母国の味を今、暮らす街で造り伝える。そんなローカルビールがあってもいい。神奈川県海老名市にあるEBINA BEERの醸造長は、ピルスナーの本場チェコで音楽家として活動していたレハク・トーマスさん。なぜ日本でクラフトビールを造るのか、聞いた。
おいしいピルスナーに海老名で出会えるワケ
今、日本で最高のおいしいピルスナーを飲もうと思ったら海老名をおすすめする。
神奈川県のほぼ中央に位置する海老名市は、近年、駅周辺の再開発が目覚ましい。小田急線と相鉄線とJR相模線が通る駅前からペデストリアンデッキが伸び、その先に「ららぽーと海老名」がそびえ、その通りを一本隔てたところにEBINA BEER(以下、エビナビール)がある。
エビナビールは2017年にオープン。経営するのは醸造長のレハク・トーマスさんと、その妻でありCEOを務める平井史香さん。レハクさんはブルワーになるまで、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団に所属するチューバの演奏家だった。ビール造りを始めたのは2005年。その前の年に平井さんと結婚、プラハで暮らしていた。
「プラハでは日本食材が高いので、いろいろ手作りすることが多かったんです。パスタや餃子の皮も小麦粉から作りましたし、ラーメンの麺も手打ちで。ふたりとも、もともと手作りが好きで、家の中も物をよくDIYしていました」と話す平井さん。
つくろうと思えば、ワインはぶどうと酵母があれば造れる。ビールもモルトや酵母があれば造れるね…。レハクさんはビールが大好き。チェコではホームブリューイング(自家醸造)が合法である。レハクさんはオーケストラの仕事の合間に醸造を独学し始めた。醸造道具も手作りした。ホームセンターで、ラーメン屋にあるような大きな寸胴やシャモジ、バケツを調達。麦汁の濾過に必要な器材も、バケツの底に電気ドリルで何百も小さな孔を開けて自作した。
初めに造ったビールはエールビール。その初醸造の出来にレハクさんは驚いた。
「おいしい!!」
音楽もビールも好き、しかし人生はひとつ
ビールは大きくラガーとエールの2種に分けられる。
ラガーは「貯蔵」という意味だが、タンクに貯蔵して熟成させる期間が長い。いろいろなタイプがあるが、日本でもよく知られるピスルナー・ビールはチェコが発祥。19世紀にピルゼン(チェコ語ではプルゼニ)という街で生まれたことから「ピルスナー」と呼ばれる。世界でもっとも愛され飲まれているビールといって過言ではない。
その本場のピルスナーを飲みつづけてきたレハクさんの舌(喉?)は相当、肥えているはず。ホームブリューイングで出来たビールが、その喉も満足の味に仕上がったことに、レハクさんは驚き、喜び、魅了されていった。
レハクさんは19の歳からプロの演奏家だ。オーケストラの仕事をずっと続けるつもりでいた。しかしチューバという楽器は体力を要するパートである。将来のことを考えたとき、レハクさんには音楽家を続けることと、醸造家になることの2つの選択肢があった。
「音楽が好き。ビールも好き。でも、両方をトップレベルでやることはできない。人生はひとつ。音楽を続けたらビールはできない」
レハクさんは20年余りのチューバ奏者のキャリアにひと区切りつけて、醸造家を目指した。そしてプラハから平井さんの故郷、神奈川県の海老名へと場所を移し、ブルーバーを開いた。
海老名で本物のピルスナーを造る
今でこそ「ららぽーと海老名」の目の前の好立地だが、2017年のエビナビールのオープン当初、まだ駅前はがらんとしていた。
「このあたりはずっと田畑でした」と、海老名で生まれ育った平井さん。「再開発の話は30年以上前から聞いていましたけれど、なかなか進まなかったようです。今の場所は、私がプラハから、ビルのオーナーにたまたま問い合わせをして見つけました。まだビルが出来る前でした」
ビルのオーナーは元農家。地産地消型の地元に根づいたテナントを探しており、「クラフトビールのお店なら面白い」と決まったそうだ。2016年のことである。
2016年というと、まだクラフトビールの認知度は、都市部はともかく、地方ではほとんどなかっただろう。そんな時期に「クラフトビールなら面白い」と思ったオーナーには先見の明があったにちがいない。
エビナビールは、当然ながらピスルナー(ラガー)主体だ。多くのマイクロブルワリーはエールをメインにしているが、その大きな理由は、ラガーは手間と時間がかかることだ。醸造工程はエールより多く、技術には経験知を求められる。また、熟成にはエールの倍の時間がかかる。ということは、同じ期間でピスルナーはエールの半分量しか生産できない。つまり、ピルスナー(ラガー)はコストが高い。マイクロブルワリーにとっては、そのコストはもろに響く。
しかし、それはブルーバー創業を決めた時からわかりきっていたこと。レハクさんには「ぼくは自分がいちばん好きなビールを造りたい。いちばんおいしいと思うビールを売りたい」という意思がある。「チェコの本場のピルスナーを日本の人に飲んでほしい。日本の人にもっと楽しんでほしい」。オーケストラのキャリアを置いてまで醸造家に転進したレハクさんの強い思いだ。
開業から6年。経営的には「ギリギリです」と、CEOの平井さんが笑いながら言えば、「それ、仕方ない」と醸造長のレハクさんもニッコリ応える。
現在、醸造に関わる作業はレハクさんがすべて行っている。原材料の仕入れ、管理から設備のメンテナンス、掃除まですべてだ。「掃除がいちばん時間、かかります」と、レハクさん。そうやって製造コストを最小限に抑えることでエビナビールは造られている。
ビール醸造の知見はホームブリューイング時代の独学に加え、チェコのブルワリーを訪ねて醸造家から直々に教えてもらうところも大きい。この秋もチェコに里帰りした際、ビール工場に見学に行き、情報交換をしてきたと言う。本家の醸造家から学べる。これはレハクさんならではのアドバンテージではないだろうか。
地元の大麦を使った海老名ピルスナーができる日は
「チェコの人はお茶のようにビールを飲むんですよ」と平井さん。日本の「ちょっとお茶でも」の感覚だろうか。そして安い。今でも一杯300円ほどだそう。しかもジョッキで。
酒税の違いが大きいこともあるが、羨ましいこと、この上ない。チェコは長年、ビールの一人当たりの年間消費量が世界一だが、味と価格、どちらも一流なのだろう。
エビナビールが2017年にオープンした当時、地元ではまだ「クラフトビールってなに?」という認知度だった。とにかく飲んでもらおうと、価格は1杯(パイント)800円に設定した。6年前にしても、かなりリーズナブルだと思う。
「800円でお通しもつけず、サクッと飲んで帰れる雰囲気づくりを意識しました。一見さんもフラッと安心して入れるように、造りもガラス張りのスケルトンにしました」(平井さん)と言う通り、店内の様子が通りからよく見える。外に面したカウンター席もあり、お一人様も入りやすい。今ではパイント一杯990円。3桁を死守している。
「彼は1000円にしたくないと言うんです。なにせビールの安い国から来ているので(笑)」と平井さんはこぼす。味だけでなく、価格にもチェコの本場らしさを求める。素晴らしい。
近年の再開発で、駅周辺には高層マンションがいくつも建ち、住民の層にも変化が見られ、地元のお客さんが増えてきたという。ただ、クラフトビール人気は高まってはいるが、必ずしも裾野が広がっているとはいえない。レハクさんと平井さんは「とにかく飲んでもらわないことには始まりませんから」と、地元の海老名のふるさと祭りや市民祭り、「チェコ・フェスティバル」などのイベントには積極的に出店。今年の「チェコ・フェスティバル2023in東京」は11月3日〜5日、二子玉川の多摩川河川敷で開かれる。
また現在、エビナビールは工場(ブルワリー)を拡大する計画を立てている。今のブルワリーは1000Lのタンク4本で、もう満杯だ。
工場の場所探しと並行して、実現したいと考えているのが「海老名の大麦」の復活だ。現在、海老名で麦類は生産されていないが、半世紀以上前に遡ると大麦を生産していた歴史があるそうだ。そうした地域の歴史を踏まえて、現在空いている耕作地を使って大麦栽培ができないかと考えている。
本場のピルスナーを海老名で造りつづける。そこに海老名産の原料が加われば、さらに特別なピルスナーが生まれることだろう。海老名大麦のボヘミアンピルスナーが出来る日が楽しみだ。
EBINA BEER
神奈川県海老名市扇町5-4 104
https://ebinabeer246.company.site