子供たちの自然体験教育や植物を使った野外アートでフロンティアを開拓――80歳を超えたいまもなおエネルギッシュに活動する先輩探検家の生き方に関野さんが迫ります。
「探検からは足を洗った」という“元“探検家が実践する、探検の精神に根差した冒険的生き方
関野吉晴/せきの・よしはる
1949年東京都生まれ。探検家、医師、武蔵野美術大学名誉教授(文化人類学)。一橋大学在学中に探検部を創設し、アマゾン川源流などでの長期滞在、「グレートジャーニー」、日本列島にやってきた人びとのルートを辿る「新グレートジャーニー」などの探検を行なう。
二名良日/ふたな・よしひ
1943年愛媛県生まれ。早稲田大学探検部OB。大学卒業後はプロの野外活動家としてさまざまな野外活動を企画、指導する。テレビ東京の「TVチャンピオン/無人島王選手権」優勝者。野生の草花を締め上げて作る独創的なリース「草輪」などで、アーティストとしても活躍。
関野 大学卒業後、なぜ探検から足を洗ったのですか?
二名 アラスカではビュービュー吹く風が、中央アジアの砂漠でも風がボール状の枯れ草をコロコロ転がしながら、問うてきたんです。「おまえはこんなところで何をしているのだ?」。僕は考え続け、「人間はたかだか50年か100年しか生きられない。これから先の人生を何かに絞り込んで、次元を変える必要がある」という結論に至りました。
とはいえ就職する気はさらさらなく、大学を卒業すると、横浜港で冲仲士として貨物の積み下ろしの仕事をしたり、山の上に気象観測の鉄塔を建てる仕事などをしました。そういった肉体労働をしながら、子供たちのための野外体験自然教育を実践する場を作りました。
探検部で培ったスキルを、たくましい子供を育てるという教育を通じて社会の役に立てようと考えたのです。たとえば、無人島サバイバルキャンプ、樹海グリーンキャンプ、秋田阿仁マタギを訪ねる体験交流など、さまざまな企画を立ち上げました。
関野 子供たちの国際交流も手がけましたよね。
二名 パラオ、ポナペ、トラック、サイパンなどミクロネシアの子供と日本の子供の相互交流を進め、ホームステイや無人島キャンプをやりました。さらにその後、植物との縁ができてアート作品を作り始めました。
関野 植物との縁?
二名 タイのジャングルでキャンプをしたとき、人間のふるさとは自然だということ、植物は身近で大切な存在だということを改めて実感したんです。朝食を思い返してみてください。ご飯は植物、味噌汁も植物、たくあんも納豆もネギも植物、箸も植物、お椀も植物、パンも植物、ジャムも植物、コーヒーも植物。植物だらけです。
僕はこのように人間にとって大切な植物を使ってアート活動を始めました。風で折れた植物、剪定された植物を、大好きな人にあげたいという思いを込めて輪にするんです。これまで、さまざまな素材を使って、大小の輪を数えきれないほど作ってきました。
関野 二名さんは竹を使った作品も作っていて、東京藝術大学や武蔵野美術大学で竹アートの講義やイベントを指導されています。そして、80歳を超えたいまでも、アウトドアスクールを続け、植物アートも続けています。
年齢を感じさせないエネルギッシュなその活動を見ていると、地理的な探検からは足を洗ったとはいえ、自然から離れていない点、野外アートというオリジナルな活動である点など、探検の精神は失っていないように感じられます。
二名 たしかに早大探検部の精神はいまも僕の生き方に影響しています。その精神とは、理屈を考えてから行動するのではなく、まずやってみてから考えるという突撃精神。それと、他人のやったことは絶対にやってたまるかというフロンティアスピリット。ひとことでまとめれば、「バカ」ということでしょうか(笑)。
20代後半に探検から足を洗おうと決めたときも、チャレンジ精神を持って人生の冒険者になろうという気持ちでした。だから、誰もやっていなかった子供たちのための野外体験自然教育や植物の輪づくりなどを始めたんです。
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