日本で唯一のプロハイカーとして、世界各国の数百kmから数千kmにおよぶロングトレイルを次々と踏破している斉藤正史さん。2022年12月から2023年1月には、1カ月以上かけて台湾を巡りました。そんな斉藤さんによる「台湾トレイル体験記」をお届けします。vol.3は、台湾の国家トレイルのひとつ「山海圳国家緑道」についてです。
山海圳国家緑道ってどんなトレイル?
今回、僕が歩く山海圳国家緑道とは、「源流と郷土をさかのぼる文化の道」として、徒歩、自転車、バス、など複数の交通手段を利用して、内海から台湾最高峰の玉山国立公園までたどることのできる道のりです。ルートは、台南市、嘉義県にまたがり4つの主要な文化圏を通ります。その中でも、山エリアは台湾の先住民族ツアオ族の集落を通ります。海抜0mから3,952までの道のり。まさに山から海までを歩きます。
ルートを歩く…その前に
今回の台湾行では、山海圳国家緑道を含め4つのルートを歩く計画を立てていましたので、時間的にも山から海へ下るルートを選択しました。山海圳国家緑道は、玉山3,952mから始まるのですが、この玉山はいわゆる国立公園で、歩くには許可書が必要になります。
ここで問題になるのは、許可書の取得。外国人には外国人用の許可書があり、入園と入山の2種類の書類が必要なのです。また、必ず台湾人のガイドを付けることとされているようです。個人でも申し込み出来るそうですが、一般的には旅行会社を通して取得するそう。4カ月前から申込み出来るそうですが、人気のあるエリアなので直ぐにいっぱいになってしまうそうです。詳しくは、台湾国立公園入園オンラインを。
トレイル閉鎖区間があるって?
早朝、明さんの運転する車で阿里山へ。玉山国立公園の境目、登山口から歩こうとしましたが、vol.2で触れたトレイルツアーでハイキングした古道は、現在閉鎖中だそう。ツアーの時は公式行事の除幕式があり一時的に開放していたそうです。明さんと地図を見ると、迂回路は全くなく、次の集落の達邦部落辺りまで行かないと歩き始められない様子でした。
思いがけず時間が出来た僕は、明さんの勧めもあり、アンドレアと共に、今回歩けない特富野部落と阿里山周辺の観光をしつつ、明さんの仕事のお手伝いとして、動画のインタュー撮影などもすることになりました。
暗く細い道と、重い空気
阿里山にある日本統治時代に作られた神社跡地や、台湾ヒノキを切り出すために作られた阿里山鉄道の歴史などを見ながら撮影は進みました。お昼が過ぎ、14時頃、現地を3人で目指しました。進み始めると、明さんにとっても初めて訪れる程の山道だったそうです。
細く、くねった山道。いくつも峠を越える。次第に辺りは暗くなり始めると、見覚えのある達邦部落に入った。ここからキャンプ場のある里佳部落までは、3時間位で歩けるのだが、夕暮れだし、里佳までは道路なのでキャンプ場まで送ってもらうことになりました。
さらに続く細い道路、明かりのない山道。どんどん暗くなっていく。明さんは「まだか?まだか?」とつぶやく。アンドレは、スマホのGPSでルートをチェックしていた。車内にはそれぞれが思う重い空気に支配されていきました。日が完全に落ちるころ、里佳部落へ着いたが、明かりは殆どありませんでした。
明さんは駐在所を見つけ、3人で一緒に向かいます。警官の方が居て明さんが事情を説明。電話を掛けててくれて、迎えに来てくれるキャンプ場がようやく見つかったのでした。すでにもう夜の7時をまわっていました。オーナーの安さんが迎えに来てくれて、3人でキャンプ場へ向かいました。もはや3人には深い絆があるように感じました。アンドレアと明さんは、僕の旅の無事を祈ってくれたのでした。
翻訳アプリって神!
テントを建て、シャワーを浴び、夕食の準備をしていると、安さんがやってきました。スマートフォンの画面には、「BBQご馳走するよ!」と書いてありました。そう、台湾では基本的に英語が通じません。もちろん日本語も。今回は、翻訳アプリを使いながら会話するつもりでいたので、台湾のSIMを準備していました。
そして、ここから安さんと僕の2時間あまりに渡る、翻訳アプリでの会話が始まったのでした。安さんは、先住民族、ツォウ族だそうで、おじいさんが日本の警察に勤めていたと翻訳アプリに書いてありました。現在は忘れてしまったが、安さんも小さい頃おじいさんに日本語を教えてもらったことがあったそうです。
翌日、安さんと一緒にトレイルを歩き、集落の切れ目で手を振って別れました。こうして、僕の山海圳国家緑道の道のりは始まったのでした。安さんと別れ、僕はトレイルを進みます。一度だけロストしたが、ルートは山エリアの狭い舗装路を歩き、古道ルートが次々に続いていく。巨石坂歩道辺りから一気に下る古道は、なんと標高差約500mの道の一気くだり、まだトレイル初日で、ハイカーとして歩く筋肉が全くできていない僕にとって、逆ルートで歩いていたらと考えるとぞっとした。観光に特化した達娜伊谷集落を抜け、宿泊予定地の新美部落に着いたのは夕方でした。
行く先々での大歓迎、その訳は?
新美部落に入ると、直ぐ入り口に食料品店を発見。気温が高く炭酸が欲しかったので、お店に入ってみました。新美部落にキャンプ場は見つけられなかったが、適当に宿がありそうだったので、その辺で泊まる計画を立てていました。もちろんお店では、英語も通じません。翻訳アプリでキャンプ場か安宿を探していますと話しかけると、「君はここに出ている人?」と翻訳アプリに書いてあった。覗き込むと、昨日お世話になった安さんのフェイスブックにテントを立てている僕の写真が載っていたのでした。
この日を含め、茶山部落、大埔までの各部落では、安さんのフェイスブックを見た方々に声を掛けられ、ご馳走を頂いたりする幸せな道のりとなったのでした。
大埔に着き、ツアーで泊まったホテルの脇を通り、後大埔露營區(無料のキャンプ場)に着くと、多くのキャンパーで賑わっていたのでした。この先から嘉義懸から台南市へと入り、ツォウ族のエリアから、シラヤ族のエリアへと進むことになります。
次回は「山海圳国家緑道」ゴール編です。