
FILE51-2は、いよいよ箱根山地区箱根山です。
第51-2座目「山手線内最高峰、箱根山地区編」
多く建てられた都営アパート
後半は、明治通りから箱根山地区へと入っていきます(前半はこちら)。マクドナルドの脇の細い道を進んでいくと、住宅地が現れてきます。右手には多くの都営アパートが軒を連ねています。
なぜ都営アパートが多く建てられたか、それは、やはり戦争がきっかけになったようです。戦後、住宅不足に困っていた東京都に対し進駐軍が建設資材を提供し1949 年に 1052 戸の水洗トイレ付木造住宅(平屋)を建築しました。 その後1968 年頃からは鉄筋高層アパートへと改築が始まり、現在のような大規模住宅群となったそうです。

右手に都営アパートか多く建っています。
箱根山へのアプローチ
通りを進んでいくとアパートの奥にひときわ大きな箱根山地区の公園が見えてきました。ここから箱根山へのアプローチが始まります。箱根山への登山ルートは複数あり、山上部の山頂へのアクセス路は3つあります。今回は一気に登るため、ほぼ直登に近いルートを選択しました。最短で山の上へ上へと登って行きます。
少し体が温まり、額に僅かに汗が滲むころ最後の山頂へのアタックに入りました。少し高い階段を勢いを消さずに登りきると山頂には、山頂を示す三角点と標高を示す44.6という数字が刻まれていました。山頂中心部にはベンチ設置されていて、見渡す限り桜の木で囲まれています。実は箱根山は桜の名所としても有名な山だったのです。
箱根山の歴史
江戸時代、徳川御三家の一つの尾張家の下屋敷で、戸山山荘といいます。この下屋敷は尾張家二代藩主徳川光友が済松寺開祖祖心尼から土地を譲られ1668年に着工。総坪数は十三万六千ほどで、東京ドーム約10個分にも相当したそうです(東京ドーム10個分が想像できませんね)。
回遊式庭園の中に二十五景をしつらえ、小石川の水戸家の後楽園と並ぶほどの名園だったそうです。 箱根山は、回遊式庭園「戸山荘」として整備された際に、池を掘った残土を積み上げ固めて造成された築山「玉円峰(ぎょくえんぽう)」と伝えられています。
また、戸山荘の庭園ほど築山の多い大名庭園は珍しく、主要なものを挙げると玉円峰、乾山、拾翠台、大石山、錦明山などがあり、中でも玉円峰は当時も庭園内で一番高い築山で、唯一箱根山としてその形を現在に留めているのです。

箱根山三角点と山頂のモニュメント。
戸山公園の歴史
明治維新後、戸山荘は明治政府に明け渡されました。跡地には1873年に陸軍戸山学校が開かれ、太平洋戦争終結まで、陸軍軍医学校、陸軍の練兵場などに利用されたそうです。陸軍戸山学校用地となった頃から「玉円峰」は「函根山」「箱根山」と呼ばれるようになりました。
終戦後、軍事施設はすべて廃止され、跡地は米軍兵舎として接収されました。その後跡地は国有地となり、米軍兵舎の払下げ資材で建てられた木造の都営住宅戸山ハイツとなり、団地が作られ、また跡地の一部は1954年に都立戸山公園・箱根山地区として開園したそうです。

公園の案内板。
この地区に学校が多くある理由は?
陸軍学校があり、様々な研究がされていた事もあり、周辺にはしだいに教育施設が建てられたそうで、現在では大学や高校といった文教施設、社会体育館や障害者センターなど公的な施設が多いそうです。
ちなみにオススメのお店はここ
ちなみに、戸山公園大久保地区入り口に面したビルの1階に立ちスパ、「アッパーカット」というパスタ屋さんを発見しました。格闘技好きには知られているそうで、店主さんは元プロボクサーだそうです。安い、美味い、盛りよしと三拍子揃っています。パンチのあるミートソースは病みつきです。こんな店が近くにある早稲田の学生さんがうらやましい。

アッパーカット
プチ情報
箱根山の麓の旧陸軍戸山学校 野外演奏場跡では、月に数回屋外演劇が開催されていいます。僕が歩いた時も公演まっただ中でしたよ。興味のある方はぜひ!

旧陸軍戸山学校 野外演奏場 屋外演劇祭の看板とステージ。
春は桜、秋はコズミック通りの銀杏並木の紅葉が楽しめる箱根山。皆さんのお好きな登山口(駅)から自分オリジナルのルートで歩くのも面白いですよ。面白い発見があるかもしれませんね。
次回は、FILE52RE愛宕山です。