――ブラジルの農場に生まれ、パリに渡ってソルボンヌ大学で学び、写真家となったセバスチャン・リベイロ・サルガド。被写体と数か月同居して撮影するスタイルでアフリカの飢餓を撮った「SAHEL(サヘル)」、集団的肉体労働者を取材した「人間の大地 労働」等の写真集や展覧会を発表し、世界各地で50以上の賞を受賞した彼の生きざまと創作の秘密に迫るドキュメンタリー映画『セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター』。ヴィム・ヴェンダースと共同監督を務めたセバスチャンの長男、ジュリアーノ・リベイロ・サルガドが来日した。なぜこの映画を撮ろうと思ったのだろう?
サルガド 父は写真を撮ることで世界を理解しようとし、その写真を通して、人間について世界について理解してほしいと世界に投げかけました。そんな偉大なアーティストである父サルガドを映画にしようと思ったのです。世界的な巨匠であるヴェンダースが参加したことで第三者の視点が加わりました。彼は父へのインタビューを担当しましたが、小さなスタジオに二人でこもり、周囲を黒い幕で囲んで親密な空気を作って過去の写真を見ていきました。すると父はカメラ前である事を忘れて自身の写真と対峙し、そこへ入りこんでいった。このシンプルな設定はヴェンダースの”発明”だったと思います。彼はとても知的で仕事が早い。彼との仕事で、映画というのはつくり始めたらどんな困難があっても 終わらせなければならない、そんな教訓を得ました。
――セバスチャンの取材旅行にたびたび同行したそうですが?
サルガド パプアニューギニアでのことです。街から3時間ほど飛行機に乗り、2日間歩いてたどり着いた小さな村で耕作する二人の住民と出会いました。父はデジカメで撮った写真を”ほら君だよ”と見せたりして、10分も経たないうちに親密な関係を築いた。それを見て、こんなふうに旅をしてきたんだ! と実感したのです。父は撮りたいものと確かな関係を築くのが大事だと言います、それが動物でも風景でも。そうして撮影した映像は撮られた対象より、それを撮った人間そのものについて語るとも言います。アマゾンのゾエ族のもとに一か月滞在したときには、父との関係が修復されました。私の撮影した映像を観て「お前が何を考え、何を感じていたか? すべてが分かる」と感動してくれた。 そのことが私の心を打ちました。
――素顔のセバスチャンは、どんな父親でしたか?
サルガド 父との最初の思い出は現像液の匂いが漂う暗室の暗闇で、写真が徐々に像をむすぶのを一緒に見ていたことです。いつでも旅をしていて不在でしたが、必ず帰ってきて、その経験を分かち合ってくれました。そんな話を聞くのは本当に楽しかったし、私の回りにはない広い世界の存在を示してくれた。でも…いつでも不在は不在でしたが(笑)。
――映画の後半、セバスチャンが多くの旅を経たあとで故郷に戻り、森林再生事業を始めたことが描かれますね?
サルガド 97年くらいから、最初は家の周りに数本を植樹する程度でした。それが今日までに250万本の木が植えられ、今後2500万本を植えようという壮大な計画になっています。死にかけていた土地は息を吹き返し、経済的社会的に立ち直り始めています。母が言いだしっぺで始めたことですが、理想的な夫婦の共同作業だなと。希望を失わずに試みればきっとカタチになるし、そういう可能性を誰もが持っている。そうした大きなメッセージをこの映画に込められたこと、人類の希望につながる映画を監督出来たことは、私にとって大きな喜びなのです。
ジュリアーノ・リベイロ・サルガド
1974年パリ生まれ。96年アンゴラの対人地雷を題材にした初のドキュメンタリー『Suzana』を製作。ニュース番組に携わり、短編映画やドキュメンタリーを製作してきた。現在、初の劇場用映画を準備中。
『セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター』
監督:ヴィム・ヴェンダース、ジュリアーノ・リベイロ・サルガド
プロデューサー:デヴィッド・ロジエール
エグゼクティブプロデューサー:ヴィム・ヴェンダース
撮影:ヒューゴ・バルビエ、ジュリアーノ・リベイロ・サルガド
音楽:ローラン・プティガン
2014年/フランス・ブラジル・イタリア/110分/DCP/カラー/
原題:The Salt of TheEarth/
配給:RESPECT(レスペ)×トランスフォーマー
8/1~Bunkamuraル・シネマほか全国ロードショー
©Sebastião Salgado ©Donata Wenders
©Sara Rangel ©Juliano Ribeiro Salgado
文/浅見祥子