ローカルに根ざしたビール造りを大事にするブルワリーが増えている。ブルワリーはビールだけでなく、何か新しいものを醸す力をもっている。
そんな夢と可能性を秘めたブルワリーを探して、今回は東京、経堂の後藤醸造を経営する後藤夫妻を訪ねた。
東京農大のまちにブルワリーが生まれた理由
小田急線の経堂駅。若者の街で知られる下北沢から数駅下った経堂は、住宅街であり東京農業大学のメインキャンパスのあるまちでもある。駅から歩いて3分ほどの場所に後藤醸造はある。
ビルの1階にブルワリーと10人も入ればいっぱいのタップルーム。入り口でのれんがぱたぱた揺れるところは居酒屋にも似ている。
後藤健朗さん・由紀子さん夫妻が経堂に店を構えたのは偶然ではない。ふたりとも農大出身で、ここは学生時代に何年も通ったまちだ。
「モノを売るよりつくりたい」とビール醸造家の道へ
大学卒業後、健朗さんは食肉卸会社に勤め、営業職に就いていた。
ある日、営業先の山梨県の甲府で、アウトサイダーブルーイングという有名なブルワリーのタップルームに立ち寄った。そして感動して帰って来た。
もともと健朗さんは特にクラフトビール好きというわけではなかった。それなのに、いや、それだからこそか、クラフトビールのすばらしさに気づいたのだろう。
モノを売るより、つくる人になりたい……。そんな思いが沸き起こった。背中を押したのは妻の由紀子さんだ。ある日、健朗さんが帰宅すると、机の上にまっさらな履歴書が載っていた。
健朗さんは会社を辞めて、神奈川県で1997年から実績のあるブルワリー、サンクトガーレンに転職。醸造技術を習得した後、さらに山梨のアウトサイダーブルーイングで研修しながら開店準備を進めた。
2016年に経堂でオープンした後藤醸造
後藤醸造のオープンは2016年。ブルワリーを構えるなら馴染みのある場所がいいと考え、経堂を選んだ。住宅街であり学生街であり、会社帰りの客通りも見込める土地柄である。
ちょうど日本に第2次ともいえるクラフトビールブームが湧き上がってきた頃と重なる。醸造免許を取得し、初めての醸造は2017年。「経堂エール」が誕生した。麦芽の甘みとコクがしっかり味わえる、飲み飽きないエール。後藤醸造の定番になっている。
それからこの小さなブルワリーはお祭りに出店したり、イベントに駆り出されたりしながら経堂のまちに馴染んでいった。オープンから8年目。コロナ禍も乗り越えて、後藤醸造はこの夏、忙しそうにしている。
世田谷の農作物が集まるブルワリー
「それにしても、これほど農業が盛んなまちだとは知りませんでした」(健朗さん)
後藤醸造には近隣で採れた農作物を利用したビールが思いのほか多い。甘夏、スダチ、カボス、ハチミツ。意外なものが採れている。
23区内で2番目に農地が大きい世田谷区
実は世田谷区は都内23区では2番目に農地の規模が大きい。トマトやナスに始まり、柿、栗、カボチャ、いろんなものが栽培されている。「せたがやそだち」とブランド化もされ、スーパーに行けば「せたがやそだち」コーナーがあったりする。経堂の周辺にも小規模ながら農地が点在している。
住宅街の中にも作物はなる。庭に夏みかん、ビワ、柿などなど果樹を植えている家が多いのだ。
「うちの庭になった夏みかん、いっぱい採れたんだけどビールに使える?」「知り合いの家の庭になっているビワ、余っているみたいだけど何か使えない?」お客さんやそのツテで次々と持ち込まれる果樹の実り。
「柑橘系はビールの原料に使いやすいんですよ。ホップの香りの中に柑橘系の香りがあるので相性がいい」のだそうだ。
お隣のたい焼きをビールに!?農大生の斬新なアイデア
健朗さんは東京農大が開講している地域向けの「グリーンアカデミー」で、「ビールの造り方」講座を受け持ったことがある。醸造について教える一方、受講者たちは世田谷の“名産”についていろいろ教えてくれたそうだ。
講座の最後に、受講生に「どんなビールをつくりたいですか?」とたずねたところ、ひとりが「カボチャ」と答えた。
「日本では、あまりカボチャを使ったビールはありませんが、アメリカではハローウィンに合わせてパンプキンエールが風物詩のように造られていますね。うちもトライしてみました」
そのときは世田谷産ではなく、知り合いが高知産のカボチャを取り寄せてくれた。町中でビールを造っていると、いろんなものがいろんな場所から集まってくるようだ。
もっとも、何でも使えるわけではない。健朗さんは、「素材とビールの相乗効果」が見込めないものは使わない。たとえば夏みかんがたくさん余っていたとして、それでおいしいジュースができるならジュースにすればいい。ビールの原料に入れたら「おいしいビールができたね」となればこそ使う意味があるという。
余談だが、3年前、後藤醸造は「あんこ」を使ったビールを造っている。毎年、アルバイトの農大生が“卒業制作”と称して、自分の造りたいビールを考案していくのだが、ある学生が「お隣のたい焼きを入れたビール」という妙なアイデアを出してきた。
お隣とは、時に行列ができるほど人気のたい焼き屋さんである。たい焼きを入れるわけにいかないので、あんこを使った。あんことビール。どんな相乗効果が生まれたのだろうか。
麦芽カスを肥料にする取り組みにも挑戦!
また、コロナ禍があって今は中断しているが、麦芽カスを肥料として農家に還元する取り組みを行ってきた。
「うちの麦芽カスを使ってもらって、それで育った野菜をうちの料理メニューの材料に仕入れる。そんな循環ができればいちばんいい」と、由紀子さんは語る。現在は、神奈川県で農業を営む由紀子さんの実家に麦芽カスを運び、肥料に使ってもらっている。
「小規模なブルワリーは産廃で出すしかないところが多いと聞いていますが、もったいないですよね。ちゃんと加工すれば肥料になるし、飼料としても価値があります。この辺にもブルワリーが増えてきましたし、連携して麦芽カスの有効活用につなげたいですね」
この数年、世田谷近辺にはマイクロなブルワリーが増えている。行政で1台トラックを出して麦芽カスを回収する仕組みがあれば……と思う。
フラッと寄れる立ち飲み喫茶みたいなタップルーム
夫婦二人三脚で8年目になる後藤醸造。定番の「経堂エール」を軸に、先述の農作物を活かしたシーズナルビールを醸造している。
健朗さんはもともと植物が好き。大学では工芸作物、特に生姜や薬用植物について研究していた。スパイス、ハーブ、お茶類、その分野にかけての知識は深い。それもあってか「あまり固定概念に縛られずにビール造りができているのかもしれません」と話す。
クラフトビールの世界では、原材料のホップや麦芽の新種が次々と登場している。ビール造りの楽しさをたずねると、健朗さんは「伝統を守りつつ、斬新なチャレンジができること」と答えた。クラフトファンにとっても、タップルームの楽しさは“いつものビール”だけでなく、“新しいビール”に出会えることだ。
常連のお客さんの中には「今日、つなぎたて?」(発酵を終えたばかりのビールという意味)とか、「熟成してきましたね」と、刻々変わる味の変化を楽しむ人もいる。「こないだ飲んだあれ、もう一回造ってよ」とリクエストを出すお客さんもいる。
最近は週末になると遠方から飲みに来るクラフトファンが増えてきたが、ふだんのお客さんは多くが近隣の住民。そのこぢんまりとした店構えのせいか、半分くらいは一人客だという。買い物袋からネギをのぞかせながら立ち寄るお客さん。本を読みながら飲んでいるお客さん。なんだか喫茶店に似ていますね……。
「そうですね。立ち飲み喫茶みたい」と、健朗さんと由紀子さんは笑う。
後藤酒造のタップルームは立ち飲みオンリー。それが独特のさりげない雰囲気を醸している。タップルームとかブルーバーというとちょっと構えてしまう人もいると思うが、ここはもっとゆるい。
「ここを立ち上げる前から思っていたんですけど、ひと駅にひとブルワリーあるといいなあと。自分の行きつけの“推しブルワリー”がある時代が来るといいなあ、と」
今後の目標をたずねると、健朗さんは「次は“座れる店”をもちたい(笑)。夢は本格的なBBQのできるビアホールです」と語る。
当面、ブルワリーの仕事を任せられるタフなスタッフを募集中。とにかく手が足りない状態が続いている。
それに、「醸造容量を大きくしていかないと新しいビールが造れない。もうひとつブルワリーがほしいですね」と健朗さんが言えば、由紀子さんは「それなら、経堂エールの味は変えたくないからここで造って、シーズナルビールをそっちで造りましょう」と応える。こうやってふたりで相談しながらやって来たのだろう。
後藤醸造のスタイルは、都市部の住宅街にあるタップルームのひとつの在り方を示していると思う。今後、後藤醸造が成長していくなかで、「経堂エール」と喫茶店みたいなタップルームがどう変化していくのかも楽しみである。
後藤醸造 東京都世田谷区経堂2-14-3 経堂OKコート1F
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