FILE40は、新宿にかつてあった蜀江山(しょっこやま)
第40座目「蜀江山」
いよいよ大都会新宿です!
東京メトロ大江戸線B17西口登山口からの出発です。
西口を出て、新都心歩道橋を渡ります。歩道橋を渡ると西新宿歩道橋通りに入り、小滝橋通を大久保方向に歩いていきます。
発見したのが、キラーカンの店カンちゃんの人情酒場でした。キラーカンさんは、小さな頃テレビでよく見かけた記憶があります。実は2023年12月30日にお亡くなりになられ、2024年1月で営業を終了するとの事でした。偶然にも見かけたキラーカンさんのお店。プロフィールを見てびっくりしました。僕と同じ誕生日だったのです。生見愛瑠さんに続く2日連続の同じ誕生日の巡りあわせに驚きました。
さて、新宿税務署方向へ歩いていきます。税務署手前の路地を中に入り道なりに進んでいくと、民家の壁に何かプレートが張ってあるのを見つけました。
新宿区指定史跡 西條八十旧居跡と記されていました。新宿出身の詩人で、作詞家で仏文学者、数多くの作詞作品、多くの学校校歌、多くの童謡を発表し、北原白秋と並んで大正期を代表する童謡詩人と称された方だそうです。
そしてこの裏通りにはもう一つ発見がありました。住宅地に佇む、一軒家のようなお店、つく梅という、うなぎ屋さんです。都心にあるうなぎ屋さんとしては結構リーズナブルです。
メインはうな重という、隠れた名店だそうです。残念ながら11時からの営業ということで、僕が通った時はお店が閉まっていました。次回、絶対に行きたいと思います。
このまま、道なりに進んでいくと、蜀江坂の坂下付近に着きます。坂を登っていくと、坂の途中に「蜀江坂」の表記と共に、蜀江山の歴史が記されていました。
すぐ脇に、蜀江公園があったので、もっと手がかりがないか見てみたのですが、残念ながら足跡はありませんでした。ここでいいかと思いつつ、坂を登って蜀江山の痕跡を探してみると、坂を登り切って二股に別れる道の左側に、「蜀江坂」と共に、同じ道標が立っていたのでした。そこから先はどちらの道を進んでも蜀江山の痕跡はありませんでした。
まさか、坂の上と下に道標が2つあるとは思いませんでした。
蜀江山の由来は,天慶の乱の時 平将門(あるいは弟の将頼)が蜀江錦の衣の袖を落としたから、名付けられたとか、江戸時代に3代将軍家光が鷹狩りでこの地を訪れた時、紅葉の美しさを蜀江の錦のようだと賞賛したからという説があります。今となっては、ビルに囲まれたこのエリアに、蜀江の錦のような紅葉があったかどうか知るすべもありませんが、紅葉の美しさが由来になって欲しいと思うのはハイカーだからかもしれませんね。
次回は「新宿西口から登頂する富士塚・成子富士」を予定しています。
なお、今回紹介したルートを登った様子は、動画でご覧いただけます。