「誰も登っていない壁やルートを登りたい、誰も考えていないことをやりたい」という平山さんが行なってきたクライミングの前人未到性に関野さんが迫ります。
「世界一美しい登り」と評されるフリークライミングの世界的レジェンド・平山ユージさんが「世界で初めての挑戦」で得たもの
関野吉晴/せきの・よしはる
1949年東京都生まれ。探検家、医師、武蔵野美術大学名誉教授(文化人類学)。一橋大学在学中に探検部を創設し、アマゾン川源流などでの長期滞在、「グレートジャーニー」、日本列島にやってきた人びとのルートを辿る「新グレートジャーニー」などの探検を行なう。
平山ユージ/ひらやま・ゆーじ
1969年東京都生まれ。15歳でフリークライミングを始める。1998年、2000年と2度のワールドカップ総合優勝に輝いたコンペでの活躍の他、最難ルートの完登、1000mのロングルートのオンサイトトライ、高所でのフリークライミングなどさまざまな挑戦をする。
世界初のトライで過去の自分を超えた
平山 20代後半、9年ぶりに訪れたアメリカで世界初のトライに挑もうと着想しました。ヨセミテにはエル・キャピタンという1000mの壁があるのですが、当時フリークライミングで登られていた2本のルートのうちのひとつ、「サラテ」をオンサイトで登ろうというチャレンジです。
スフィンクス・クラックをオンサイトできたという自信、コンペで培った持久力と初見で登り方を解き明かす能力。それらを持ち合わせた僕の他に、サラテをオンサイトできると考える人間はいないという思いや、20代後半に入ってプロ・フリークライマーとして何かを表現したい、集大成となるクライミングを成し遂げたいという気持ちがありました。
僕は2年間の準備を経て、サラテに取り付きました。
関野 準備に2年間?
平山 自分の能力を高めるために必要な時間でした。たとえば体力。めちゃくちゃがんばってショートルートを1日に10本登ったとしても高低差はトータルで200mぐらいです。1000mを登りきる体力をつけるためには、緻密で過酷なトレーニングをしなければなりません。
関野 その努力は報われたのですか?
平山 結局、2日間のトライ中に計3回落ちたため、オンサイトとしては失敗でした。でも、落ちた区間はすぐに再チャレンジして成功しているので、1000mの壁を手足だけで登りきることができたといえます。それは前例のない記録でしたし、それまでの自分を完全に超えるクライミングでした。
僕は、「こんな想像もできなかった力を出せるなら、コンペでも勝てるだろう」とコンペシーンに戻りました。結果、1998年と2000年にワールドカップ総合優勝を果たすことができたんです。
関野 冒険の条件には危険性、前人未踏性、主体性が挙げられると思うのですが、平山さんのやってきたクライミングの中にはその3つを満たすものがあると思います。平山さんにとって冒険とはどんなイメージのものですか?
平山 僕がフリークライミングを好きになったのは、道具に頼らず自分の体だけで登るのが面白かったからです。クライミングに限らず、道具に頼らないこと、できるだけ道具を排除することで現代の冒険はより面白くなるし、冒険度がより深まると思います。
一方で、フリークライミングは安全に登ることを目指していて、落ちたときの防御のためにロープをはじめさまざまな道具を使います。それでも、危険は潜んでいて、グラウンドフォール(地面に叩きつけられる墜落)で骨を折ったり命を失うこともないとはいえません。そういった危険を超えて何かを成し遂げるのが冒険だと考えています。
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