FILE.83は、葛飾区の上小松富士です。
第83座目「上小松富士」
今回の登山口は、JR新小岩駅です
今回の登山口(最寄り駅)は、JR新小岩駅北口です。前回(第77座目「新小岩の富士塚」)、JR新小岩駅に降りたときは線路沿いに歩いたのですが、今回は北口商店街の通りを北方向に歩いていきます。
前回も触れましたが、新小岩は「モンチッチ」ゆかりの街。駅を北口を出ると、銅像に時計、公園の大きな案内板などたくさん「モンチッチ」がいました。当たり前のようにそれらの写真を撮り始めたのですが、ふと「いい年の大人がモンチッチの写真をたくさん撮る姿」を客観視してしまいました。すると、恥ずかしさでいても立ってもいられず、そそくさと新小岩駅前を跡にするのでした。
商店街、そして親水緑道の先に…
新小岩の北口商店街を進んでいくと、東京聖栄大学のすぐ向かいに「鈴木たばこ店」という真新しい看板があるお店がありました。看板は新しいものの、樹木に侵食されているような外観です。気になって後で調べると、2023年頃までは営業していた様子です。「鈴木たばこ店」の看板猫を心配するツイートなども見かけ、地域に根ざしたお店だったことが察せられました。
商店街を抜けると、蔵前通りを西方向に進みます。すると道路の真ん中に公園が見えてきました。入り口には「西井堀せせらぎパーク」と書いてあります。蔵前通りのある入り口から、セブンイレブン東小岩4丁目店の手前までの約500mの道路と併設した公園です。
公園を少し進むと駐輪場があり、芸術的なモニュメントも多数あります。昭和の古き良き時代に作られたのでしょうね。きっと名のある方が設計し、名のある方がオブジェを作ったのでしょう。園内の施設は一部閉鎖されているものの、奥まで行くと水の流れがあり、小さなお子さんが水辺で遊んでいる姿がありました。
あとから再度確認すると、僕が歩いた時はシーズン外だったようです。小さな子供たちが水遊びできる公園として水の流れができるのは、今年は7月6日(土曜日)~9月8日(日曜日)まで(鎌倉公園のみ9月30日(月曜日)まで)だそうで、水遊びができる期間は清掃もしっかり入り、噴水も動くそうです。利用時間やルールなどもありますので、興味のある方はホームページをご確認下さい。
公園を過ぎると住宅街を進んでいきます。やはり特に何もありません。ふと、葛飾区立上平井中学校方向に緑道のような道があったので、なんとなく入っていきます。すると公園があったのですが、現在は柵に覆われて立ち入り禁止になっていました。中には白菜のベンチが置いてあり、なんだかシュールです。
緑道を抜け、正福寺というとても敷地の広い大きなお寺沿いに進んでいくと、その先に今回の目的地である上小松天祖神社がありました。
いよいよ目的地の神社へ
上小松天祖神社
創建年代は不明だそうで、元々は「香取社」だったそうです。一説には、江戸時代初期に正福寺(神社のすぐ目の前にあるお寺)の年貢によって創建されたとも言われているそう。上小松村の鎮守であり、明治時代に「天祖神社」に改称したそうで、1965年(昭和40年)に近くの八坂神社を合祀しました。TOKYO山頂ガイド10箇所目(たぶん)の天祖神社です。
上小松富士
天祖神社の本殿左わきを奥まで進むと、上小松富士がありました。壁には「浅間神社祭6月 2013年富士山文化遺産登録」と書いてありました。その脇には看板が設置されていて、「区登録有形文化財 句碑 力持連中(力士のこと)」と書かれていました。
句碑 力持連中は、富士塚とは関係ない様子で、何か富士塚に関する情報がないか調べてみたのですが全く情報はありませんでした。ただ、この富士塚もまた登れる数少ない富士塚です。
第77座目「新小岩の富士塚」を調べていて偶然発見したのが、この上小松富士です。ただ、残念ながらどのような経緯で富士塚が出来たのか、記録を探すことも出来ませんでした。上小松天祖神社と下小松天祖神社の関係性も特になさそうです。たまたま同じ天祖神社と名乗り、その名前の前にその土地の名前がついたものかもしれません。
何かを残し、伝え続ける事は難しい作業なんだと改めて感じました。今ある物が300年後どれだけ残っていて、どれだけ詳細が伝えられているのでしょうか…なんてことまで考えてしまいました。
次回は葛飾区の四ツ木富士です。