『竹中工務店』は近代日本の代表的な建築物を数多く手がけてきたスーパーゼネコン。創立は1610年。江戸時代の宮大工の棟梁を起源とするという、長い歴史を持っています。そんな同社が「自然共生」への取り組みを始めたのは1971年。「設計に緑を」という標語を掲げ、以来50年以上にわたり、それを実践してきました。
まずは竹中工務店で「三代目 虫の専門家」として研究・活動をしている木村文さんのことばをご紹介します。インタビューでは「三代目 虫の専門家」はどんなことを研究しているのか、日々の活動、そして、自然と共生するまちづくりについても語っていただきました。
「三代目 虫の専門家」木村文さんの思い
人の気持ちいいところって、木陰があったり、風が通ったり、座る場所があることも大事。
そういう場所と虫のいる空間って一緒であっていいはず。
木陰をつくる木がみかんの木だったらアゲハチョウが来て、ベンチの下にカタバミとかちょっとした花があればシジミチョウが来る。
横に池があれば、人は涼しいし、トンボはそこで卵が産める。
都市の中にそういう場所をつくったら人に喜ばれ、人に喜ばれればそういう場所の数が増えるはず。
人が喜ぶ場所を増やしていくことで、同時に虫が棲める場所が増えていくのです。
そういう、人と虫、どちらも心地良い場所って設計できるはず。
そのための研究をしています。
(竹中工務店 地球環境グループ 「三代目 虫の専門家」 木村文さん)
人も虫も居心地のいい空間を都市にたくさん作っていきたい
---まず、「三代目」と呼ばれる理由から教えてください。
木村 2000年頃に初代が生物学をバックグラウンドとした防虫の専門部隊を立ち上げました。私は入社前ですので伝聞になりますが、その頃、消費者の衛生面での意識が日々高まり、製品の異物混入などの問題にも注目が集まりました。
そのため、弊社がお請けしていた食品工場や製薬工場などのプロジェクトでも、異物混入の原因のひとつとなる建物への虫の侵入を防ぐための研究に取り組むことが必要になったのです。
その基礎を初代がつくり、程なくして入社した二代目が、それを展開していきました。おふたりで、建物の防虫性能を高める竹中独自の「防虫エンジニアリング」の確立にがんばったと聞いています。2017年に入社の私は、その後継となる三代目として「防虫エンジニアリング」のさらなる発展を目指して勉強中です。
---「防虫エンジニアリング」とは、具体的にはどんなことでしょう。
木村 基本となるのは、防虫に対して建物側(=弊社)ができること/できないことの判断と整備です。すでに建っている施設のメンテナンスや掃除などは、私たちができることではありません。
一方、弊社ができることは、虫を重要な部屋に入れないための設計を提案すること。例えば、工場で製品を製造する“重要な部屋”に外部からの虫の侵入を防ぐため、“前室”を設けることを提案します。入口から重要な部屋までの道のりに扉が多いほど、つまり、常時は閉まっている仕切りで仕切られているほど虫の侵入を減らすことができます。こういったことを設計に採り入れるのです。
---侵入を防がなければならない虫とは一般的に言う害虫のことですか?
木村 私たちは「建物侵入害虫」という言い方をします。例えば、初夏から夏にかけてだと、とくに多いのがユスリカ。蚊のような姿をしていますが人を刺すことはありません。でも、気候や周辺の環境によって大量発生することがあり、建物への侵入の注意が重要となってきます。
どんな虫も悪者にされない建物をつくりたい
---「さらなる発展を目指して勉強中」というのはどんな研究なのでしょうか。
木村 建物を建てる前に“虫の侵入の予測”ができれば、虫の侵入が少ない建物をつくることができます。つまり、あらかじめ虫が発生しやすい場所が分かれば、そこには搬入口などの大きい開口部を設けないように設計します。そのための支援ツールを研究、開発中です。これまで虫の専門家として積み上げてきた知見を活用して、どこもやっていない防虫設計を実現することを目標としています。
木村 「防虫エンジニアリング」は当初から、薬剤に頼らない防虫の研究をしています。自然共生と防虫は一見逆の発想のように思われますが、薬剤を使わないことや“人と虫の棲み分け”は、自然共生との親和性が高い。弊社では自然共生の枠組みの中で防虫に取り組んでいます。
個人的には、虫が悪者にされない建物や空間をつくれたらうれしい、と思ってます。
養蜂を人と人をつなぐコミュニュケーションツールに
---ところで、机の上にハチミツの瓶がありますが…これも研究に関連しているのでしょうか?
木村 自然共生の活動のひとつとしてセイヨウミツバチでの「養蜂」に5年前から取り組んでいるのですが、それで採れたハチミツです。
---街中のビルの屋上に養蜂箱を設置する「都市養蜂」というのが、ずいぶん前からニュースになってました。
木村 パリや銀座の屋上など、話題になりましたね。ミツバチは花の蜜を吸うために飛びまわります。そうして受粉してくれるので、まわりの植物にもいい影響を与えます。
---生物多様性をテーマにした活動として養蜂をなさっているということですか?
木村 私としては、生きものの役に立つから養蜂に取り組むというより、養蜂が人と虫をつなぐ架け橋になるのでは、と考えて活動しています。ミツバチってこういうふうに生きているんだとか、ハチミツってこうやって採るんだとか、人が養蜂を実際に見て驚いたり楽しんだりする。そうすると、その場に一緒にいる人と人がつながっていきます。
社内の方や見学に来た社外の方などには「コミュニケーションツールになる」と説明をしています。地域の交流の場や都市緑化のために推進されているコミュニガーデン(都市型農園)と近い発想かもしれません。
---人を集めてイベントを催したりするのですか?
木村 社内になりますが、興味のある従業員や家族に養蜂体験をしてもらうことがあります。白い防護服を着て、巣箱の中を点検するなど蜂のお世話をしてもらうのですが、そこで蜂に話しかけている方を何度も目撃しています。
---どんな感じでですか?
木村 養蜂箱の蓋を閉めるときに、箱の縁にミツバチがいるのですが、そうすると「ごめんねー、ちょっとどいてくれますか?」なんて(笑)。
---想像すると、その気持ちすごくわかります(笑)。養蜂箱はどこに設置しているのでしょう。
木村 今いる竹中技術研究所の敷地内にある『調の森SHI-RA-BE』というグリーンインフラ(※)に関する研究実証フィールドにあります。そこでは、様々な専門領域の研究員が、それぞれの課題を解決する“緑地の活用”について研究しています。たとえば、「鳥のための樹木選定」「雨水貯蓄技術の実証」「希少な水草の種の保全」「原っぱの再生」など。私は「養蜂」と、もうひとつ「有機菜園」に携わっています。
※グリーンインフラ(Green Infrastructure)は、自然が持つ多面的な機能に着目し、それらの多様な活用方法を生み出すことで、様々な価値を創出し、魅力的で豊かな社会を実現しようとする考え方です。(竹中工務店のホームページより)
---ということは、『調の森SHI-RA-BE』には、鳥が来る林があって、水草が生える池があって、人が歩く道路があって、原っぱも畑もあるのですね。水草が生える池では、どんな虫と出会えるのでしょう。
木村 生き物観察イベントなどで池の中を網ですくってみると、トンボの幼虫やコオイムシのなかま、タイコウチなどの虫と出会うことができます。また、水面や池の周りではアメンボやコモリグモのなかま、約20種のトンボも見ることができます。ミツバチが水を飲みに来ることもあるんですよ。
バッタのための原っぱを設計に取り入れる
木村 『調の森SHI-RA-BE』は、もともとこの地域(千葉県印西地域)にあった生態系や自然景観を参照してつくられています。
---この地域の原風景が垣間見られる、ということですね。
木村 ちなみに『調の森SHI-RA-BE』にある原っぱは、在来の草地の景観を参照しつつ、大学と協働して、在来草原植生の再生技術の研究にも取り組んでいるのです。
虫の専門家の私が、『調の森SHI-RA-BE』での研究を通じて一番やりたいことは、例えば、もともと原っぱだったところに建っている建物を取り壊して新たな建物を建てることになったとします。そのときに、もともとそこにあった原っぱを少しでも再生することです。それができれば、近くに残っている生態系から虫が来てくれて、その種の生きる場所が増えることに繋がると思うのです。
---そこにバッタが戻ってくる。
木村 バッタのために原っぱを設計に入れていく、みたいな取り組みです。コンクリートって人は使えますが、虫は使えません。そこに緑をつくれば、虫の生息地が増える。そういう方向にしていきたいのです。
---最後に、これからの展望を教えてください。
木村 将来、人も虫も居心地のいい空間を都市にたくさん作っていきたい。そういう場所があることで、こどもが自然に親しむ空間やきっかけが増え、次世代の環境意識が高まり、結果として生態系や虫を守ることにつながります。そのためにもっと勉強して経験を積んでいきたいと思っています。
木村さん自身にも迫ってみました!
●虫にまつわるプロフィール
高校で生物学にハマり、理系に方向転換。
神戸大学の生物学科でカマキリに寄生するハリガネムシの行動操作メカニズムについて3年間研究。カマキリとコオロギとミツバチが研究室の守備範囲。生物学の面白さを伝える仕事がしたいと就活しているところ、竹中工務店・研究員としてリクルート。生き物が好きなことと同じくらい、人の役に立ったり人に影響を与えたりできる仕事がしたかったのでチャレンジしてみることに。
虫に限らず生物は、一見フィクションのように見える複雑なふるまいをするのが面白いし、その仕組みをひも解くと実はむちゃくちゃ単純な行動の組合せで理にかなっているところがさらに面白い。
同じように、まちづくりの仕事もいち研究員ができる仕掛けは単純でもその組合せで複雑なまちをつくっていけるところに面白みを感じます。
●推しの昆虫は?
カマキリ推しです!肉食昆虫なので目が前面にあり、なんとなく表情があるような気がしてしまいます。ときどきゆらゆらと揺れていて(獲物や障害物との距離を測っているとも言われています)、それも可愛いです。
種で言うとハラビロカマキリは体に対して頭が大きく可愛いので特にお気に入りです。チョウセンカマキリやオオカマキリもシュッとしていてイケメンで、ヒメカマキリはミニチュアフィギュアみたいな驚きの愛らしさです。コカマキリは前足の内側にあるタトゥーのような斑紋がおしゃれで素敵です。
写真 黒石あみ(小学館)