アパラチアントレイル最終章 ビバルマントラックの旅 vol.017
先にシェルターに避難していた彼女は、「ひどい天候で動けなかったの」と言っていました。大丈夫か聞くと、「大丈夫」とか細い声で返してくれました。
僕は、ひとまず上段の雨の当たりにくい壁側にバックパックを置きました。着替えたくても、隣に女性がいるし、暴風雨が入ってきていて無理。
とりあえず、僕もどうしていいか分かりませんでした。そしてみるみる内に、体の冷えていき、下着まで完全に濡れていたのでした。吹き付ける風が、シェルター内を回遊する。ますます体が冷える。
僕は、いつでも着替えられるように、バックパックからドライサックを取り出し、雨の当たらない場所に置きました。
小一時間位すると、風が多少収まり、少し青空が見え隠れし始めてきたのでした。
次第に雨がなくなり、暴風に変わっていくこのタイミングで彼女がシェルターのトイレにいったので、隙をみて着替えをすると体は完全に冷え切っていました。
彼女は1泊2日で歩いているバリンガップに住むハイカーだったので、ある程度雨が止んだ時点で出発していったのでした。僕は、彼女が過ごしていた方の上段が風と雨が入りにくい事を知り、場所を移動して体を温めるためにコーヒーを沸かしました。
シェルター内部の下の床は水浸しでした。きっと、この暴風雨では、ハイカーが歩くはずがないと思っていました。
雨交じりの暴風は続いていたが、降ったり止んだりを繰り返すうちに、雨の時間がどんどん少なくなってきて、夕方になると日が差し始めた事もあり、暴風の力でシェルターも干していた服も乾き始めていました。
それでも、お昼の暴風雨が入り込んでいた光景を覚えていた僕は、シェルター内に念のためテントを張りました。夕方5時一気に日が傾き始めたころ、予想外にも1人のハイカーがシェルターに入って来たのでした。
挨拶をすると、「あなたがMASAなのね、私もグリフィンです」といって握手を求めてきます。
彼女は、ウルトラライト系のハイカーで、見た感じは30代後半でしょうか?1日に40キロほど歩いているそうでした。そして僕が仲良くしてきたハイカーたちほぼ全員と会って、僕の話をよく聞いていたんだそうです。
もちろん、僕がコリーに行く前、一緒に歩いていたグリフィンと以前からの知り合いだそうで、彼からも僕の事を聞いていたと話してくれました。
彼女自身、カナダやイギリスでワーキングホリデーをしていたり、日本にも知り合いがいて、日本での登山やハイキングもしていたようです。
日本の事についても詳しく、色々な地域を巡っていた彼女英語は、オーストラリア人特有の癖はなく、とても聞きやすい英語だったため、より話し込んでしまいました。話は、グリフィンがこの後チャレンジするテアラロアやグリフィンが一番歩いてみたいと思っているPCT(パシフィック・クレスト・トレイル)までおよび、シェルターで真っ暗になっても話は続いていました。
しかし、外は相変わらず強風が吹いたり、小雨が降ったりと不安定な天候が安定することはありませんでした。
つづく
【Profile】斉藤正史
山形県在住
LONG TRAIL HIKER
NPO法人山形ロングトレイル理事
トレイルカルチャー普及のため国内外のトレイルを歩き、山形にトレイルを作る活動を行う。
ブログ http://longtrailhikermasa.blog.fc2.com/
山形ロングトレイル https://www.facebook.com/yamagatalongtrail