がしっかりと作られていました。
バスは、東口から山道を抜け、西口工作站へと進みます。西口工作站もトレイルのポイントとなっているだけでなく、「天井漩渦」と呼ばれる特殊な景観は、観光地としても有名だそうです。曽文渓の水が東口工作站から隧道を通って、西口工作站へとむかい、「天井漩渦」で川に流れ込み、烏山頭烏山頭水庫へと流れていくのです。こちらも八田與一さんが日本統治時代に手がけた物になるそうです。
山海圳国家緑道のルートをなぞるように、バスは台南市へ、そして八田與一記念館へと入っていきました。昼食後、そのまま八田與一さんの銅像を見ながら彼の功績を聞きました。ガイドの方が当たり前に八田さんの功績を語り、感謝しているその姿に、名前すら知らなかったことを日本人として少し恥ずかしく思いました。
八田與一記念館を出ると、バスは台南市内へ進みました。僕は窓の外を注視しました。ここにはトレイルを歩く上で非常に重要な自転車屋さんが唯一ある場所。トレイル協会でも情報を持っていないそうで、僕もGoogle検索を駆使してようやく見つけたのでした。情報は古く、コロナの影響で現在営業しているか分からないのです。窓の外から見つけたその場所には、残念ながらお店があるようには見えませんでした。
さて、どうしようか。そう思っていると、バスは、町中を通る川のほとりに停められ、僕たちは川の脇を通る山海圳国家緑道のルートを歩くことになりました。5分ほど歩くと、30名ほどの小学生がルート上にある東屋の周辺に集まっています。そして、唐突に歓迎式が始まりました。僕たちは、小学生と交流し、名前入りの歓迎の色紙を1人ずつお子さんたちから渡され、握手をして記念撮影をすると、すぐにバスに戻って海尾朝皇宮という立派なお寺に移動しました。ここでも地元の方々の歓迎を受け、多くのお土産をいただくくことに。荷物をバスに置くと、ここからは自転車に乗って山海圳国家緑道の終点を目指すことになりました。
すでに、時刻は16時過ぎ。すっかりツアーで仲良くなった僕たちは、この数時間後にこの旅が終わることを感じることもないまま、並走しながら進みました。やがて住宅のあるエリアを通り抜け、川沿いにサイクリングロードを進みます。日が落ちかけたころ、僕たちは山海圳国家緑道の0m地点に到着。このツアーは、ハイキングツアーというよりは、山海圳国家緑道を駆け足で巡る国際交流の旅だったように思います。
最後に、台南市のレストランで「東香台菜海味料理」夕食(おいしかった!)。会食が終わったのが20時で、おそらく台北に着くのは23時を過ぎるだろうと思いました。僕はそれまでにもらったたくさんの土産を台湾のトレイル協会に預かってもらい、僕とワールドトレイルネットワークのアンドレアは、これから台北に帰る参加者と握手をして別れました。「MASA、仕事の連絡するよ!」モンゴルから来たアルタンサヤとはハグをして別れたのでした。
僕は、このまま明日から山海圳国家緑道へ。一方、アンドレアは阿里山に向かい、数日間トレイルを歩くそうです。今夜は、アンドレアと共に阿里山鉄道に勤める、嘉義市の明さんのお宅に泊めていただくことに。僕とアンドレは、トレイル協会が手配してくれた地元の方の車に乗せられました。
実は、僕は「アンドレアについていくといいよ」としか知らされていませんでした。車から降ろされたのは、台南市の駅。どうなっているのか全く理解できていませんでした。とりあえず、アンドレアと嘉義駅までの切符を買って列車に乗り込みました。車内ではアンドレアとトレイルの話をしていました。しかし、僕は「アンドレアは今夜どうするのだろう?僕は一緒に阿里山に行って宿を探すか」と考えを巡らせ、気が気ではない30分を過ごしたのでした。
台南市で下りて、アンドレアについていくと、トレイル会議で話した明さんが車で待っていました。このまま今夜は明さんのお宅に泊まり、翌朝、阿里山でアンドレアを降ろし、トレイルヘッドへ向かうことを知りました。一気に緊張感が消えてホッとする一方で、一気にトレイルモードへスイッチが変わるのを感じました。
明さんは、トレイル協会の面々に「MASAとアンドレアは疲れ切ってぐったりしている」とジョークでメールを送信。直ぐに明さん家族と一緒の写真を送って「楽しくやっているよ!」と伝えると、協会の方々は安心したそうです。
案内された明さんのお嬢さんがかつて使っていた部屋にはベットが1つ。僕は、アンドレアと顔を見合わせ、直ぐにバックパックから寝袋とエアマットを取り出しました。さすがに僕は、一緒に寝る感覚は持ち合わせていませんでした。
こうして会議からあわただしく過ぎた日々がようやく終わったのでした。さあ、いよいよ明日からトレイルだ!
次回は台湾の国家トレイルのひとつ「山海圳国家緑道」編です。