東京23区内、特に山手線の内側はビル街や飲食店街、住宅街ばかり。そう思っている人が多いかもしれません。でも、目を凝らせば東京都心にも「山」はあります。そんな東京の山の世界を、日本で唯一のプロハイカーである斉藤正史さんが案内します。第25座目は、文京区にある小さな富士山をめぐります。
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第25座目「駒込富士」
今回の登山口(最寄り駅)は、JR駒込駅東口。目的地は、駒込富士です。地図で調べると、西口から大通りを歩いていけば簡単な道のりですが、そんなに簡単に登り終わるのも味気ない。駒込エリアはあまり土地勘がないので、あえて自分の気の向くままに歩いてみようと考えました。
江戸火消に信仰された「お富士さん」
地図を見て歩き始めるとすぐ、アサレア通りに入ります。実は、この通りの先に時々泊まる宿があります。この通り沿いには今なお地元のお店が立ち並び、どことなく懐かしい雰囲気です。知っている道をそのまま歩いていくのも面白味に欠けるので、ちょっと裏道に入ることにしました。
住宅街に入り、地図を見ながら歩いていくと、駒込公園が見えてきました。なんと、公衆電話があるではないですか!?すっかり見なくなくなっていたので、あるとびっくりするものですね。懐かしいなと思いつつ、なぜここに公衆電話があるのだろうと考えながら、先に進んでいきます。
今回の目的地である駒込富士は、江戸の富士信仰の拠点の一つとなった富士塚(人工のミニチュア富士山)で、「お富士さん」の通称で親しまれている山です。富士山に見立てた富士塚の上に拝殿もあります。
その始まりは、今から約450年前の1573年。本郷村の名主の夢枕に木花咲耶姫(このはなさくやひめ)が立ち、現在の東京大学の地に浅間神社の神を分霊したそうです。
ん?木花咲耶姫?何処かで聞いたと思ったら、山の神の娘さんで、富士山の守り神として祀られている事を思い出しました。富士山周辺を歩いている時に、絶世の美女だったと聞いた記憶が蘇ってきました。富士塚だから木花咲耶姫を祀っている。なんとも腑に落ちます。
また、木花咲耶姫は火の神様であることから、江戸の町火消の間で深く信仰されたそうです。火消頭の組長などから奉納された、町火消の纏(まとい・シンボルマーク)を彫った石碑が数多く飾られている事でも有名なんだとか。地元の山形で消防団員をしている僕にとっても、何やらご縁がありそうです。
住宅街を歩いていくと、ひときは大きな公園に出くわしました。富士前公園です。公園中央にある築山が、なんとも富士山を思わせるようだと思ったのは、きっと駒込富士を目指して歩いていたからかもしれませんね。
その公園からさらに少し歩き、駒込富士神社にたどり着きました。境内に進むと、奥の方に富士山に見立てた山があり、その上に拝殿(参拝する場所)があります。毎年、6月末から7月はじめの山開きには、夜店が出てにぎわいを見せているそうです。
初夢で有名なあの「一富士、二鷹、三茄子」は、この駒込富士が由来とも言われているそうです。この富士塚の周辺には鷹匠屋敷があり、駒込茄子が名産物であった事に由来するとかしないとか。しかし、残念ながら裏付けとなる資料は無いそうです。でも、あながち間違っていないのかもしれません。火の無い所に煙は立たないといいますし、僕は信じたいなと思いました。
富士塚は、あくまでもミニチュアの富士山です。駒込富士も標高は20数mなので、すぐに登頂してしまいます。でも、その歴史を知り、この富士塚に思いを託した当時の人たちの暮らしぶりなども想像すると、小さな富士山がとても味わい深いものになります。僕も江戸時代の人たちにあやかり、今年も良いことがありますようにと駒込富士に願いを託し、今回の山行を終えたのでした。
次回は「文京区の名庭園の築山」を予定しています。
なお、今回紹介したルートを登った様子は、動画でご覧いただけます。