以前、ポルトガル・世界遺産の街シントラにある「ドラクエ」の世界のような宮殿の庭をご紹介しましたが、今回は、「まるで天空の城ラピュタ」だとか「ポルトガルの万里の長城」と言われるスポットをご紹介します。
ドラクエにラピュタって、シントラ、いったいどんなところよ? と思われるかもしれませんが、なんせ詩人バイロンが「この世のエデン」と称した世界遺産の街ですからね。いろいろあるんです。
この城跡もアウトドア好きにおすすめの場所です。早速、見ていきましょう!
ムーアの城跡とは?
ムーアの城跡(Castelo dos Mouros)は、8世紀頃からイベリア半島の多くの地域を支配していたイスラム教徒、ムーア人によって、10世紀頃にシントラの丘の上に建築された城砦の跡です。この地の奪還を企てるキリスト教徒との紛争、レコンキスタが激しさを増す中、大西洋まで見渡せるこの城は、海岸線や北の陸地の制御、防衛の統制塔として重要な役割を果たしていたそうです。
ポルトガル王国がシントラやサンタレンを征服したのは、1147年のこと。この地もポルトガル王国の支配下となり、城砦はテンプル騎士団に使われることとなりました。キリスト教徒(テンプル騎士団)が定住すると、イスラム教徒(ムーア人)の区画は次第に姿を消していったのだとか。
そして、15世紀頃にはキリスト教徒とイスラム教徒の紛争も終結。ムーア城の重要性は次第に低くなっていきました。いつしか放棄されてしまった城砦は時の流れにより荒廃し、また1755年の大地震もあって廃墟となってしまいました。
ところが1834年に「アーティスト王」とも呼ばれ、カラフルなペーナ宮殿の建築でも知られるポルトガル王フェルディナンド(フェルナンド)2世によって、19世紀の自由主義、ロマン主義に基づいた城砦の修復&改築キャンペーンが張られます。この修繕を契機にその後も継続的に整備が行われたため、今なお、この歴史ある城砦を訪ねることができます。
ムーアの城跡がシントラの他の宮殿と共に世界遺産に指定されたのは、1955年のことです。
広大な土地に残された城壁
ムーアの城壁は、緑豊かな丘の上に取り残されています。
チケット売り場から城壁までは木々の間を抜けていきます。城跡内も順路など特になく、好きに城壁に上ったり、歩き回ったりできるので、お城の観光に来た、というよりトレッキングに来たかのような気分になります。
かなりの勾配を歩き回ることになるため、体力に自信のない人向きではありません。けれども、逆に言えばひどくは混雑しないということ。これって、BE-PAL読者の方には魅力的ではないでしょうか。
敷地内には、フェルディナンド2世が間違って掘り起こして、キリスト教徒とイスラム教徒の骨を一緒に埋葬することとなったお墓や中に入ることもできる地下貯水槽、博物館として使われている教会、外から敵が入り込むことができたため「裏切りの扉」と呼ばれる脱出口、またカフェなどもあります。
できればゆっくり時間をかけて、あちこち探検したいところです。
至る所で目にする生い茂る木々、苔むした石垣などに、時の移ろいや自然の力を感じるはずです。
雲の上に登ったような眺め
そしてハイライトはなんと言っても、二重に造られたその城壁。標高400から500メートルという丘の上、という時点で既に眺めは良いのですが、高さ10メートル前後の城壁や塔の上に立てば、眼下に息を呑むような景観が広がります。階段を上って、壁の上をぐるりと巡って360度の絶景を楽しんでください。
天候に恵まれれば、丘の上の城壁からは、雲の合間に、シントラ宮殿やカラフルなペーナ城、赤い屋根のシントラの街とそれを包み込むようなシントラの森、リスボン市街、はるか先のマフラ、エリセイラ、また大西洋も眺めることができます。
ただ、シントラはマイクロクライメットでリスボンが晴れていても、曇りや雨、という日もあります。ムーアの城壁周辺は標高が高いため、霧に包まれることも多いです。それはそれでロマンチックな気もしますが、絶景を楽しみたいならば、シントラの天気をチェックしてからお出かけください。また、風が強いことも多いので、ウィンドブレーカーなどがあると重宝しますよ。