佐原は江戸時代から水郷の町として栄え、また江戸時代後期に日本全国を測量した伊能忠敬が長く住んでいたことで知られています。 JR佐原駅から少し歩くと、小江戸と呼ばれる古い町並みが続いています。伊能忠敬記念館や伊能忠敬旧宅といったスポットも観光の目玉です。
江戸情緒が残る水郷の町と広大な関東平野
56歳で歩き始めた「ちゅうけいさん」に脱帽
世上に名高い「大日本沿海輿地全図」は伊能忠敬の死後3年後に弟子たちによって完成しました。航空写真もなく、遠くを見下ろす建物さえ限られていた時代に作られたとは信じがたいほどの正確さで日本列島を余すことなく描いたこの地図。知らない人はいるでしょうか。
なんて、実は私は2022年公開の映画『大河への道』を観るまでは全然知りませんでした。まだ観ていない人にはぜひともおススメしたい作品です。香取市役所に務める主人公たちは郷土の偉人である伊能忠敬を親しみと敬意を込めて「ちゅうけいさん」と呼びます。
『大河への道』予告編:https://youtu.be/NiJzTR3xoc8?si=cprnn7umZaVOX7lP
なによりも驚くのは、ちゅうけいさんが測量のために日本全国を歩き始めたときは56歳になっていたことです。それから73歳で死去するまでに歩いた歩数をおよそ4,000万歩と計算して、井上ひさし氏は大作『四千万歩の男』を著しました。
よく、1日10,000歩を歩くことが健康のために推奨されます。実際にそれをやろうとすると、かなり大変です。私の場合、ときに10㎞くらいをジョグすることがありますが、それで大体10,000歩くらいになります。4,000万歩とは、それを毎日続けても4,000日。雨の日も風の日も休まずに歩き続けたとしても、11年近くを要するということです。
距離に直すとおよそ3万5,000km。昭和の偉大な冒険家、植村直己さんが徒歩で日本列島を縦断したときの距離は約3,000kmでした。
昔の人は健脚だったとはよく言われることですが、人生50年と言われた時代に、ちゅうけいさんは56歳から73歳までの間にそれだけの距離を歩いたのです。 鳥肌が立ちますよね、と『大河への道』で登場人物たちが言っていました。私も立ちました。皆さんはどうですか。
ちゅうけいさんは身体的に頑健だっただけでなく、とても謙虚な人柄で、またきわめて柔軟な思考の持ち主だったようです。
上の家訓第2条に「目上の人はもちろんのこと、目下の人の言うことでも、なるほどと思ったら取り入れるようにしなさい」とあるように、50歳で隠居してから19歳年下の天文学者に弟子入りしています。ちゅうけいさんの地図作りはそこから始まったのです。
すごいなあ、偉いなあ、とひたすら感心しながら小江戸を歩きました。小野川はその名の通り、川幅がせいぜい5mくらいで市街を流れますが、数㎞ほどで「坂東太郎」こと利根川に合流します。こちらは日本3大河川のひとつに数えられる大河です。
つまり、小江戸を通る「大河への道」というわけですが、利根川から見渡す景色はそれまでとはがらりと雰囲気を変えます。視界を遮るものが何もなく、ただただ見渡す限りの広大な空間が広がっているのです。
私は道の駅・川の駅『水の郷さわら』でレンタサイクルをしました。もちろん、ちゅうけいさんのように歩き続けても構わないのでしょうが、やわな現代人を怯ませるには十分の広さです。
私が佐原を訪ねたのは6月上旬でした。名物のあやめがちょうど見頃だということで、レンタサイクルの手続きをしてくれた人に水郷佐原あやめパークへの道を尋ねると、水田の中を突っ切る「近道」がありますと教えてくれたのが下の道です。
水田の緑と青い空。地平線の彼方まで続くように見える真っ直ぐな道路。まるでカリフォルニアの砂漠を思わせるようで、関東平野の大きさをあらためて再認識しました。
ちゅうけいさんが日本全国の沿岸を歩き出す前に、まずはこの大平原を越えていったのでしょう。もちろん、電動アシスト自転車はありませんでした。
江戸情緒を満喫する散策と雄大な景色を眺めながらのサイクリング。そのどちらか、あるいはどちらも楽しめます。東京からも日帰りできます。私は香取市役所とは何の縁もゆかりもありませんが、勝手に宣伝したいと思います。
香取市公式観光案内ページ:https://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/index.html