FILE.89は、葛飾区の葛西城跡です。
第89座目「葛西城跡」
今回の登山口は、京成本線・押上線青砥駅です
今回の登山口(最寄り駅)は、京成本線・押上線青砥駅です。前回は東側でしたが、今回は西側に向かって「葛西城」を目指します。
なぜ、東京都内の「山」を紹介する企画で、城を取り上げるのか。FILE.45の江戸城の回でも説明しましたが、あらためて簡単におさらいします。
日本の城は、大きく4つのタイプに分類されます。
水城・・・海や河川、湖など水源のある場所を利用した城
平城・・・平地に建てられた城
平山城・・低い山や小高い丘と周囲の平地を利用して作られた城
山城・・・山に築かれた城
上記4タイプは、城が建てられた場所=立地によって分類されているのです。つまり、城の分類で平山城・山城が建っていた場所は、山であったと考えられます。
葛西城の分類は、平山城。そこで、今回は葛西城を目指すことにしたのです。
目を引く店名に、レアな専門店、そして鳥居
青砥駅の西側に出ると、飲食店が軒を連ねています。新しいお店から古いお店まで様々。ディープな雰囲気に誘われるように歩を進めると、目を引く看板を発見!「歩登」と書いて「あゆと」と読むそうです。僕はトレイルを歩くハイカーですし、もちろん山を登ることもたくさんあります。まさに僕にピッタリのネーミングです。
店名の由来について聞いてみたいと思ったのですが、早い時間で閉まっていました。しかも、後でネットで調べてみたのですが、ホームページなどはなく、詳しい情報も見つけられませんでした。看板には「創作酒ば〜」とありますが、わずかにあるネットの情報ではリーズナブルで美味しいようです。次回、機会があればぜひ行ってみよう。
続いて、「歩登」のすぐ近くで、ヤモリの専門店発見!ニシアフリカトカゲモドキという品種のヤモリのみを取り扱う専門店で、「ファットテール」というお店です。
ニシアフリカトカゲモドキは、ヤモリ科トカゲモドキ亜科フトオトカゲモドキ属に分類されるヤモリ。10種類以上の柄(モルフ)があり、別名が店名にもある「ファットテールゲッコー」というそうです。ホームページでニシアフリカトカゲモドキを見ていたら、顔も可愛いし、尻尾も可愛い。僕は基本的に爬虫類全般が苦手のですが、なぜかこれは可愛いと思えます。興味のある方はファットテール「ファットテール」のホームページを覗いて見てください!
青砥駅前から続くディープな雰囲気が薄れてくると、いつしか周辺は住宅街に。何の変哲もない住宅街を歩いていると、ふと鳥居のような物が見えました。ここ最近は浅間神社(富士塚)を巡ることが多いので、鳥居を目にするとつい体が反応してしまいます。
が、この住宅街の小さな鳥居は一般のお宅の庭にあったもので、当然ながら参拝できません。もうすぐ目的地の城ですが、何か関係があるのでしょうか。
「もうそろそろ目的地だな」と思いながら住宅街を進んでいくと、スナックが現れました。その名も「スナック街角」。ネーミングも外観も、昭和の香りがぷんぷんします。まるで、映画のセットのようだなと思いつつ写真に収め、先を急いだのでした。
「スナック街角」を通り過ぎると、間もなく公園が見えてきました。御殿山公園です。葛西城跡地は、この御殿山公園の中にあるのです。
いよいよ目的地の城跡に到着
葛西城跡地
鎌倉時代に桓武平氏の流れをくむ葛西氏が城館として築いたといわれていますが、その詳細は不明です。ただ、関東地方における享徳の乱(きょうとくのらん)で、旧利根川筋を挟んで西側に上杉・幕府方、東側に古河公方の勢力が対峙する情勢の中、15世紀に関東管領家の上杉方の城として築城されたと考えられている…そうです。
当時の青戸は上杉方の最前線で、最初の葛西城主は武蔵国守護代大石氏の一族、大石石見守だったとか。江戸城を居城とする扇谷上杉家の家宰(かさい)、太田道灌と連携して古河公方足利成氏の動きを牽制していたそうです。
※家宰とは、一家あるいは一門内の職責の一種。 家長に代わって家政を取りしきる職責のこと
葛西城は一度、廃城となりますが、徳川家康が江戸に入府後は、城跡に「青戸御殿(葛西御殿とも)」と呼ばれる陣屋が建てられ、3代家光の頃まで鷹狩の宿舎として利用されたそう。1657年(明暦3年)頃には、明暦の大火で焼失した江戸城再建の資材のために取り壊されたといわれています。
そして、1972年(昭和47年)に環七通りの建設工事に伴って発掘調査が行われたことで、葛西城の遺構が確認されました。
おそらく、道路工事などのために随分掘削されたのでしょう、葛西城跡周辺は今ではすっかり山らしい面影はありません。でも、ここに間違いなく平山城・葛西城があったのはまぎれもない事実です。
東京都内の山は、区画整理や道路工事などで移転や取り壊しを余儀なくされることが少なくありません。その一方で、工事により新たに遺構が発見される場合もあるんですね。完全に忘れ去られてしまうよりはましですが、それでも複雑な感情を抱いてしまいます…。
次回は、足立区の千住富士です。
※今回紹介したルートを登った(歩いた)様子は、動画でもご覧いただけます。