FILE.75は、江戸川区にある小岩の富士塚です。
第75座目「小岩の富士塚」
今回はJR小岩駅南口登山口からの出発です
とうとう降り立ちました、JR小岩駅。田舎に住む僕にとっては、某テレビ局の「月曜から夜更かし」で面白い人々が登場するディープな町のイメージが強くありました。
西の西成、東の小岩。僕にはそんなイメージがあったのでした。実際はどんな場所なんだろう。そんな期待や不安を持ちつつも、ネタには困らなそうと少し安堵していました。
いざ駅に降り立つと、改札の出口のすぐそばに栃錦の銅像が設置されていました。どうやら、名横綱、栃錦は旧小岩村出身のようです。
普通、駅の外に設置されることが多い銅像がなぜここにあるのだろうと思いつつも、今回の登山口、南口を目指します。
山行の始まりはディープな飲み屋街から
南口を出て、東側へ進むといくつかの商店街の入り口がありました。実は小岩にはかなり多くの商店街があります。小岩南支部商店街だけでも11の商店街。小岩北支部を含めると、この狭い地域に21もの商店街があるのです。
僕は、今回の目的地である小岩富士(富士塚)に一番近そうで、もっともディープそうな小岩南支部の小岩地蔵中央通り会商店街に入り込んでいきました。
入り口には、吉野家と喫茶白鳥が向かい合っています。もうすでに僕の小岩のイメージです。早朝とはいえ、恐る恐る商店街を進んでいきます。進んでいくと、狭い路地に所狭しと、数多くの飲食店が軒を連ねています。
何組かの人は、早朝まで飲んでいたような感じでした。動画撮影用のインスタ360を持ちながら歩いていると、絡まれるかもしれません。僕は遠くの一点を見つめ、足早にその場を立ち去ります。「君主危うきに近寄らず」ですね。
小岩中央通りをわたると、今度は通勤・通学の方が増えてきました。きっとこの商店街の先には恐怖のネタ無し地獄の住宅街があるのだろうと、今度もまた戦々恐々です。
ローソン南小岩8丁目店のある辺りまで来ると、商店街というよりは住宅街に近いイメージに町並みは変わっていきました。
普通の住宅街と思いきや
そのまま歩いて行くと、柴又街道に出ます。この先は住宅街のようです。ふと信号待ちで周りを見ると、住宅街付近にしては異彩を放つお店を発見しました。後から調べると、古着屋さんのようです。
開店前でしたが、やや入りずらそうな店構え。アメカジのお店みたいですが、13時からの営業のようです。そのままずんずん先へ進んでいきます。
柴又街道をわたると、また住宅街に入っていきます。きっと小岩富士まで何もない。そんな諦めが僕の中にあったのは間違いありません。完全に油断していました。
すると、うなぎ屋さんがあるとは…。一見普通の住宅、しかも表札のような看板なので通り過ぎてしまって、下見の帰りに見つけたのでした。住宅街に名店あり、これまた評判が良さそうです。
あとで調べると地元で50年以上愛され続ける老舗だそうで、うなぎは愛知県産を中心に、質の良い国産ものを厳選。「気軽にうなぎを食べてほしい」という店主さんの想いから、お手頃価格でご提供しているそうです。ウナギの名店は住宅街に多いのだろうか。
「うなぎ柳」を過ぎると、完全なる住宅街を進む道のりです。しばらく進んで左折すると今回の目的地、小岩富士のある小岩神社が現れました。
目的地の神社に到着
小岩神社
旧中小岩村、下小岩村の鎮守らしいです。創建年代は不明ですが、元々は下総国葛飾郡行徳村(現・千葉県市川市)に位置していたそうです。1536年(天文5年)に現在の万福寺の場所に移され、さらに1840年(天保元年)に現在地に移転したそうです。
当初は「五社大明神」「五社明神社」と呼ばれていましたが、明治時代に「天祖神社」に改称したそうです。その後「小岩神社」に再改称しているようですが、江戸川区に20箇所ある天祖神社の1つとして数えられています。なんとTYOKYO山頂ガイド5つ目(たぶん)の天祖神社です。天祖神社に富士塚あり、なのでしょうか。
小岩富士
残念ながら、富士塚があること以外、全く情報がありませんでした。小岩神社のホームページにも触れられていないので、もしかしたら以前はほかの場所にあって、こちら移転されたのかもしれません。
富士塚が存在する理由が全く分からないのも、それはそれでさびしいです。ただ、明治時代の石碑などもあることから、このあたりでは古くから富士山信仰である富士講があったようです。せっかくこうして現在まで富士塚が残され、今もきれいに整備されているので、うまく次の世代に引き継がれたらいいですね。この小岩の富士塚についてご存知の方がいらしたら、ご一報下さい!
次回は江戸川区の小岩富士です。
※今回紹介したルートを登った(歩いた)様子は、動画でもご覧いただけます。
横綱山