FILE.97は、足立区の小右衛門富士です。
第97座目「小右衛門富士」
今回の登山口は、東武伊勢崎線西新井駅西口です
今回の登山口(最寄り駅)は、前回と同じく東武伊勢崎線西新井駅。ただ、前回は東口でしたが、今回は西口に出ます。東口とはガラッと景色が変わり、何だか新しい街といった雰囲気です。心なしか人も多いように感じます。
今回の目的地である「小右衛門(こえもん)稲荷神社」の位置をざっくりと地図で確認し、どうやら西新井駅が登山口らしいと判明しました。でも、足立区では登山口から山頂まで距離のある富士山(富士塚)が多く、今回もそこそこ歩く必要がありそうです。なので、さっさと歩を進めます。
旧線路跡の通りと公園を抜けて…
西口を出て、東武伊勢崎線の線路と並行した亀田トレイン通りを歩いて目的地の方向に進んでいくと、駐輪場脇の飲食店の多い路地の入り口に気になるお店がありました。店頭のテントに明記された「王子ムルギー」という文字。西新井なのに王子?というか、ムルギーって?…といくつもの「?」が頭に浮かびます。
こちらのお店、実はカレー屋さんでした。ムルギーはヒンドゥー語で鶏肉。つまり、チキンカレー屋さんのようです。なぜ、王子がついたかというと、創業が王子だからだそうです。2014年からマスターの地元である西新井に移転。渋谷にもムルギーというお店がありますが、こちらの店主はそこで修行されたようです。
「王子ムルギー」から路地を抜け、新興住宅街でしょうか、大きなマンションや公園のある道を進んでいきます。先ほども駅から亀田トレイン通りを歩きましたが、しばらく行くと亀田トレイン公園がありました。
そもそも1899年(明治32年)に東武線が開通しますが、1923年(大正12年)の荒川放水路の建設にともなって鐘ヶ淵〜西新井間で線路がやや東寄りに変更されたそうです。その旧線跡地の一部は、東武西新井車両工場内の線路として活用されていました。
そして、2000年(平成14年)に工場が閉鎖し、跡地が再開発されることになります。線路跡にできた道路は亀田トレイン通りとなり、その一角に亀田トレイン公園ができたそうです。なお、名前に付された「亀田」は旧地名です。
亀田トレイン通りから環状7号線通りに出て、旧日光街道へと進みます。すると、あることに気づきました…!
事前に地図をチェックした際に、どうやら見落としていたようです。旧日光街道を北上していくと、東武伊勢崎線梅島駅があるではないですか。まさかの駅発見に、どうすべきか悩みました。この梅島駅を登山口とする山行を、もう一度やり直した方がいいのか…。
ただ、梅島駅からだと小右衛門稲荷神社はかなり近いようです。それならばということで、念のため梅島駅も動画撮影はしましたが、結局は西新井駅からの山行にしました。それにしても、地図で登山口(最寄り駅)を見落とすなんて、TOKYO山頂ガイドを100回近く連載してきて初の出来事です。最近疲れてるのかな…。
梅島駅のほど近くに、梅島天満宮の案内板があります。近そうなので行ってみると、東武伊勢崎線の高架下脇に神社がありました。こじんまりとした感じです。
梅島天満宮は、梅島町内会に神社を祭ろうとの住民の要望が高まり、梅島公園に神社を造営したのが始まりだそうです。学問の神様がいいということになり、九州の太宰府天満宮から分霊遷宮して、梅島公園用地(実際は梅島小学校の敷地)に天満宮として小さな祠が置かれました。その後、1966年(昭和41年)に現在の場所に移転したそうです。
さらに、旧日光街道を進んでいきます。梅島駅から北は車が渋滞していました。車通りの多いエリアなのかもしれませんね。
途中で看板に「千円ベロベロ」と大書された居酒屋を発見。さらに洋菓子屋さんの店頭には高級ケーキの自動販売機がありました。心惹かれますが、今回は先を急ぎます。少し進んだ先から路地に入ると、今回の目的地、小右衛門神社の立派な石造りの鳥居が見えて来ました。
ようやく目的地の神社&富士塚へ
小右衛門稲荷神社
江戸時代初期の1616年(元和2年)、岩槻城に勤めていた武士の渡辺(渡部)小右衛門と仲間が当地周辺を開拓し、小右衛門新田と呼ばれるようになりました。渡辺小右衛門は、事情があって同僚の高橋伴右衛門を討ち、密かに城下を退き、足立郡島根に移ります。
ある夜、渡辺小右衛門に霊夢があったそうです。それは高橋伴右衛門の子が現れ、日夜父を探しているようでした。渡辺小右衛門は、小右衛門新田に高橋伴右衛門の霊をなぐさめるため、鎮守として倉稲魂大神を勧請したそうです。それが小右衛門稲荷神社の由来のようです。
ちなみに、この小右衛門稲荷神社は、参道を上から見ると北斗七星のような形をしているので、「足立の七つ星」とも呼ばれているそうです。この記事の最後にある動画をご覧頂くとイメージがわくかもしれません。
小右衛門富士
小右衛門稲荷神社の本殿を右側に歩いていくと、草が生い茂り、少し土が盛られたような場所があります。富士塚はどこだろうと探しましたが、どうやらこの草に覆われた場所が富士塚のようでした。
小右衛門富士は、1932年(昭和7年)に築造され、当時は高さが4mほどあったそうです。小さな富士塚ですが、ちゃんと合目を表す標石も配され、当時も登頂することが出来たそうです。なお、現在の標高は2.3mですが、今も「開山記念」や「登山記念」の石碑が残されています。
この連載で、江戸時代に開拓された地域を歩くことが増えてきました。神社というと、古から伝わるものと思いがちです。でも、新たに開拓され、人が暮らし始めた土地で神社がつくられるケースも少なくないようです。日々の暮らしの中でその必要性を感じ、新しく神社をつくる——。何だか人間らしい営みを垣間見たような気がします。
次回は足立区の西新井富士です。