アパラチアントレイル最終章 ビバルマントラックの旅 vol.019
あれから3日間、僕とグリフィンの一緒の歩きは続いていました。この区間は、雨が10日間も続いていたこともあり、ほぼ毎日同じ数人のメンバーでシェルターは満室でした。
そんな中、グリフィンが雨で大幅に遅れた予定を取り戻すために、雨の中出発していきました。僕がグリフィンと別に歩き始めると、周りの人たちはカップルで歩いているのだと思ったと口々に言うのでした。
僕はこの頃、ロイというおじいちゃんとも知り合い、グリフィンとロイの3人で話をすることが多かったように思います。
僕とロイとも予定はほぼ一緒でした。グリフィンを2人で見送った後は、ロイと、夫婦とそのお兄さんの3人組と毎日同じシェルターで過ごすことになったのでした。僕は、この区間はあまり無理な行程を組んでいなかったので、ゆったりしたスケジュールで歩いていました。あまり早くゴール地点に着いても、飛行機の予約日の都合もあり、逆に困ります。予定通り歩ければそれでいいのでした。
ロイは、若いころに、再整備される前のビバルマン・トラックを歩いたことがあったそうです。水場もシェルターもなく、とても歩きにくかったと言っていました。それが、再整備後は美しいカリーの森をあるける良い道になり、自慢できる道になったと言っていました。
そんなロイとも、ペンバートンのホステルで別れが待っていました。僕はゼロデイを取り、ロイは出発していきました。その日は広いホステルに、2人だけでした。お互いの予定を教えあいましたが、同じようなペースだけにきっともう会うことはないのかもしれないとお互いに感じていたのかもしれません。ロイが出発する朝、見送り、これからは一人で歩くのだろうと感じていました。
ゼロデイにしたこの日は、ドネリーリバービレッジからよく一緒になる、日本アニメオタクのオーストラリアカップルがホステルにやってきました。そのほかにも、一般の宿泊者がいてにぎやかになっていきました。そして、ここでオタクカップルから衝撃的な事実を聞くのでした。
「MASA、ガイドブックと地図の距離が随分違うよね?」まさか、と思い見てみると、おおむね2kmほどガイドブックの方が距離が長いのでした。彼らが言うには、地図の発行年と、ガイドブックの発行年では、ガイドブックの方が新しいから、きっとガイドブックの方が正しい距離だと思うよ、ということでした。
僕は基本地図に表示されている距離で歩いていました。どうしても埋められなかった感覚的距離の違いの原因がはっきりしたのでした。まさか、地図とガイドブックで距離が違うとは、考えもしませんでした。この後から、ガイドブックで距離を確認してから歩くと、概ね予測通り到着するようになったのでした。地図とガイドブックを頭から信用することは怖いことなのかもしれませんね。
この夜は、ドイツ人の女の子とスペイン人の女の子と僕が同じ部屋でした。普段泊まる男くさい部屋とは違い、入るたびにいい匂いに包まれるのでした。
オタクカップルはペンバートンで3日ほど休むそうです。僕はいつものように5時頃に起きて、6時には出発しました。
この日も、お昼頃からの雨でした。すでに14日間連続の雨です。
それでも、夕方には雨が上がり、久々の一人に心躍っていたのもつかの間、反対側からハイカーが現れました。
ジャコーと名乗る彼は、アパラチアン・トレイルを半分歩いたそうです。アパラチアン・トレイルの話から2時間、彼のマシンガントークは続くのでした。さすがに嫌気がさしてきます。
そんな時、スウェーデン人のセクションハイカーがやってきたのでした。彼は近くでテントを張ると言ってシェルター近くにテントを張りました。
テントはやっぱりヒルバーグでした!ちょっとうれしい瞬間でもあります。テントを張り終えた彼が、シェルターにやってきたので、僕は、彼にバトンタッチをして、焚火を始めます。
するとカップルのオーストラリア人ハイカーもやってきて、予想に反し、またいつもと変わらない賑やかなシェルターに変わりました。
ジャコーはかわるがわる相手を変えながら、日が暮れ眠りに入る寸前までしゃべり続けていたのでした。明日にはもう会うことが無いと思うと、ジャコーと反対方向に歩いていて本当に良かったと思うのでした。
つづく
【Profile】斉藤正史
山形県在住
LONG TRAIL HIKER
NPO法人山形ロングトレイル理事
トレイルカルチャー普及のため国内外のトレイルを歩き、山形にトレイルを作る活動を行う。
ブログ http://longtrailhikermasa.blog.fc2.com/
山形ロングトレイル https://www.facebook.com/yamagatalongtrail