ビーパルでの好評連載がついに新書化。ゴリラの目を通すことで、人類の未来が見えてくる。
かつては自然を改変するヒト化といっても、環境になれ親しむようなプロセスだった
山極寿一さんは、40年以上にわたりアフリカのジャングルでゴリラの調査をしてきた。この大きな体の類人猿の生態を探るとともに、ゴリラと共通の祖先からどのように進化して、現代人=ホモ・サピエンスにいたったかという謎の解明に挑んできたのである。
そして2021年、長年拠点としてきた京都大学から総合地球環境学研究所(地球研)に移り、所長に就任。私たち現代人の暮らしぶりが理由で起こる地球環境の危機の解決に向け、精鋭たちを束ねていくことになった。
「森の声、ゴリラの目」と題したビーパルでの連載は、地球研所長就任に合わせるように始まった。それが今、新書として一冊にまとまったのだ。
「地球研の所長になったとき、基盤目標に『自然・文化複合による現代文明の再構築』を掲げたんですね。現代は人新世(※)といわれます。もう一度、文明を直さなくてはいけない時期です。みんな、もう後戻りできないと考えています。(※地球の地質年代区分で現代を指す。人類の活動が地球の歴史上、稀に見る影響を及ぼしているとの認識から2000年に提唱された)
もちろん、時間を巻き戻すことはできません。だけど、文明がどこで間違ったのかということを頭に入れさえすれば、違う方向を見出せるはずです。戦争も終わりません。武力による解決は仕方のないことなのでしょうか。私はそうは思いません。違う解決の仕方があるはずなんです。どこかで人類は間違えた。それを700万年の人類史、さらにそれ以前のゴリラと共通の祖先として生きていた時代まで遡り、私たちが立ち返るべき人類の本質を探していったわけです」
こうして産み落とされた連載の文章では、現代人のたくさんの間違いが手痛く指摘された。たとえば、言葉である。私たちは言葉で気持ちを伝えられると思っている。しかし、山極さんは「相手の気持ちを知るコミュニケーション・ツールではない」と断じた。さらに、言葉は「不信や敵意を煽あおる」と警鐘も鳴らした。
「私が長く付き合っているゴリラは言葉をしゃべれません。ゴリラの心の中を知ろうとしても、それは決して理解できないものだと納得して付き合わないと、彼らとは付き合えません。でも、わかるんです。それは、理解することとわかるというのは違うということです。わかるというのは、ストンッと腑に落ちるということですからね。
理解し合わなければ共存できないとなったら、共存はできませんよ。わかり合えるから共存できるんです。森の中でじっと見ていると、そうしたことが次々に発見できます。1週間しか生きない虫と数千年も生きている樹木が、見事に共存している。お互いにわかり合っているとしか思えない」
人類の間違いだけではなく、文明転換の徴候も抽出された
「人間もかつては自然の中で他の生物と共存していたわけです。それがどんどん自然から離れていってしまいました。とりわけホモ・サピエンスは、地球上にくまなく広がっていく先々の環境を改変し、ついには放射性廃棄物、プラスチック・ゴミといった取り返しがつかないような足跡も残してしまった。ただ、当初は改変も緩やかなものだったはずです。
人間が暮らしやすいように自然を変えることを、環境の『ヒト化』という人がいますが、かつては自然を改変するヒト化といっても、環境になれ親しむようなプロセスだったはずです。ゴリラの調査をいっしょにやってきたアフリカの狩猟採集民たちは、いまだに自然の大きな改変はしませんよ。自然と共存しています」
大きな自然改変や戦争の端緒は、農耕・牧畜の開始だろうと多くの人が想像できるはずだ。とはいえ、農耕・牧畜の初期はどんな様子だったのだろうか。考古学者から最新の論文が届いた。そして、その内容を紹介し、さらにそこからさまざまに行なった類推も記されていった。
また、こうした遠い昔の人類の、あるいは今も古くからの暮らしをする人々の、さらにはゴリラの生活様式と比較し、現代の暮らしから、文明転換の徴候が拾い上げられた。それは、私たちが暮らしを変革するための大いなるヒントだ。
「私はゴリラの社会、ゴリラの棲むアフリカのジャングルに暮らす狩猟採集民の社会と現代文明とを行き来してきました。いわばパラレルワールドを生きてきたわけです。今、移住、多拠点生活などを実践している人は私と同じではないですか? となると所有物は少なくなり、家さえもシェアしていこうとします。
農耕・牧畜の社会が発展していった結果、所有が基本になりました。狩猟採集社会では、今も土地さえ所有せずコモンズ(共有地)にしています。ただ、農耕・牧畜が始まってから定住して都市ができるまでに、数千年かかっています。その間、人類は条件が合わなければ違う土地に移動したり、あるいは狩猟採集に戻ったりしていることがわかってきた。
私は現代を『遊動の時代』だと捉えています。私たちが子どものころは、大人になったら自分の家を建てることが夢でした。そういうふうな夢を抱けといわれた。でも、今や新たな家など建てる必要はないですよ。何しろ空き家が900万戸もある。スクラップ・アンド・ビルドではなく、既存のものをデザインし直して使い、社会が劣化しないように脱成長を導く時代です。となれば、農耕・牧畜が始まった時代の、あるいは狩猟採集だけで暮らしていた時代の感性に戻れるかもしれない。いや、戻れる。そう思うんです」
これまで山極さんは、人類の本質的な感性とは共感力だと繰り返し述べてきた。共感力は愛の原動力でもあるが、ひとたび敵意の共有に向かって発動すると、戦争にまで発展させる諸刃の剣だともたびたび記してきた。さて、それをどうしたか。今回、山極さんが以前から持っていた実感、広く生物社会に浸透している感性を、共感力に加えて論じた。この共感力をもう一段階上のフェーズに持ち上げる生物社会の感性とは、利他の精神である。
ダーウィン進化論とは異なる今西進化論の再評価を試みた
「本来、すべて生物というのは利他的に進化し、利他的に生きているんだと思ってきました。私はそれを今西錦司さんから学んだ。私が学生だったころ、すでに今西さんは大学の職を離れていましたが、学会には出てきて活発に議論をしていて、独自の進化論を論じ始めていたんです。
ダーウィンは『競争』『適応』『淘汰』の3つで生物の進化を捉えようとしました。一方の今西さんは『認め合い』『棲み分け』『共存』で生物の進化を語っていったんですね。もちろんダーウィン進化論は間違いではないんだけれども、それは生物のある一面を示しているに過ぎない。生物の本質というのは、今西さんの考えに近いのではないかと思う。アフリカのジャングルの中で非常に多様な生物の営みを見ていると、認め合っているとしか思えない。そしてそこでは、利他の精神が働いている。お互いにわかり合うというのと同じことです。
それから今西さんは、場というものを非常に強調しました。いろんな種が寄せ集まって生きている場、そこに認め合いが起こるんですよ。だから生物は、自分や自分の種のためだけに生きているのではなく、関係性の中で自分の生をまっとうしている、と今西さんは考えたんです。
ダーウィン進化論が生まれる前、自然状態で人間は闘争状態にあったという考えが蔓延していたんですね。それをダーウィンは、すべての生物に適用して、すべての生物は競合状態にあるとしました。それで他者を押し退けて自分たちが繁栄しようとするのが、生物の本質だとみんな思い込んでしまいました。今、そうではない進化論があったのだ、しかもこの日本にと、私たちは考え直すべきときにきています」
山極さんは今西進化論を詳述し、西田哲学まで踏み込んでいった。難解な内容だが、アフリカのジャングルや屋久島の森を歩いた日々の回想とともに記され、旅をしているような感覚を添え、哲学の森へ誘った。
曖昧なものを曖昧なまま捉え、全体をわかるようにすれば生物の本質に近づける
「西田幾多郎の哲学では、自然と文化を分けませんでした。これに今西さんは非常に影響を受けたんですね。私たち自然科学者は、現象を部分に分けて、生物の動きをいったん止めて描き出してきたんです。動きを止めずに描くことは、自然科学の手法では無理です。どうしたって曖昧なことが出てきます。ただ、部分に分けず、曖昧なものを曖昧なまま捉え、全体をわかれば生物の本質に近づける。これも西田哲学に通じます」
こうして編まれた今回の新書は、「700万年を通して築き上げてきた人間の共感力と利他の精神を十分に発揮できる社会が作れるはずである。そのとき、地球は真の意味でい
のちが響き合う惑星になっていると私は期待している」と結ばれる。危機の時代に必携の書の誕生である。
『森の声、ゴリラの目 人類の本質を未来へつなぐ』定価1,012円(税込)
新書版/208頁
人類学者・霊長類学者 山極寿一:著
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著者プロフィール
山極寿一(やまぎわ・じゅいち)1952年東京都生まれ。総合地球環境学研究所所長。京都大学理学部在学時にニホンザルの研究を開始。屋久島では長期調査を行なった。1978年からは並行してアフリカ各地でゴリラを調査。第26代京都大学総長を務めた後、2021年4月より現職。地球研の所長室はゴリラのオブジェが多数飾られている。今回の新書には「私にとってゴリラはカミだ」と記されている。
※構成/藍野裕之 撮影/作田祥一