東京23区内、特に山手線の内側はビル街や飲食店街、住宅街ばかり。そう思っている人が多いかもしれません。でも、目を凝らせば東京都心にも「山」はあります。そんな東京の山の世界を、日本で唯一のプロハイカーである斉藤正史さんが案内します。第15座目は、東京都台東区の「上野恩賜公園にある山」です。
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第15座目「擂鉢山」「大仏山」
今回目指す山があるのは、上野公園。周辺には見どころが多く、登山口(最寄り駅)もいくつか考えられます。ただ、私は地元の山形から上京するたびに上野に立ち寄っていて私的鮮度があまり高くないので、最短ルートで行くことに決定。JR上野駅公園改札口登山口から出発します。
150年分の歴史がギュッと詰まった公園の山
上野公園一帯は高台に位置しているため、江戸時代から「上野の山」という愛称で親しまれてきました。当時から自然に恵まれ、桜の名所としても人気でした。しかし、1868年、上野一帯は戊辰戦争で焼け野原となってしまいます。その後、上野の山と寛永寺の跡地に病院などを建てる計画が持ち上がりましたが、オランダ人軍医のアントニウス・フランシスクス・ボードワン博士が「このようなところは、先進国の都会地にならって公園とすべき」と強く主張。結果、建設計画は中止になり、今から150年前の1873年に公園が開園しました。ちなみに、正式名称は上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)です。
今回の目的の山の1つは、擂鉢山(すりばちやま)。そこへ行くルート上に、正岡子規の名前の付いた野球場があります。なぜかと思ったのですが、子規は明治初期、日本に野球が紹介されて間もないころの愛好者で、1886年~1890年ごろに上野公園内で野球を楽しんでいたのだとか。子規は野球を題材とした俳句や短歌・小説・随筆を多く発表しているほか、打者、走者、四球、直球といった野球用語を日本語訳したことでも知られているそうです。
球場を抜けると、右手に上野公園管理署の建物が見えてきます。そのすぐ脇に階段があり、擂鉢山へ向かう登山道になっています。登山道を一気に登ると、下界の人混みが嘘のようです。
山頂付近は平地になっていました。この形状が、伏した擂鉢に似ていることから擂鉢山と呼ばれたそうです。実は、擂鉢山は古墳でもあるようです。しかも、その昔は上野の山一帯に古墳群があったそうです。
現在の擂鉢山の山頂は、複数のベンチが置かれた休憩所になっていて、多くの来園者が一息ついています。そんな山頂の中心部に、なぜか電灯が立っていました。これ!という標識や三角点はないけど、ここが山頂でいいのかな?
擂鉢山を反対側に下り、少し歩くと「上野大仏」の看板が見えてきます。この上野大仏のある場所こそ、上野恩賜公園にあるもう一つの山「大仏山」なのです。
上野大仏は、現在顔だけ残っていて、大仏山という丘の上に祀られています。元々は江戸時代初期に建立され、幕末までにも火災や地震に度々遭い、関東大震災で頭部が落下するまでは像高約6mの釈迦如来坐像だったそうです。震災後、頭部と胴体は再建に備えて上野寛永寺で保管していましたが、顔面部を除いて第二次世界大戦中の金属類改修令により出されたそうです。胴体を失った顔面は「これ以上落ちない」という意味で、「合格大仏」とも呼ばれています。
そんな大仏山の山頂には、お顔だけの大仏と、薬師仏を祀るパゴダ様式の祈願塔と志納所があります。この日も多くの参拝客で賑わっていました。顔だけでもこの大きさです。きっと、もともとの大仏は相当大きかったのでしょうね。
ということで、上野恩賜公園内の2つの山を巡る縦走は、片道わずか500mほどで終了しました。私は最短ルートで歩きましたが、上野恩賜公園には見どころがたくさんあります。その日の予定や都合に合わせ、いろんなルートで歩けるのも上野の山々の魅力かもしれません。ちなみに、暑い時期は無理ですが、私は上野に来ると必ず不忍池のほとりに行き、ベンチでボーっとしています。
次回は「文学作品の舞台にもなった文京区の山」を予定しています。
なお、今回紹介したルートを登った様子は、動画でご覧いただけます。