FILE.93は、足立区の宮城氷川神社の富士塚です。
第93座目「宮城氷川神社の富士塚」
今回の登山口は、日暮里・舎人ライナー扇大橋駅です
今回の登山口(最寄り駅)は、日暮里・舎人(とねり)ライナー扇大橋駅東口。この駅に降りるのは初めてですが、そもそも日暮里・舎人ライナーについて、どこまで行くのか?どんな路線なのか?全く知りませんでした。
調べてみると、都営交通の一つで、分類上は「東京都日暮里・舎人ライナー」、路線名は「日暮里・舎人ライナー」のままだそうです。この名前は、法令上の正式な路線名で愛称ではないそうです。確かに愛称にしては長いですよね。路線は、日暮里駅から足立区の見沼代親水公園駅までを結び、東京都交通局が運営する案内軌条式鉄道(あんないきじょうしきてつどう=AGT)だそうです。
案内軌条式鉄道ってなんだ?
走行路面上の中央または側壁にある案内軌条に案内輪をあてて、ゴムタイヤで走行する交通機関だそうです。他にも、ゆりかもめやポートライナーなど、全国で10路線が運行されています。実は、わが家は3代続いた鉄道一家なのですが、恥ずかしながら案内軌条式鉄道のことなど全く聞いたことがありませんでした。…さて、本題の山へ戻ります。
今回も川沿い、土手沿いの道のりなので、特に書くことがないまま目的地についてしまうのでは、という嫌な予感がします。もう一つの登山口(最寄り駅)候補だった足立小台駅からにすれば良かったのかなと薄っすら後悔しつつ、いや、来たからには歩くしかありません。
歩き始めると、すぐに住宅街です。まさしく予想的中な退屈な道中…と思ったのですが、ここで大きく僕の期待を裏切ってくれるのでした。
足立区とワシントンを結ぶ桜
扇小学校の校庭に「ワシントンからの戻り桜」がありました。そんなものがあるんだと簡単に流そうとしたのですが…。
かつて荒川堤は「荒川の五色桜」と呼ばれる桜の名所だったそうです。あのアメリカの首都ワシントンにある桜並木は、ポトマック河畔にあり、桜の名所になっていいます。その桜はもともと1912年に、当時の東京市長・尾崎行雄さんが日米友好の証として「荒川の五色桜」の苗木を贈ったものなんだそうです。
残念ながら「荒川の五色桜」は、現在、河川改修工事で無くなってしまったそうです。しかし、足立区は1981年、区制50周年記念事業として「五色桜」を復活させるために、ポトマック河畔の桜から枝を採取して、33品種3,000本の里帰りを実現。「里帰り桜」として荒川堤や区内の公園などに植えたそうです。その中の1つが扇小学校にあったワシントンからの戻り桜だったわけです。
ちなみに、僕は今年(2024年)10月からポトマック川沿いをトレイルで歩きます。全く縁もゆかりもなかった足立区でポトマック河畔とのつながりに触れ、何だか勝手に運命を感じてしまいました。
住宅街で見つけた人気定食屋と製菓工場
続いて目に止まったのが、「おやつ屋 彪櫻(たけさく)」。名前からして駄菓子屋かなと思いましたが、近づいてみると普通の定食屋さんでした。特筆することもないかと、すぐさまそのお店を後にしました。
が、後から調べて判明したのですが、このお店、某「オモうまい店」に出たというではないですか。ただし、外観を見る限り、番組に出たことを全然PRしていません。番組のことはともかく、特にランチが安くてボリュームがあるらしいです。また近くに来る機会があったら、今度はぜひ立ち寄ってみたいです。
また少し歩き出すと、今度はお寺に遭遇しました。
性翁寺(しょうおうじ)
この地に住んでいた宮城宰相という名家の一人娘である足立姫が、嫁ぎ先から引出物が不足しているとののしられ、これに耐えかねた彼女は、下女12人と共に荒川に入水したそうです。下女の亡骸はすぐ見つかったのですが、足立姫の遺体は見つかりませんでした。
父親の庄司は悲しみのあまり諸国の霊場を巡り、紀伊国(現在の和歌山県)の熊野権現にて、霊木で仏像をつくって供養すればよいというお告げを受けます。庄司は早速霊木を見つけ、地元・武蔵国(1都2県にわたる広いエリア)に流れ着くように願って海に流したそうです。すると、霊木は熊野よりここに流れ着きました。
古くから性翁寺付近に「熊野木」の地名があったそうです。当時、この地には行基菩薩(飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した日本の仏教僧)が滞在していて、庄司がこの件について話すと、一夜にして霊木から六体の阿弥陀如来をつくり上げたといいます。さらに、余った木でもう一体の阿弥陀如来をつくり、足立姫成仏の遺影としたそうです。このことから、性翁寺の本尊は「木余り如来」と呼ばれています。
そして、 庄司が屋敷の傍らに草庵を建立してこの阿弥陀如来を安置したのが性翁寺開創伝承であり、「足立姫伝説」と「江戸六阿弥陀」の発祥寺院ということになるそうです。
お寺を過ぎて歩き出すと、「工場直売」ののぼりを発見。「マルマサ製菓」という、主にお菓子のOEM(委託者のブランドで販売する商品を製造)を行っている会社です。もちろん自社製品も作っていて、主な商品はゴフレット、羊かん巻き、クッキーなどがあるようです。
工場の脇に呼び出しボタンがあり、日替わりでお得なアウトレットのお菓子を購入できるそうです。僕も帰りに見てみようかなと思ったのですが、上記のような詳しい会社の情報を知らず、呼び出しボタンを押す勇気が出ませんでした。オンラインで確認して、買っておけばよかったと後悔。こんな住宅街の一角に、創業70年以上のお菓子の製造工場があるとは思ってもみませんでした。
そのまま進むと土手が見えてきて、土手を上がると荒川が一望できます。そして、この土手にはあの「ワシントンからの戻り桜」が植えられていました。江北橋を渡り、下っていくと今回の目的地、宮城氷川神社が見えて来るのでした。
ようやく目的地の神社に到着
宮城氷川神社(浅間神社)
宮城氷川神社の由緒は旧記が途絶えてしまい、詳細は明らかではありません。ただ、その昔は荒川の河川敷に神社があったそうで、境内に悲劇の姫君、足立姫を祀っていたといいます。また、旧境内は中世の氏族、宮城氏の居跡だと伝わっているそうです。
先述した性翁寺も宮城家の屋敷につくられ、宮城氷川神社も宮城氏の居跡です。もしかしたら、性翁寺と宮城氷川神社には強いつながりがあったのかもしれません。なお、残念ながら、 宮城氷川神社の境内にある浅間神社や富士塚の由来も不明のようです。
古来より荒川の氾濫があり、近年は度重なる護岸工事も行われ、そうしたことに伴って神社の移動を余儀なくされ、あだち5色桜まで根絶するほどの改修を重ねました。そんな紆余曲折の中で、きっと宮城氷川神社の歴史や言い伝えも途切れてしまったのかもしれません。
それでも、今もなお境内には浅間神社や富士塚が健在です。通りすがりの僕が軽々しく何かをいうのは失礼ですが、地元の人たちの宮城氷川神社や富士塚への強い思いを感じることができる山行となりました。
次回は足立区の綾瀬富士です。