最近、生物好きの間で話題のスマホアプリが『Biome』(バイオーム)。動植物の写真を投稿すると、自身の記録にとどまらず研究データとしても活用される。その可能性を開発者に聞いた。
株式会社バイオーム 代表取締役
藤木庄五郎さん
ふじき・しょうごろう 1988年大阪市平野区生まれ。京都大学在学中、ボルネオ島の熱帯雨林で2年以上キャンプ生活をしながら衛星画像解析を用いた生物多様性の可視化技術を開発。2017年、京都大学大学院で博士号(農学)取得。同年5月に株式会社バイオームを設立。
生きものを大切するうねりを、地球規模で広げたい。これがスマホアプリに込めた願いです
フィールドで見かけた動植物をスマホで撮って投稿すると、AIの自動判定技術で種類の同定ができる。わからない場合も、アプリでつながる仲間に呼びかければ助言をもらえる。
撮った写真には、GPS機能により位置情報や撮影年月日が記録されている。自分自身の詳細なフィールド記録になるだけでなく、公開設定を選ぶとみんなの図鑑として活用される。
それだけではない。たくさんの個人がアプリで持ちよったこの生物情報は精度が高いため、学術研究や保全計画を立てるうえでも貴重なデータとなる。
このユニークなしくみを考え出したのが、株式会社バイオームの藤木庄五郎さん(35歳)だ。
──子どものころから生きものがお好きだったのですか。
「小学生のころはよく大阪市内の池や大和川で釣りをして遊んでいました。本命の魚はフナだったんですけど、ある時期からブルーギルばかりが釣れるようになって。これ、どういう魚なんだろうと思って調べると、外来種だと書いてありました。
スマホで撮った生きもの写真が社会に役立つビッグデータに
外来種が入ると生態系が壊れるという解説もありました。じゃあ生態系って何、というふうに自然に対する興味がどんどん広がっていきました。
将来、環境や生態系に関わることをしたいと思ったのは、中学生のときに鳥取大学の遠山柾雄先生が書かれた『世界の砂漠を緑に』という本を読んで感銘を受けたのがきっかけです」
──京都大学に進学されました。
「学部生のときは地域環境工学という工学寄りのことを勉強していました。研究室に入ってからは生態学に移りました。最終的には農学部森林学科で、大学院も森林学科です。
修士課程と博士課程の計6年のうち、2年あまりボルネオの熱帯雨林でキャンプをしながら調査をしていました。僕がやっていたのは毎木調査といって、半径20mほどの円形のエリア内に生えているすべての樹木を調べることです。高さや直径を測り、1本ずつにタグとナンバーを付けて記録します。ひとつの調査地が1プロットで、最終的にはチームで1000プロットぐらい調査しました」
──そのデータはどのように使われるのですか。
「プロットしたエリアは衛星から見るとひとつの点にすぎませんが、この場所の植生はこういう状況であるという毎木調査のデータがそれぞれに詰まっています。樹種によって葉や樹冠に反射する光の特徴が少しずつ異なるので、こういう緑色の場合はこういう樹種が多いというふうにモデル化ができます。
その技術を使って衛星写真を解析すると、自然の今や変化の様子を面的に把握できるわけです。生態学的に良い状態を保っている熱帯雨林ほど、画像では濃い緑色に見えます」
──愕然とするような現実もあったのではないですか。
「水平線が360度で見えるほど木が一本もないエリアもありました。僕らは伐採現場でも調査をしたんですが、木がとにかく巨大ですから伐採業者も命がけなんですよ。運び出すのも大変な労力です。こんなハードな仕事をよくやっているなあ、というのが最初の感想。
じゃあ、なぜそこまでしてやるのか。儲かるからなんですね。そうやって食いつないでいる人がたくさんいるのが世界の現実です。生態系や環境を壊せば壊すほど儲かる。そういう価値観が根づいてしまっている。このままでは地球がボロボロになってしまうと、強い危機を感じました。それが起業を目指したきっかけです」
──ビジネスについてはどのように学んだのですか。
「経済と環境を両立させないと、この問題は解決できない。環境を守りながらちゃんと儲ける、そういう社会にシフトしていくにはどうしたらいいのか。
京都大学には、起業論などの授業もあったので、学部生の中に潜り込んで半年くらい受けました。そのとき、今のバイオームにつながる事業モデルを考えついて発表したところ、大学から賞をいただきました。経済活動と環境保全は両立できるという確信を強めました」
──アプリBiomeのしくみについて教えてください。
「ベースとなっているのは生きもの調査です。身の回りの動植物をスマホで撮り、アプリを通じて投稿します。自分のコレクションとして収蔵できるだけでなく、データベースの材料としても役立てられます。
スマホにはGPS機能がついていますから、いつどこで撮られた生きものかが記録されます。投稿の公開は任意ですが、希少種など公開すべきでない種は自動的に非公開になるよう配慮しています。原理としては、ユーザーが増えるほど、投稿が増えるほど生きもののデータが蓄積していくわけです」
──ビッグデータ化により、環境保全のような活動にも貢献できるようになるのですね。
「みんなで生きもの調査をしようというのがアプリに込めた思いなのですけれど、一方では、使ってくださる方はそんなことを考えなくていいんじゃないかという気持ちもあります。
楽しいからやる。それでいいと思うんですよ。生きものとの遊び方には、偶然出会う、探しに行って見つける、捕まえる、もっと調べてみるというふうにいろんな楽しみ方があります。
撮った生きものの写真をアプリで投稿することで、人生がちょっと豊かになったと感じていただければいいなと思っていて。
生きものへの興味が深まるほど、自然の解像度って違ってきますよね。道端の植物も、ああ、草が生えてる、じゃなく、これはエノコログサで、あれはメヒシバだなというふうに違いがわかるようになります。これは在来種だけど、こっちは外来種かな、とか。自然を人生の楽しみにすると世界の見え方が全然違ってくるはずなんです。
環境とバッティングしない経済のあり方を、ひとりひとりが自分事として考える意味でも、楽しいという感覚はとても大事だと思っています」
──企業活動と自然回復を同調させる『ネイチャーポジティブ』が世界的に注目されるようになってきました。Biomeの思想も同じですね。
「外歩きが楽しくなるアプリ。それがBiomeなのですが、たくさんの方が利用した結果として、生きものに関するデータが蓄積されて調査や研究にも活用できるようになる。そんな二重構造を意識して作りました」
──とはいえ、AIの性能は学習をさせないと高まりません。初期には誤判定も起こると思うのですが、種の同定ミスはどのように正しているのですか。
「基本的にはAIに依存しないようにしています。質問投稿を介し、みんなで解決していく。人間同士のコミュニケーションによって精度を担保するわけです。集合知というか、自浄作用というか、人間の知性によって情報精度を高めています。
システム側でも、これはおかしい、怪しいというデータはどんどん弾いていくデータクレンジングという処理を行なっていますので、間違った情報が残り続けることはありません」
──最新の投稿数はどれくらいでしょうか。
「生きものの種類は約4万2000種で、投稿数は600万を超えています。また、アプリのダウンロード数はリリースから4年半で85万を超えました。会社としての規模は、アプリをリリースした当初と比べると3倍くらいに成長しています」
──アプリが受け入れられた理由はなんだと思いますか。
「自然への興味をお持ちの方は潜在的に多いので、そういうところにしっかり刺さったのかなと思います。このアプリの楽しいところは、種類がわかって終わりではないところです。
自分のライフリストというか、自分が生きてきた中で出会った生きものを写真として手軽に記録保存できる。年月を重ねるほど、自分のフォルダーに生きものが貯まっていく。それもある意味では人生の証です。
生きものライフリストの基本は、今まで何を見て、まだ何を見ていないかです。バードウォッチャーなどは昔からフィールドノートを持って記録していましたよね。図鑑に印をつけてきた人も多いのではないかと思います。Biomeはそれがスマホでできるだけでなく、同じ趣味の人とも共有してわいわい楽しむことができます」
ネイチャーポジティブの普及を支える社会的なツール
──アプリを起動させると『いきものクエスト』というイベント案内がたくさん出てきます。
「エリアや期間を限定したクイズ形式の参加型ゲームです。主催は各スポンサーで、鉄道会社なら沿線の生きもの調べ。自治体ならその地域の生きもの調べがゲームの基本になります。
スマホアプリの便利なところは、市民参加のゲーム型イベントにできることです。クエストで集まった生きもののデータはその場所の自然環境の今を示す生きた情報ですから、地域の環境政策や、企業活動の計画に役立てることができます。
先ほどネイチャーポジティブの話が出ましたが、企業も自治体も自然環境に対して積極的にアクションしなければならない時代に入っているので、関心は急速に高まっています。Biomeというスマホアプリ自体に収益性はないのですが、クエストはうちの収益の柱のひとつです。運営にかかる費用を対価としていただいています」
──クエストの企画はバイオーム側から提案するのですか。
「ほとんどは先方からご相談を受ける形です。じつはうち、外部への営業部隊がないんですよ。連絡をいただいて、お話をする中で企画になっていきます」
──自治体のクエストが意外に多い理由はなんでしょうか。
「ネイチャーポジティブの流れから注目していただいているのだと思いますが、Biomeユーザーって行政の中にも意外と多いんです。企業の担当者の中にもたくさんいらっしゃいます。隠れた生きもの好き公務員・会社員がクエストを広げてくださっているのだと思います」
──バイオームの持つデータの有用性は高いのでしょうか?
「はい。バイオームのデータは精度の高い集合知ですので。実際、アプリからたくさんの新発見がされています。外来種の新規侵入とか、中国地方、関東地方初確認といった感じで。外来種の第一報のような情報は防除計画を立案するうえでとても重要ですし、絶滅危惧種の現状確認などにも役立ちますから、活用の幅も広いといえるでしょう」
──研究者はバイオームをどのように評価していますか。
「大学や研究機関の研究者も調査のために利用しますし、論文に複数引用されています。使用目的が明確で公益性が高い研究であれば、集積データも提供しています」
──クエスト以外の収益事業にはどんなものがありますか。
「先ほどから話題に出ているネイチャーポジティブの流れの中では、いまTNFDという制度が注目されています。企業の生物多様性向上への取り組み姿勢を具体化した企業情報開示です。この対応支援や、希少種の乱獲・盗掘防止対策、植生復元を含む獣害対策の計画立案、その地域の有機農業が生物多様性にどう具体的に寄与しているかなどの効果測定も事業です」
──今後の目標は。
「企業がより良い環境計画を立てるためのデータ活用支援に力を入れていきます。
アプリのほうの次の目標は海外展開です。目下、海外版Biomeの開発を進めています。次のフェーズは、世界中の生きものが、アプリを開くと見えるようになること。生きものを大切するうねりが、地球規模で広がったらとても素敵ですよね。そんな日がやって来ることを楽しみにしています」
撮って投稿するとみんなのデータに
Biomeの楽しみ方
まずはアプリをダウンロードする。起動させてユーザー情報を登録すればすぐに利用できる。登録名はハンドルネームにしている人が多いが、変更も可能。投稿できるのは自分が野外で撮影した生きものに限る。死骸や痕跡でもかまわない。現在のところキノコを含む菌類には対応していない(検討中)。
投稿したい写真を撮影するときはスマホのGPS機能をオンにする。オフだと位置などの基本情報を共有できないためだ。以前に撮った写真は再度地図から位置情報を記して投稿。希少種は自動で非公開となり、他のユーザーに撮影場所を知られることはない。種名を調べる方法にはAIの自動判定と図鑑とがある。調べてもわからないときは質問として投稿すると、他の利用者が助けてくれる。
投稿写真にはレア度から割り出されたA〜Eのランクで点数が付与され、レベルが上がっていく。自分の写真はみんなの図鑑として役立てられるが、生物分類の区分に沿った自分のコレクションバッジにも蓄積される。また、コレクション機能を使うと、いつものフィールド、旅先といった自分なりの分類項目も作成できる。クエスト(本文参照)のほか、公式ブログなどの読み物も盛りだくさんだ。
藤木庄五郎 流〝自然〟で起業したい人への3つのアドバイス
1 )起業動機にお金以外のロマンはどれだけ詰まっているか?
最優先の起業動機がお金儲けだと、儲からない時期をがまんできない。使命感や自分が人生を懸けてもいいと思う課題をお金との両輪に。
2 )社会的課題へのアプローチはヒトの欲求に根差した部分から
「ねばならない」という義務感をストレートに打ち出したビジネスは、多くの共感を得にくい。「面白い」「楽しい」にいかに転換するかがアイデア。
3 )自然系起業の資金集めは関西がやりやすい
関西の投資家はいわゆるマネーゲーム志向ではなく、商人的な永続経営の観点から投資先を選ぶ傾向があり、社会的な取り組みにも理解がある。
※構成/鹿熊 勤 撮影/矢嶋慎一
(BE-PAL 2024年1月号より)