どうも。私の名は橋爪ヨウコ38歳。身体は熟れてきているが、女としても芸人としてもなかなか売れずにいるお笑い芸人だ。
大型バイクに乗り始めて数年。ふと「でけぇ山を走りたい!」と思い立ち、様々なトラブルや高山病に見舞われながらも、インドのヒマラヤにやってきた(これまでの話は記事最後の「あわせてよみたい」を参照)。
そして“標高5600m超!車やバイクで走れる世界一標高の高い峠越えを達成”そして“ヒマラヤ山脈の雪が解け、自然発生して出来た川下りも怪我なく走り終えた”のである。
…それが、まさかのまさか、ヒマラヤツーリングを開始してたった2日目の出来事。すでにヒマラヤツーリングをゴールした気分になっていたのだが、過酷なツーリングは、むしろこの後から本格的に始まったのであった。
過酷なツーリングはまだ始まってもいなかった…のか!?
ヒマラヤツーリングを開始して3日目。ヒマラヤ山脈は色んな顔を持ち合わせている。今日も初日に負けじと、標高5200mを軽く越えた場所まで行くらしい。
「なるほど。今日はそこまで行くのね」と、隣町のスーパーに買い物にでも行くぐらいのテンションで答えた。もうすでに標高5600m越えを達成した今となっては、5200mと聞いても驚かなくなっていたのだ。慣れって恐ろしい。
ふふふ、2日目にしてすでに過酷なツーリングに耐えられたから、もう怖いものはない!と思っていたのだが…。
ただ、今回恐れている事が一つあった。宿泊先が標高4500mを越える場所なのだ。
さっき5200m越えでもスーパーに行くぐらいのテンションだったのに、「700mも低い場所なんだから余裕だろ!」と思った、そこの君。
私もそう思っていたのだが、高山まで行って帰ってくるのと長時間滞在するのとでは、実は雲泥の差があったのだ。標高5600m越えを達成した時も「長くても滞在時間は15分。すぐ降りましょう!」と、身体に影響がないよう、なるべく早く下山するよう言われていたくらいだ。
確かに標高5600m越えの場所は、少し歩いただけでもふらふらする。10分もしないうちに頭痛がし始めたので「このままでは体調不良になり、高山病になるぞ」と肌で感じていた。
ヒマラヤに限らず、標高の高い山に登る時は一気に登らず、少しずつ登っては下山してを繰り返し身体を高地順応させ、登頂を目指すと聞いていた。
今まで4000mを越えない場所まで下山し寝泊まりしていたが、今回は標高4500mの場所で一泊する。そこに長居するという事は高山病にもなりやすい。
しかも、私はヒマラヤツーリングの出発地点だったインドのレー(標高3600m)に飛行機で到着してすぐ高山病になってしまった経験がある(※爆夢旅4を参照)。その時も時間をかけて高地順応してきたおかげで、今、何とかヒマラヤ山脈を走ることが出来ている。
飛行機をおりてすぐこの状態に…。
「ヤバイよヤバイよ」
そんなナチュラルに出川さんが登場してしまうほど、高山病がトラウマになっていた。ツーリングが出来なくなる…。体調不良になる事よりも、ヒマラヤまで来てバイクに乗れなくなるという事のほうが恐怖だった。
ついについに…立ちゴケ、そのときメカニックの皆さんのありがたさを知る
夜になるのが怖く感じながらも、ヒマラヤツーリングを開始。今日も今日とて道の概念を覆していく過酷なオフロード。ガタガタ道にハンドルを取られまくる。「…あ、ダメだ!」とそう思った矢先、ついに、立ちゴケしてしまったのである。
すぐにツアーで同行してくれているドクターとメカニックの方が駆け寄ってきてくれて「ケガはないか?」と心配してくれた。ケガはないが、バイクのシフトレバーが折れてしまっていた。
「どうしよう…」と落ち込んでいるのも束の間、ロイヤルエンフィールドのメカニックの方がレバーを新しいのに変えて、ハンドルの位置もパイプで直してくれた(なかなかのストロングスタイル!)。
残念ながらシフトレバーが折れちゃった…ガクッ。
頼もしいメカニックのお兄さん。
その時間、約5分間。手際の良さったるや。プロの仕事を間近で見る事が出来た。メカニックの方にも、立ちゴケしてしまった申し訳なさで、すぐに謝った。
「sorry…」
『ノーノー!ノーソーリー!』
「(あ、ここはありがとうか!)センキュー!」
『ノーセンキュー!これが僕の仕事だよ』
とそう言いながら去っていった。きゃー!!カッコイイ!!ちなみにインドでは「ノーソーリー・ノーサンキュー」という言葉がある。〝親しき仲にそんな言葉はいらないよ″という意味らしい。それにしても「僕の仕事だよ」という言葉は何てカッコいいのだろう。自分の仕事に誇りを持っているからこそ言える言葉である。
私も芸人の仕事に誇りを持っている。なので今度誰かが笑ってくれたら「ふふ、これが私の仕事だよ」って言ってみようと一瞬思ったが、芸人が使うのはちょっとダサすぎる気がしたのでやめておく事にした。言わない美徳もあるだろう。
こういう時ほど「ツアーで参加して良かった」と心から思った。
メカニック、ドクター含めたスタッフさんたちのおかげで生きて帰ってこられました。
最初はツアーではなく個人でヒマラヤを走ろうと思っていたが、1人だったらどうなっていたことか。考えるだけで恐ろしい。困った時に助けてくれるロイヤルエンフィールドのツアースタッフ。そして何より「大丈夫大丈夫!」「いけるいける!」とプラスの言葉をかけてくれる仲間がいた事。
それが今回の過酷なヒマラヤツーリングにとって大きな力になっていた。
朝8時から走行すること11時間。標高5200m越えを達成し、4500mの宿泊先に到着。疲労感から身体はボロボロになっていたが、意外と体調は悪くない。着いてすぐ、ツアーメンバーたちと「頑張った!頑張った!」「良かった!良かった!」とお互いを労いながら明日のヒマラヤツーリングに向け、すぐ休む事にした。
するとインド人のドクターが一言。
「湖まで15分。歩いて見に行かないか?」
鉄腕アトムのTシャツを着た小柄な可愛らしい女性。今回の旅で1番タフで明るいドクターだ。「流石にそんな余力は残っていない…しかも私は夜が怖いの」と言いたいところだったが、《ノーとは言えない日本人》の私。こう答えた。
「イェーイ!」
せっかくヒマラヤに来ているからという〝ヒマラヤハイ″になっていたのだろう。この湖まで15分の散歩が、まさかあんな悲劇を呼ぶなんて…。
この湖に歩いていったことが、あんなことになるとは!
次回に続く!