ラロトンガ島の中心部は鬱蒼としたジャングルに覆われ、夜になれば濃密な暗闇が島を包み込む。そこにはいまだ多くの精霊たちが住んでいるとされているのだが、その精霊たちと会話ができる人がこの島には住んでいる。名をパという。パさんの年齢は70歳。いつも腰につけた布一枚だけで裸同然で生活しており、その特徴的な髪型はココナッツの葉を編んだ腰蓑を被っているように見える。
パさんはポリネシアの伝説や精霊に精通しており、他の島々から呼ばれ、儀式を行いに行くことが多い。ハワイに火の神様のペレがいるが、その神様は怒りっぽく、その怒りを静めるためにペレの心臓を隠さなくてはならないとされている。パさんはハワイに訪れた時、現地の人からそのペレの心臓を託され、ラロトンガ島に戻ってきてのある場所に隠したという。その他にも、イルカと一緒に泳いでタヒチまで行ったこともあるという。その真偽は別にして、話しを聞く限り、もはやパさん自体が伝説化している。
そのパさんに案内してもらいながら、島を歩いて縦断した。パさんはこれまで5000回近くも縦断をしているという。
まずは島の北側にある登山口まで車で行き、そこから森のなかに入っていく。森の木々は複雑に絡み合い、ところどころ木漏れ日が木々をまだらに照らしていた。
パさんは森に入る前、お祈りをする。森に住む精霊に、人が立ち入ることを伝え、そして感謝をする。目を閉じ、ポリネシア語でつぶやく。森に入ってしばらくすると、木々が少なくぽっかりと空いた広場のような場所があり、そこに大きな岩がある。その岩は直径7メートルほどあるのだが、その表面に深い溝が交錯していて、何かしらの紋様に見えなくない。ポリネシアでは岩は信仰の対象となっている。かつての航海者たちは新たな島に辿り着くたびにその島の岩を持って帰ってきた。また各島にはマラエと呼ばれる古墳のような場所があり、それは祈りの場として神聖視されている。
パさんはその岩の前に立つと、手を合わせ、目を閉じる。そしてまたしても祈る。腰に付けた布にティアレの花を編んだ首飾り。その祈りの姿は森の一部のように見える。
岩を過ぎると、急な登りになる。息を切らせながら歩く。頭上を見上げると、1メートルを越す巨大な枝豆のようなモダマがぶら下がっている。モダマの堅い種は、紐を通して伝統的な踊りをする際のネックレスにするという。
足下を見ると、ハイビスカスツリーの黄色い花がところどころ落ちている。この花はスノーケルをするときのマスクの曇り止めに使うらしい。そして、ふとパさんが足を止め、足下にあるこれはなんだと思う? と尋ねてきた。5センチほどの花のつぼみのようなもので、赤茶色の小さなホヤにも見える。パさんはそれをひとつ掴み取り、頭の上に持って来て、握り潰した。するとなかから水が出てきて、それで体を洗った。それはシャンプーフラワーと呼ばれている植物で、その花に多くの水を蓄え、昔の人はそれを森で体を洗う際に使っていたという。水は爽やかな花のかおりがして、体を洗うとしばらく清涼感があたりに漂った。
1時間かけて登り切ると、目の前にニードルロックが現れる。その姿形はまさに男性のシンボル。ちなみに島の東側にあるムリのラグーンには女性のシンボルがあるという。それは対になっており、時折、不妊に悩む夫婦がパさんを訪れると、女性をニードルロックに、男性をムリのラグーンに連れて行くのだという。ラグーンには大シャコ貝があり、他のポリネシアの島同様、それが女性のシンボルなのかもしれない。
パさんはここでもいつものポーズで祈りを捧げる。そのポーズをしていないときのパさんは、いつもにこやかで笑顔である。しかし、神聖な岩を前にしたときと、カメラを向けたときだけは、祈りのポーズをする。どれだけ普通に世間話をしていようが、ぱっとカメラを向けた瞬間に、いやその気配を感じただけでも、パさんはおきまりの表情と格好をするのだ。私はなんとかパさんの素の表情が撮れないかと何度かトライしてみたが、島を縦断する3時間の間に、ついにその機会を得ることはなかった。
ニードルロックを越すと、あとは下り。森をかき分け、小川を渡り、最後にウィグモーの滝に辿り着き、滝壺に飛び込んで汗を流すと、あとは海まで10分。それで島を縦断したことになり、島の南端に辿り着く。
神聖なる森を越えた先に見たラグーンは、どこまでも澄んで見えた。
次回に続く。
写真・文 竹沢うるま
(プロフィール)1977年生まれ。写真家。
ダイビング雑誌のスタッフフォトグラファーとして水中撮影を専門とし、2004年よりフリーランスとなり写真家としての活動を本格的に開始。2010年〜2012年にかけて、1021日103カ国を巡る旅を敢行。写真集「Walkabout」(小学館)と対になる旅行記「The Songlines」(小学館)を発表。2014年第三回日経ナショナルジオグラフィック写真賞受賞し、2015年に開催されたニューヨークでの個展は多くのメディアに取り上げられ現地で評価されるなど国内外で写真集や写真展を通じて作品発表。世界各地を旅しながら撮影をし、訪れた国と地域は145を越す。近著にチベット文化圏をテーマとした写真集「Kor La」(小学館)や「旅情熱帯夜」(実業之日本社)がある。