島の魅力や課題を独自の目線で深掘りし、島旅好きをはじめ島民や行政からも信頼を得ているメディアが日本唯一の有人離島専門フリーペーパー『季刊ritokei』だ。NPO法人離島経済新聞社 代表理事・統括編集長 鯨本あつこさんにインタビュー。
お金は介在しないけど、島には大切な宝物がたくさんある。紙名に込めた意味は経世済民です
離島の情報といえば、隠れた名品を取り上げるにしても歴史や文化を掘り下げるにしても、島外にいる潜在的な旅行者に向けた発信だった。
近年の離島情報は様変わりしてきている。旅へいざなう情報だけでなく、過疎や教育など島が抱える今日的課題に島民目線で向き合う記事が増えてきた。島に対するまなざしをそうした方向に導いてきたキーパーソンが、NPO法人離島経済新聞社の鯨本あつこさんだ。
──『季刊ritokei』はどこで入手できますか。
「全国約1200か所に置いていただいています。港、空港、飲食店や宿泊施設、公共施設や企業のオープンスペースなどいろいろです。サポーター会員に登録いただいた方には、毎号自宅へお届けしていますし、ウェブでも読むことができます」
──島の魅力を紹介するメディアの中でもritokeiは切り口が違うように思います。創刊の経緯から聞かせてください。
「私は専門学校卒業後に福岡のローカルファッション誌の編集者になり、イラストの勉強をするため20代のときに東京へ出ました。学校は夜だったので定時に終わる編集関連の派遣先を探していたら、唯一あった求人が週刊東洋経済でした。面接を受け、広告ディレクターとして働くことになりました。
ちょうどベンチャーが注目され始めたころで、誌面にはかっこいい若手社長もたくさん取り上げられていました。起業も面白い生き方だなと思い、当時世田谷区にあったIID世田谷ものづくり学校の社会人スクールに通うことにしたのです。
20人くらいで毎週土曜日に創造的なテーマでさまざまなディスカッションをし、終わると飲みに行く。その飲み会にいつも最後まで残っているメンバーが私を含む4人でした。みんな編集者とかアートディレクターで、一緒にメディアを作ろうと意気投合したのです」
──離島情報を扱うという方向性は決まっていたのですか。
「地域に埋もれている良いものを発掘するメディアという以外は決まっていませんでした。伝統文化に光を当てるといったアイデアも出たのですが、すでにたくさんあるよねという話になって。そうこうするうち、別の仲間が瀬戸内海の大崎上島に移住したので、みんなで遊びに行くことになったのです。
島に着いてまず驚いたのは、看板がないことでした。そのうち向こうから中学生が来て、こんにちはと元気に挨拶していきました。これにも驚きました。私も田舎の出身なのでそういう感覚はあったんですけど、福岡の繁華街や東京で暮らすうちに忘れてしまっていたんです。
看板がない風景だとか、子どもが知らない大人に元気に挨拶をするようなことが、なんだかとても大事なことに思えてきました。こういう感覚はなかなか言語化できないけれど、なんかいいよねという話になって。
次の日はランチBBQに誘われました。おじさんたちが昼からビールを飲んで幸せそうにしていました。ひとりのおじさんに、この島のことを教えてくださいとお願いすると、しみじみと“この島は宝物なんだよ”とおっしゃるのです。
一方でそのおじさんは、自分が感じている島の魅力が島外の人になかなかわかってもらえないことを残念がっていて。そうした会話がきっかけで、じゃあ島のメディアはどうだろうという話になったのです」
子どもが旅人に挨拶をする。こういう習慣こそが島の誇り
──ritokeiは離島経済新聞社の略称ですが、東洋経済をもじった名前ですか?
「経済雑誌で働いている人間が離島のメディアを作る。観光だけでなく、営みや生き方を含めた宝を掘り下げていくのだから、離島経済新聞社がいいんじゃないかと盛り上がって(笑)。略称のリトケイも呼びやすいよね、ということになりました。
経済というと、お金がぐるぐる回るような金融経済を想像しがちですが、経済の語源は経世済民です。世の中をよく治めて人々を苦しみから救うという意味。お金は介在しないけれど、大切な役割を果たしているものが島にはたくさんあります。それも広い意味では経済です。
ですから、ritokeiは離島の営みを支えている大切なものを紹介するメディアです、といういい方をしています」
──経済の本質に迫り、それを発信したいということですね。
「大きな経済が良いとされる社会の中で、可視化されにくい小さなものの価値を肯定的にとらえたいという思いがありました。じつは離島という言葉に差別感を覚えるという方も少なくありません。島から離れているのはそっち(本土)の意識のほうではないか、とおっしゃる人もいます。でも、離島という言葉は離島振興法ができて広がった法律用語で、島嶼部の課題を照らし続けてきた言葉でもあるわけです。
私たちは2010年にたまたま大崎上島に行って離島という言葉に出会ったわけですが、むしろかっこよい響きを感じました。離れていたり小さかったりバラバラだったりすることも肯定したい。捉え方によっては魅力だらけです。私たちが取り上げることは島の人たちには日常的なことだけど、誇りにも思える。そういうことが再認識できるメディアでありたいと模索を続けてきました」
──この『田舎賢人!』というインタビューも田舎という言葉を肯定的に位置づけています。
「私自身、18歳までは早く日田の田舎を出てやろうと思っていたのですけど、大崎上島で“この島は宝物”という言葉を聞いて意識が180度変わりました。とはいえ、離島は人が減っています。おばあちゃんたちが魚を干しているような日々の穏やかな情景や、体にいい農産物や喜んでもらえる加工品を作っています、みたいな温かな話も、都会発の派手なニュースの前にはかき消されてしまいます。
それぞれの離島が自分たちの力だけで取り組みをPRしても、なかなか届きにくい。けれど、日本には有人離島が約400あって、人口は合わせると100万人になります。そういった島々の情報をritokeiがすくい上げていくことで連携効果のような発信力が生まれます。自分たちは孤立していないということを感じてもらえますし、場所は離れていても情報共有ができるので、良いアイデアも一気に広まります」
──島の宝物の価値はどのような軸で評価するのですか。
「最初の数号は、離島に興味を持ったばかりの私たちの好奇心のようなものが前面に出ていました。音楽とか、食とか、働くこととか。今思えばライトでした。そのうち、音楽を切り口にする場合もただの紹介でなく、音楽を通じて島の良さやそこにあるものの価値を伝えることにフォーカスの方法を変えました。
記事の深度は増しました。しかし、島の人と向き合い続けると、離島の置かれた現実を否応なく知らされます。人口減少の問題とか、学校の問題とか。
そうした課題を共有したり、解決のヒントにつながる内容が望まれているのではないかと感じるようになりました。今は40号を過ぎたところですが、20号あたりから編集方針の舵を大きく切ったのです。スタート時は株式会社でしたが、2014年からはNPO法人に変えました」
──それはなぜですか。
「私たち自身も地域振興のお手伝いがしたい。情報発信と並行して島を元気にするために必要なこと全般を仕事にしていくことにしたのです。ritokeiを読んでくださる方々にも熱心な島のファンや出身者がいて、できることがあれば協力をしたいと思ってくださっている。行政もいろいろと悩んでいる。連携を深めるには特定非営利活動法人(NPO法人)のほうがやりやすいと考えました」
──最近は持続可能性をテーマにした特集が多いですね。
「私たちのメディアの土台は何かというと、島という土地なのですね。経済でも健康・医療でも、教育でもない。しかし、いずれのテーマも人が島で暮らすうえでは欠かすことができません。島という土地に関するあらゆるテーマを包括しているので方針の示し方が難しかったのですが、SDGsという言葉が登場しました。島の素敵な営みがずっと続くようにするにはどうすればいいか。そうした問いかけをするとき、持続可能性という言葉を使うと伝わりやすいことに気づいたのです。
最初に特集した社会問題は海ごみです。2019年でした。海ごみ問題の難しさは出口が見つからないことです。島に漂着したごみは島の人が出したものではありません。それを島の人が時間とお金をかけて拾い集め、本土の処理場まで船で送っているのが実情です」
──おかしな話ですね。
「とはいえ、海ごみは誰もが被害者であり加害者です。日本から流れ出たごみも海外に漂着しています。つまり島の海ごみ問題は世界の縮図。そのことがよく見える島は、多様な主体者…企業や大学、環境団体にも関わってもらいやすくなります」
万単位のフォロワーよりも、喜怒哀楽を共にした仲間が大切
──近年の特集タイトルを見ると、難しいテーマに挑み続けているなという感じがします。
「2022年夏号では『島のシマ』というタイトルで地域共同体を特集しました。霊長類学者の山極寿一さんにもインタビューに登場していただき、人間が信頼関係を結べる人数は150人くらいが限度であることを教えていただきました。SNSで何十万人とつながっていても、実際に困ったことに陥ったとき助けに応えてくれるのは、過去に喜怒哀楽を共にした人たち。共同体も150人くらいがちょうどいいというのです。つまり人口が少ないことは悪いことばかりではない。信頼関係人口は、観光のあり方などを考えるうえでも非常に重要になるという示唆もいただきました」
──今後、力を入れたいことはなんですか。
「離島留学ですね。都市部の養育環境もじつは大きな社会課題だと思っています。子どもたちが知らない大人にも元気に挨拶するのが島ですが、都会の子どもたちは知らない大人と話をしてはいけないと教えられます。
都会という場所の限界だと思うのです。島には人間本来のコミュニケーション能力を育てる力があります。生きるための力やセンス・オブ・ワンダーを磨いてくれる資源もあります。
離島留学を受け入れている学校は100校ほどありますが、課題も山積みです。運営をサポートしながら、島の素敵な養育環境について都市側にもどんどん発信していくつもりです」
島の豊かな自然は大きな可能性。アウトドアで子どもを元気に!
アウトドア派にとって離島は旅先というよりはフィールドそのもの。その魅力は、昔からの姿をほどよくとどめているレベルの高い自然だ。こうした離島の自然は学びの力も秘める。たとえば愛知県佐久島にある自然学校『根っこを育む自然塾』は、釣り塾(写真)や、親子が対象のひと昔前の暮らし体験、子どもたちだけの無人島キャンプなど多彩なプログラムを用意している。いずれもオンシーズンはすぐ申し込み定員に達してしまうほどの人気ぶりだ。
代表の谷英樹さんによると、根っことは生き抜く力の根幹という意味だそうだ。島には自然だけでなく本土が捨て去ってしまった生きるための知恵が残る。釣りのやり方もそうだし、刃物を使うことや火をおこし釜でご飯を炊く方法も先人が残してくれた知恵だ。助け合って事に当たることもじつは生存技術のひとつ。キャンプでは子どもたちの自主性を尊重し、ぎりぎりのところまで判断を見守るという。こうした離島の自然体験には、不便の中にある豊かさを理解する感性を養ったり、社会に出て困難に遭遇したりしたとき、その荒波を自分で乗り越えるたくましさを育てる力があるという。
鯨本あつこ流・離島の応援につながる3つのアクション
1 お気に入りの産品があったら小さな散財をぜひ景気よく
島産品にお気に入りを見つけたら、小さな散財をぜひ景気よく。ふるさと納税も、使途目的を選択すればより明確な支援ができる。
2 たとえば漁協のLINEをフォローしてみる
たとえば漁協など島のLINEをフォローすると、不定期にレアな情報が届く。どこにいても島との関わりが感じられ、楽しさを発見できる。
3 浜のごみ拾いをすると地域や課題にふれあえる
島には本土からは見えない苦労も多い。たとえばごみ拾いのプログラムに参加すると、地域の人やその課題とより身近になれる。
※構成/鹿熊 勤 撮影/藤田修平 写真提供/離島経済新聞社、根っこを育む自然塾
(BE-PAL 2023年5月号より)