“日本初”が多い港町ヨコハマ。ビールの日本初醸造も横浜だ。今では10近いクラフトビールブルワリーが切磋琢磨するこの地をベースに、世界のクラフトビールシティをめざす横浜ベイブルーイングの鈴木真也代表に話を聞いた。
本場チェコのピルスナーに魅せられて
横浜市出身の鈴木さん、ビールの世界に入ったのは2005年のことだった。1997年創業の横浜ビールに入社して、醸造の技術を磨いた。醸造長を3年務め、2011年に独立。横浜ビールからほど近い関内の吉田町に横浜ベイブルーイングをオープンした。
鈴木さんは、ピルスナーが一番好きだと言う。ピルスナーとはチェコのブルゼニという街で生まれたビールのこと。ドイツ語ではPilsen、ピルゼンと呼ばれる。ピルゼン生まれだからピルスナー、世界でもっとも愛されている黄金色のビールである。日本で飲まれている大手ビール会社の主力もピルスナーである。
しかし、日本のピルスナーとチェコ本場のそれとは、やはり違う。製造法など詳しいことはわからないが、飲んでみれば明らかに違う。
ピルスナーの元祖とされるブルワリーが「ピルスナーウルケル」だ。そのまま元祖ピルスナーという意味である。そのピルスナーと鈴木さんの出会いは横浜ビール時代。先輩のツテでフレッシュな「ピルスナーウルケル」を飲む機会があった。
「これに感動しました。年に一度、輸入されてくるので、それからは毎年、できたてのピルスナーウルケルが届くのを楽しみにしていました」
このビールを造りたい! しかし。
「醸造を3年もやっていれば、だいたいのビールの造り方はわかるようになるのですが、ピルスナーウルケルの造り方はまったくわからなかった」と言う。
そして鈴木さんはチェコへビール修業に出た。自腹だった。知り合いのホップ業者から紹介されたブルワリーに入り浸り、それ以後、師匠となるマトゥーシカさんに仕込みから貯蔵まで、べったり貼り付いて学んだ。
2000年代の終盤、日本ではまだクラフトビールのブームなどないし、ブルワリーが造っていた多くはエールスタイル。大手と同じラガースタイル(ピルスナーはラガーの一種)を造っても差別化できないし、製造期間の長いラガーはエールよりもコストが高くつくという事情もあっただろう。しかし鈴木さんは、「ぼくはちょっとひねくれ者なので(笑)、他の人がやっていないビールを造りたくなった」
チェコから戻り、本場で身につけたピルスナー造りを始めた。幸い、横浜ビールの醸造設備はピルスナー造りに向いていた。
鈴木さんが造ったビルスナーはビール好きの喉にしみわたり大好評。他のビールも含めてだが、ブルワリーの出荷量が2倍に伸びるあたりで独立を果たした。
「30代のうちに独立すると決めていたので」。それが2011年だった。日本一ではなく、世界一のピルスナーをめざしての創業だった。
ブルワーたちのコンペティションをフェスと同時開催
毎年、国内外でビールのコンペティション(審査会)が開かれ、盛り上がっている。日本の主なコンペティションはIBC(インターナショナル・ビアカップ)、ジャパン・グレートビア・アワーズ(JGBA)、ジャパンブルワーズカップ(JBC)などだ。
そのジャパンブルワーズカップの主催者が横浜ベイブルーイング。発起人は鈴木さんだ。横浜ベイブルーイングの創業から3年目の2013年のこと。ビアフェスも同時開催されるのが特長だ。参加者は年々増えて、2024年は来場者1万1000人を超えた。出店は38者、出品ブルワリーは130者、出品銘柄は515を数える。そして審査員のブルワーは139人。醸造家自身が審査するのがジャパンブルワーズカップの特徴だ。
「もともとイベントを仕掛けるのが好きで。横浜ベイブルーイングを立ち上げた翌年、オープニングイベントを横浜の万国橋SOKOで開いたら、1200人ほど集まってくれて。もっと大きくできるな!と思い、ビアフェスに審査会を併せて企画しました」
審査方法には「チェコ方式」が採用されている。
「アメリカの有名なワールドビアカップ(WBC)では、審査員が3〜7人ずつで卓を囲んでディスカッションしながら評価していきます。チェコ方式はノーディスカッション。審査員が各自、ビールの順位を記入するだけ。アメリカ方式だと声の大きい人の意見が通りやすくなるきらいがあるので、日本人には向いていないなと思っていたんです。チェコ人もわりとシャイというか、口下手なところが、日本人気質に近いものあるかもしれないです」
スポンサー集めにも力を入れる。ジャパンブルワーズカップは出店費用が最小限に抑えられ、ブルワリーには「利益が出るビールフェス」として知られる。フェスはビールファンにとって気軽に新しいビールと出会えるいい機会。ブルワリーにとってもファンにとっても参加しやすいフェスになっている。
次に鈴木さんが考えているのは、ビール業界の見本市“ブルーエキスポ”の同時開催である。
アメリカのワールドビアカップでは、クラフトビアカンファレンスが幕張メッセのような大会場で同時開催される。その中でホップや酵母などの原料や醸造設備などの見本市も開かれる。このスタイルを日本でもできないか? というわけだ。
「ビールファンにはフェスを楽しんでもらい、ブルワリーや関係業界にとっても価値あるイベントにしたい。年に一度、日本から、いや世界から横浜に集まるようなイベントにできれば」と夢を語る。
見本市がセットで開かれれば、日本各地からブルワーが集まる。サプライヤーが国内のみならず、世界から集まる……ようになれば、自ずとビール造りのレベルアップが期待できるし、ビールファンも増えるだろう。
球場で自分のビールを売りたい!が現実に
現在、横浜ベイブルーイングのビールは横浜スタジアムの定番ビールになっている。プロ野球の球団で初めてオリジナルビールをつくったのが横浜DeNAベイスターズ。2016年のことだ。
「子どもの頃から球場で観戦するのが大好きでした。ビールの仕事をするようになってからは、いつか野球場で自分が造ったビールを売りたいと思っていました」
その夢への道が開けたのが2015年だ。球団の親会社が変わり、運営方法も変わる中、夏のイベント向けにオリジナルビールを造ってくれないかと球団からオファーがあった。イベント開催まで数週間しかなかったが、「エールなら造れます。ぜひやらせてください」と、鈴木さんは二つ返事で引き受けた。「ベイスターズ・エール」の誕生だ。
「野望がかなってよかったー(笑) と喜んでいたら、翌年から定番で、場内で売りたいというオファーをいただいたんです」
そして2016年、「ベイスターズ・エール」が球場内で飲めるようになった。さらにプロ野球名物ともいえるビールの売り子も登場。スタンドで樽を背負ってのビール販売は日本独自の文化だけに、「世界初のクラフトビールの売り子が横浜スタジアムで誕生しました」と、鈴木さんはうれしそうだ。
大好きな球場で自分が造ったビールを売る。そんな夢のようなことがプロ野球で実現した。今では楽天イーグルスや日本ハムファイターズでも、クラフトビールブルワリーとタッグを組んだオリジナルビールが見られる。ローカルな球団をローカルのビールで観戦する。野球ファンにもビールファンにも魅力的だ。
いま、横浜の中心部(みなとみらいや関内エリア)には複数のクラフトビールブルワリーがある。有名なインポーターがあったり、大量のクラフトビールを取り扱うコンビニが観光名所になっていたりと、日本有数のクラフトビールエリアになっている。
歴史をひもとけば、1870年、日本初のビール醸造所は横浜の山手に生まれた。それから150年余り。
現在、横浜ベイブルーイングは戸塚に醸造所を構え、関内、戸塚駅前にレストラン・バー、日ノ出町には蒸溜器を備えた横浜ジン蒸溜所(タップルーム)を持つ。
戸塚の醸造所は、戸塚駅からバスを使って20分ほどかかる場所にある。
「醸造所を戸塚にしたのは、たまたまいい物件があったからなんですが、月1回のペースでタップルームを開いたら、たくさんの人が来てくれるんです。毎月、楽しみに来てくださる方もいます。ここで初めてクラフトビールを飲んだという方もいます。戸塚の人にも愛されているんだと、予想外のうれしい発見でした。戸塚周辺にはまだクラフトビールを樽で置いている店がないので、こんなにファンがいるならと駅前に戸塚店を開きました」
6月20日には横浜駅に新店舗がオープンする。横浜というハイブランドの土地で、日本のクラフトビールの魅力を発信する、その真ん中に横浜ベイブルーイングはいる。次にどんなことを仕掛けてくるのか楽しみだ。
横浜ベイブルーイング 神奈川県横浜市中区福富町東通2-15 1F
https://www.yokohamabaybrewing.jp