FILE.78は、江戸川区にある船堀の富士塚です。
第78座目「船堀の富士塚」
今回も初の登山口、都営新宿線船堀駅です
今回の登山口(最寄り駅)は、都営新宿線船堀駅南口。多分、いや確実に富士塚が無ければ来ることがなかったであろう駅だったと思います。地図を見てルートを大まかに決めていきますが、どうやら今回も相当ネタに苦労する道のりになりそうです。頭を抱えつつ、まずは船堀駅を出発しました。
江戸川区の新しい住宅街やお店のあるエリアにこういった記事でのネタがないのは、今までのTOKYO山で頂ガイドでも多々ありました。今回も覚悟を決め、面白そうなスポットが見つかりますようにと祈りつつ、アンテナの感度を高めて歩いていきます。
特に目を引くものがなかった…が!
船堀という地名は文字通り、船用の堀があったのが由来です。徳川家康は、現在の千葉県市川市・行徳の塩を江戸に運ぶ船路として新川(船堀川)を作りました。「塩の道」として多くの人に利用されましたが、その付近には醤油や味噌を販売するお店や料理店が立ち並び賑わいを見せていたそうです。
新しいお店の立ち並ぶ通りには、特に目を引くものはなく、通りに名前もありませんでした。デジャブかと思うほど、FILE69の雷富士の時とよく似ています。どうにでもなれ。そう思いつつ通りを真っすぐに進んでいきます。すると船堀スポーツ公園が見えてきました。親子連れで賑わう公園で、船堀駅周辺では一番大きな公園なんだそうですが、やはりネタになりそうなものは何もありませんでした。
公園手前の銀杏並木通りを歩いていきます。行けども行けども住宅地という展開です。
銀杏並木通りを歩き終えると、今度は陣屋橋通りに出ます。それでも、何も起きない展開に、少々焦り始めてきました。これは、雷富士より撮れ高がなさそうです。そして何もないまま、陣屋橋通りを歩いていくと、今回の山行で最初で最後のネタに遭遇しました。
お待たせしました、一之江境川親水公園です!
かつて一之江境川は、東一之江村と西一之江村との間を流れ、用水路や船の運航路として利用されていました。多くの区民からの「自然に近い水辺を」という声に応え、1995年(平成7)、今井街道より上流が、翌年4月に下流が完成し、全長3.2キロメートルの一之江親水公園が完成したそうです。
魚、昆虫や水生植物が生息できるように、新中川の自然水を流しているため、ハゼ・スズキ・テナガエビなどがいます。また、一之江境川親水公園の川の流れは、本流を迂回させ水道水を循環利用しているそうです。多くの区民からの「自然に近い水辺を」という声にこたえたもので、季節の移り変わり、豊かな自然を満喫できます。2006年(平成18年)には、日本で初めての景観地区となったそうですよ!
川沿いに西へ歩いていきます。結構散歩で歩いている方も多くいます。今回歩くのは約800mくらいでしょうか。木陰も多く涼やかで、夏でも気持ちいい道のりです。
目的地の船堀日枝神社に到着
2本目の橋を渡ると、目的地の船堀日枝神社に到着します。この船堀日枝神社ですが、奥の方にはTOKYO山頂ガイド上7つ目(たぶん)、江戸川区では6つ目(たぶん)の天祖神社があります。
石の鳥居をくぐり、日枝神社の本殿に行く途中、狛犬がいるのですが、その台座はボク石(溶岩)のようです。まるで、この先に富士塚があるといわんばかりです!
船堀日枝神社
船堀日枝神社は、1614年(慶長19年)船堀新田開発の際に守護神として山王権現を最初にまつり、旧船堀村東組の鎮守社であったといいます。1873年(明治6年)に日枝神社と改称して、村社に新たに列せられたといいます。
境内には、乾海苔創業記念碑もあります。海苔はかって江戸川区の特産でした。この碑は、1897年(明治30年)建立で、船堀村の乾海苔創業の由来と功労者名が刻み込まれています。
船堀の富士塚
船堀の富士塚は、旧船堀村の登山講の人たちが、1892年(明治25年)に築きました。高さは約2m、盛り土された面積は広く、山肌はボク石(溶岩)で覆われ、登山道は「く」字形につくられています。頂上には浅間神社をまつり、五合目には浅間神社の石碑があります。体裁よく築造された富士塚です。※旧船堀村の登山講は明治時代で廃絶したといわれています。
前半はどうなることかと思いましたが、一之江境川親水公園に入ると一変して、どんどん歩くのが楽しくなっていく山行でした。やはり自然に囲まれた道を歩くのは気持ちがいいですね!
次回は江戸川区の浮州浅間神社の富士塚です。