長崎市公式観光サイト案内ページ(https://www.at-nagasaki.jp/spot/150 )には、この銅像までの交通アクセスは『JR長崎駅前東口から長崎バス「風頭山」行で約20分「風頭山」下車、徒歩約5分』とありますが、むろん元気のある人は歩いても行けます。竜馬やその仲間たちが歩いたであろう坂道を、私も歩いてみました。
長崎市街をドヤ顔で見下ろす坂本龍馬像
密林(?)に潜む東京タワー並みの階段数
私は実は歴史オタクです。というより、司馬遼太郎マニアです。中学生の頃に不朽の名作「竜馬がゆく」に出会って以来、司馬さんの膨大な著作コレクションを読み漁り続けて現在に至ります。私の頭の中に描かれた日本地図はすべて司馬作品の舞台で埋め尽くされています。きっと、そんな日本人は私以外に100万人以上はいるでしょう。
長崎はそんな私にとって一度は訪れてみたい土地でした。竜馬が日本初の株式会社であり私設海軍でもあった「亀山社中」の本拠地を構えたのが長崎でした。と、「竜馬がゆく」に書いてあったからに他なりません。
一般的には、長崎と言えばグラバー邸や出島などが有名です。どちらも市街地の中心部に近く、大勢の観光客で賑わっています。それらに比べると、やはり観光の目玉であるはずの「竜馬ゆかり」の各スポットは人影がやや少なく、ツーリスティック度はいささか低いようです。もちろん、私のような偏屈なアウトドア派にとっては、そちらの方が好ましいことは言うまでもありません。
かつて日本3大遊郭のひとつとも呼ばれた丸山界隈。「行こか戻ろか」で有名な思案橋を迷うことなく通り過ぎると、お寺の石垣脇に立てられた風頭公園の案内板が見えてきます。
山頂へ登るルートはいくつかあるようですが、私はもっとも近くにあった「彦馬通り」を選びました。上野彦馬と言えば、有名な竜馬の写真を撮ったカメラマンです。「胡蝶の夢」にも出てきた、この幕末人のお墓も司馬ファンなら見逃すわけにはいきません。
案内板によると、そこから竜馬像までは570m(階段590段)とあります。大した距離ではないな、と考えたのは愚かでした。距離だけを見て、()内の階段数には注意を払っていませんでした。後で調べて分かったことですが、東京タワーの外階段は約600段とのこと。ほぼ同じ段数なのです。
はたして、歩き始めるとすぐに階段が始まりました。階段よりむしろ石段と呼ぶべきでしょうか。古い墓地の中を通っていきます。上野彦馬以外にも、高島秋帆や楠本イネといった幕末の名士もこの周辺に葬られています。
さてこの石段、登るにつれて、段々と険しくなり、狭くなり、そして周辺の雰囲気がワイルドになっていきます。木々の緑が濃くなり、雑草が猛々しく茂り、人の気配も消え、墓石に刻まれた文字は認識不能になってくるのです。江戸時代の人が見た風景とあまり変わらないのではないか。そんな風にも思えてきます。
私はアウトドア派を自称していますが、しょせんは軟弱な都会育ちです。行ったことはありませんが、まるでジャングルに迷い込んだような気すらしてきました。それにしても、長崎の人はこの道を歩くことを「おさんぽ」と呼ぶのでしょうか。そもそも、これは道なのでしょうか。
幸いなことに、そんなことを考えながら歩いていた時間はそれほど長くではありませんでした。570mという距離そのものは間違ってはいないようです。バテバテに疲れた、というほどではありませんが、かなりの運動量には違いありません。
竜馬たちが亀山社中の本拠地にしていた借家はこの山のかなり高い場所にあります。長崎の街、とくに丸山に繰り出すときは、この山を上り下りしていたはずです。行きはともかくとして、酔っぱらった後にあの石段を登るのは、さぞかし大変だったことでしょう。昔の人はタフでした。
山頂に建てられた竜馬像は長崎の街を見下ろしています。なんとなく、「ここまで歩いてきたぜよ」とドヤ顔をしているようにも見えるのは気のせいでしょうか。竜馬はともかく、私はそう自慢したくなりました。
丸山から見て竜馬像の向かい側から山を下りると、「竜馬通り」と名付けられた坂があります。周辺には竜馬ゆかりのスポットが点在しています。
幕末の歴史を感じながらのハイキング。同好の士にはぜひおススメしたい旅の選択肢です。
長崎市公式観光ガイド[龍馬ゆかりの地、長崎 坂本龍馬好き必見!幕末の足あとを辿る]