山田緑地をパルパークにするプロジェクト始動!
パルパーク第1号建設が決定した北九州市山田緑地。子どもたちがたくましく生きる力をつけられるような、自由で自然な公園作りが始まった!!
コンセプトは森の再生・維持・活用!
昭和10年ごろは山田と呼ばれ、民家が点在する里山だった。現在の野草広場は田んぼ、周囲の森は薪炭林として利用されていた。
上は1995年の開園当初、下は現在。谷あいの美しい竹林も、手を入れないことでアオキなどに侵食され荒れてしまった。
最奥部にはスギの人工林が残っている。中には、推定樹齢150年、幹回り270㎝の大木も。「これをシンボルツリーにしよう!」
田緑地では森の木々がいっせいに芽吹いていた。そしてプロジェクトも新たな季節を迎えた。4月、山田緑地に北九州市公園緑地部、指定管理者の九州造園とNPO法人グリーンワーク、東京から編集長オオサワと富士植木の野林が集まった。
「緑地内のどこで何をするのか、そのベースとなるコンセプトは何か。まずは具体的にイメージを固めたいと思います」
公園緑地部の梅野が切り出した。
「キーワードは森の再生・維持・活用だと思うんです」
山田緑地は昭和10年ごろから陸軍、戦後は米軍の弾薬庫として一般の利用が制限されていたため、豊かな自然環境が残っている。しかし、実は弾薬庫となる前は20数軒の民家があり、その人々が暮らしの中で手を入れて維持してきた里山だった。その里山環境が、北九州市に払い下げられて以降も森に手をつけないままで来たことで失われつつある。梅野は、原則立ち入り禁止の保護区域をのぞき、かつてのように人が森に関わることで里山の森を再生・維持し、また保全作業もふくめた自然体験を子どもたちに遊びとして提供したいと考えた。
「それだよ、それ! “切るな、さわるな”って、要は“関わるな”といっているわけなんですよ。でも、子どもたちはもっと自然と関わるべきなんだ。山田緑地にふさわしい森の再生・維持・活用という大きなストーリーの中にパルパークを位置づけましょう。たとえば…」
オオサワはファイアープレイス予定地の真ん中に立ち、なおも続けた。「手入れしないから荒れてしまった森を切り、薪炭林に再生する。切った木はここで焚き火の薪にする。その切る、運ぶ、燃やす、植えるをすべて子どもたちと一緒にやるわけ。最高の自然教育じゃないですか!」
すると大きく頷いた面々から、堰を切ったようにアイデアがあふれてきた。
「このファイアープレイスを核に、いろいろな遊びができますよね。横の川に下りられるようにするとか…」
「保存されている路面電車の敷石を小尾根に向かう斜面に積んで、石のジャングルジムにしましょう!」
やにわにオオサワは近くのタブノキに登り始めた。
「ここなら木登りもできる!」
振り返れば3年半前、都内の公園でオオサワが木登りをとがめられたことからパルパーク・プロジェクトは立ち上がった。ログハウスブランドのBESSとタッグを組み、そこにさまざまな人が仲間として加わってきた。そして今、木の下では北九州のパルがオオサワを見上げている。パルパークは芽吹いた。だが、本当の始まりはこれからだ。
ファイアープレイスを中心に遊び場をつくる!
植生などを考慮して、当初の構想よりも緑地入り口に近いところにファイアープレイスを作ることに。周囲には自然の遊び場がいっぱい。
枝が横に伸び、登ってくれといわんばかりの樹形のタブノキ。子どもたちにはぜひ重力を感じてもらいたい。
広場横の川は実は水生生物が非常に多く、ヤンマの通り道にもなっている。小さな子どもでも安全に下りられるよう、通路を整備しよう。
ファイアープレイス予定地で構想を練っていたら、キジが出現! この豊かな自然環境の中で子どもたちを自由に遊ばせたい!
路面電車の敷石をはじめ、たくさんの石が緑地内に保存されている。ファイアープレイスまで500m。その運搬もイベントにする予定。
路面電車の敷石の寸法をはかる富士植木の野林。「厚さ12㎝、重さは100㎏弱ですね」。これを積んで遊び場にする。
地元北九州勢+東京出張組。「力を合わせて最高のパルパークを作るっちゃ」、「公園からニッポンを変える先陣を切るぞ!」。
本連載は今後、不定期連載となりますが、パルパーク・プロジェクトはこれからも続きます! 山田緑地プロジェクトやさらなる新プロジェクトの進展については随時誌面で報告します!!