クラフトビールブルワリーはビールだけでなく、新しいものを醸す力をもっている。ローカルに根ざし、地域とともに生きようとするブルワリーが増えている。
宮崎県延岡市の宮崎ひでじビールはその先駆け。永野時彦代表にインタビューした。
苦難だらけの中で再スタートした宮崎ひでじビールとは?
宮崎県延岡市の行縢山(むかばきやま)の麓に宮崎ひでじビールがある。標高約829mの行縢山は、登山客だけでなく地元の小学生の遠足地としても親しまれている。
宮崎ひでじビールの創業は、酒税法が改正された2年後の1996年。この頃から、規制緩和により日本各地に地ビール会社が生まれたが、その第1ピリオドに属するブルワリーだ。親会社は延岡市で石油販売卸やガソリンスタンドを営業していた会社。それが、宮崎ひでじビールとして独立したのは2010年のことだ。
廃業寸前のビール事業部を社員が買収!?
この頃、日本の地ビール業界には淘汰の波が押し寄せていた。
一時300軒を越えたブルワリーは次々と撤退し、親会社のビール部門も廃止されようとした…その当時、社員だった永野時彦現社長がEBO(Employee Buy -Out=従業員買収)でビール製造・販売部門を買い取り、ひでじビールが再スタートしたのである。
従業員による買収は当時地ビール業界で話題になったそうだ。
次々に見舞われた厄害
そうして再スタートを切った直後、宮崎県内は次々と厄害に見舞われる。
まず、家畜伝染病の口蹄疫が10年ぶりに発生した。次に鳥インフルエンザが広がった。さらに南西部の霧島連山の新燃岳が300年ぶりに大噴火した。
これらの影響で、宮崎県の屋台骨である農業と観光業が一気に冷え込んでしまった。宮崎ひでじビールの県内の販売チャネルにも、ホテルや道の駅といった観光客向けが多い。
ビール事業の再建に苦労して融資を取り付け、再スタートを切った直後の苦境に永野社長は頭を抱えた。何のために宮崎ひでじビールはあるのかと。何のためにビールを造るべきかと。社員たちと徹底的に議論したという。
そして、地域に貢献できる会社でありたいという意見でまとまった。「地域から必要とされる会社になろうと決めました」(永野社長)。それが会社の方向性を決めた。
目指すはオール宮崎産!「地域から必要とされる会社」の歩み
宮崎のマンゴー、日向夏、金柑などを副原料に採用
すぐに始めたのが「宮崎農援プロジェクト」だ。
ブルワリーが農業を笑顔にできることは何だろうかと考えた末、宮崎の農産物を副原料として使うことにした。今では多くのクラフトビールが地場の農産物を原料に取り入れているが、当時はまだ物珍しかった。
マンゴー、日向夏、金柑など宮崎には多彩なフルーツがある。それら生産農家も観光客の落ち込みで苦しんでいた。
「特にマンゴーは宮崎ブランドが確立していましたが、審査基準がものすごく厳しいんです。糖度やサイズのほか、キズが少しでも入ったらだめです。A品基準からハネられたB品、C品が二束三文で売られるようであってはならない。ビールに活かして、形を変えた姿で外に発信していく。生産者のプロフィールを前面に押し出し、生産者さんに笑顔を取り戻してもらいたいと考えました」
宮崎ひでじビールのラインナップにはマンゴー、日向夏、金柑、柚子などを副原料に使用したビールが並ぶ。日向夏を使ったラガーは通年商品。フルーツが香るすっきりしたラガーには、宮崎ひでじビールらしさを感じる。
宮崎初の大麦とホップに挑戦!
次に永野社長が取り組んだのが、主原料の大麦とホップの宮崎産だ。
当時、宮崎では大麦は生産されていなかった。九州では佐賀県、福岡県、大分県、熊本県などで大麦栽培が盛んに行われている。気候的に近い宮崎ではなぜ生産されていないのか?というと、これらの県の近隣には大手ビールメーカーの工場があり、大麦を農家から買い取る仕組みができていた。
「なるほど、そこからか……」
永野社長はあきらめなかった。農業法人に掛け合って、大麦を生産する農家を募った。「全量買い取るので、大麦を作ってください!」と。いくつかの農家が手を挙げ、大麦生産が始まった。気候的、技術的なネックの少ない大麦は、順調に収量を伸ばしていった。
問題は、大麦を麦芽(モルト)に加工する「製麦」だったと永野社長は振り返る。製麦とは、大麦を水に浸し、芽を出させ、乾燥させて麦芽にする工程。ビールのアルコール生成や風味は高品質な麦芽からもたらされる。その大事な麦芽をつくるためのノウハウが、製麦機が、当時の日本では手に入らなかった。
日本の製麦工場は大手ビールメーカーの工場か、その子会社しかない。製麦機を自作したくても設計図は企業秘密らしく、探しても出てこない。
永野社長はイギリスからウイスキーのフロアモルティング(麦を床一面に広げて製麦していく方法。スコッチウイスキー蒸留所の伝統的な製麦方法)の教本を取り寄せ、一行一行翻訳しながら、製麦とはなんぞやを学んでいった。ホームセンターで道具や材料を買ってきては見様見真似で組み立て、実験を繰り返した。
製麦技術の研究にかけた年月は6年。宮崎ひでじビールは自社で製麦できる、日本で数少ないブルワリーになった。
「九州でホップ生産はムリ」と言われてもあきらめなかったワケ
「次はホップだ!」
永野社長は止まることなく、オール宮崎産に向けてホップ栽培計画に着手。が、ホップ生産は大麦のようにはいかなかった。ホップはもともと寒冷地の作物だ。世界的に知られるホップの名産地といえばドイツやチェコ、アメリカであり、日本では北海道や東北、長野、山梨の積雪のある地域である。
それでも永野社長は「暑い地方でも育てる方法があるのではないか」と希望を捨てなかった。そしてドイツ・ミュンヘンへ。ホップ栽培の世界的指導者を訪ね、九州でも栽培できる品種をたずねたところ、開口一番、「ノーノーノー!」。そんな暑い気候では「絶対に無理です」と言われたそうだ。
日本に戻ってからはホップの名産地である岩手県遠野の生産者を訪ねた。そこでも「ムリムリムリ。九州では無理」と返ってきた。
ホップ栽培をよく知る彼らが言下に否定した理由は明確だ。まず、九州では収穫期前の8月の気温が高すぎる。梅雨期の雨量が多すぎる。収穫期の8月後半に台風が来るリスク…これだけ不適合要因を列挙されてもまだ永野社長はあきらめなかった。「できないと言われると逆に燃えてしまう」タイプなのだそうだ。
ホップなど生産したことのない農家を回ってオール宮崎産の夢を語り、口説きに口説いた。「全量買い上げますからお願いします」と。
2016年、失敗も織り込み済みでホップ栽培をスタート。2年目の2017年7月。見事に収穫できたのである。今年は収穫7年目になり、少しずつ収量を増やしている。
とはいえ、「大成功とは言えません。東北地方に比べると収量はずっと少ないのです。その原因を探るためにも試行錯誤しながら生産を続けています。でも収量よりも大事なことは、チャレンジをやめないことです。九州ではホップはできないと言われてきました。でも実際に九州でホップ栽培に失敗した例は聞いたことがありません。できないと言われ続けてきたので、ホップにチャレンジした人がいなかっただけではないでしょうか」とホップ栽培に込めたチャレンジ精神を語る。
もとより収量にこだわっていない。というのも、生産量が上がったところで、コスト面で商業ベースに乗るものではないことは明らかだからだ。「そこでオーナー制度に踏み込みました」と永野社長。
ひと株6,500円〜1万円(税込み)でオーナーになってもらう。育てるのは農家だが、成育の様子をオーナー専用のFacebookで見ることができ、収穫後にはフレッシュホップで造ったビールが贈られる。
これが好評を博し、今年は全国から230名がオーナーに。地域の農業の活性化とファンづくりが一体になったすばらしいアイデアだ。
現在、宮崎ひでじビールには、九州産大麦、ホップを取り入れた「九州ラガー」、宮崎産大麦&自家製麦芽100%の「YAHAZUヤハズピルスナー」がある。農家を笑顔に。その取り組みが全面的に表に出ているビールである。
捨てるところがないビール造りを
大麦とホップは少しずつ栽培面積を増やしている。ビールの製造量も増えている。今、宮崎ひでじビールは、製造量に合わせて増える廃棄物=麦芽カスの有効活用を進めている。
麦芽カスを加工して肥料や飼料に使う。ブルワリー業界で注目されている廃棄物の再利用方法だ。
しかし再利用の実現はけっこうハードルが高い。まず、麦芽カスを乾燥させる広いスペースが必要だ。次に、畑や牧場まで運ぶ輸送コストがかかる。もちろん手間もかかる。ごく近くに畑や牧場があるならともかく、そうでなければ導入がむずかしいのが現状だ。
実際、宮崎ひでじビールでは麦芽カスの乾燥に乾燥機を使っているため電気代がかかってしまう。それでも産廃にしたくないと永野社長は言う。
「そのためには、コストに見合う金額で買ってもらう必要があります。麦芽カスは栄養価が高く、良質な肥料、飼料になります」
すでに宮崎ひでじビールの麦芽カスは肥料に加工され、大麦やホップの畑で利用されている。ここでは農作物の生産からビールという商品、そこから出た廃棄物のリサイクルという循環が完成している。
さらに飼料としても加工され、宮崎県内の養豚場と放牧牛の牧場で利用されている。こちらでは豚肉、牛肉の加工品とビールのセット商品が企画されている。
麦芽カスの肥料・飼料化について、永野社長は今後さらに質を上げて、商品力を高めていきたいと話す。大麦やマンゴー、日向夏などのフルーツがビールになり、さらに肥料/飼料として商品化される。豚や牛のフンもまた堆肥として商品化される。捨てるものがどんどん減っていく。
ビールタンクも地元産で地域活性化!
ちなみにもうひとつ、宮崎ひでじビールには大きな地元産がある。ビールタンクである。
2013年頃、6000リットルという大きなタンクを増設しようとしていた。「当時は、海外産か他県のタンクメーカーしかありませんでした。合計4000万円以上になる発注です。この大きな金額を宮崎県に落とせないのかな?と思いまして」
発注直前の永野社長の思いつきに、資材担当の部長は青くなったそうだ。地元の延岡市は旭化成の企業城下町でもある。高い技術をもった鉄鋼工場ならたくさんある。ある工場の社長に直談判に行った。「ビールタンク?造ったことありませんよ。ウチにはムリムリ」と尻込みする社長を、またも口説き落とした。こうして延岡産タンク製造は設計図作りから始まった。
延岡産ビールタンクの完成は、地元の新聞でも報じられた。タンク製造を手がけた工場には、その後すぐに新たな注文が入ったという。タンク製造に留まらず、「その対応力と技術力の高さを対外的に広く示していくことが重要」と永野社長はその意義を語る。「地域連携して、いかに経済の波及効果を広げていくかです」
その旗振り役をしているのが、クラフトビールの宮崎ひでじビールだ。ブルワリーにできることはビール造りだけではないのだ。
資源と利益の循環。新たな商品づくり。ひとくちに地域貢献と言ってもさまざまだが、クラフトビールブルワリーがひとつの起点になることを、宮崎ひでじビールが示している。
ビールのラインナップにはラガーとペールエールを中心にしたオーソドックスなスタイルが並ぶ。マンゴーを副原料に使った「マンゴーラガー」の澄んだキレが特に印象的だった。
宮崎ひでじビール
宮崎県延岡市むかばき町747-58
https://hideji-beer.jp