FILE.100は、足立区の保木間富士です。
第100座目「保木間富士」
今回の登山口は、東武伊勢崎線竹ノ塚駅です
今回で、当連載「TOKYO山頂ガイド」は100回目となります。いつもご愛読ありがとうございます。
記念すべき回に紹介するのは、足立区にある「保木間(ほきま)富士」です。登山口(最寄り駅)は東武伊勢崎線竹ノ塚駅です。
なぜ100回目に保木間富士かというと…特別な理由はありません。足立区周辺の山々への取材を終え、順番にナンバリングしていったら、たまたま保木間富士が100回目だっただけです。なので、申し訳ありませんが、「どれだけすごい富士塚なのか!?」などと過度な期待はしないでください。いつもどおりの通常運転というか、通常山行です。
竹ノ塚駅
駅の開設は、東武伊勢崎線開通から約7か月後の1900年(明治33年)3月21日。当初は伊興村にあったそうですが、1932年(昭和7年)に東京市に編入合併され、東京市で最北端の駅になったそうです。東京市が廃止された後も東京23区で最北端に位置する駅だったのですが、2008年(平成20年)に東京都交通局日暮里・舎人ライナー開通に伴い新しく駅が新設され、東京23区内で最北端の駅の座を見沼代親水公園駅に譲ったそうです。
なお、伊興村に開設されていたのにもかかわらず、東に隣接していた竹塚村を駅名に採用したのは「駅名を呼ぶ時の言葉の響きが良い」という理由からだそうです。そんな理由で駅名って決まるんですね。
最新施設や商店街を抜け、富士塚へ
改札を出ると直ぐにあった「EQUiA(エキア)竹ノ塚」。随分新しい建物だなと思ったら、2024年5月23日オープンしたばかりの駅ビルでした。「EQUiA」とは、東武鉄道沿線駅にある商業施設で、「駅」に「クイック(quick)&クオリティ(quality)」と「エリア(area)」を加えた造語、「手軽に質の良いものやサービスを提供する場所」だそうです。
竹ノ塚駅を出て、ロータリーから伸びるカリンロード商店街を進んでいきます。今回は記念すべき100回目ですが、「これ!」という特筆すべきネタもほぼなさそうな道のりです。商店街で普段より更にキョロキョロしながら、動画撮影用のINSTA360の付いた2mほどの棒を持って歩きます。長い棒を持ったもじゃもじゃ頭の僕は、さぞかし怪しい姿なのでしょうね。
スシローやマツモトキヨシが入ったガラス張りのビルの屋上に、パックマンに胴体を付け足したような不思議で大きなキャラクターがいました。「スシロー キャラクター」「マツモトキヨシ キャラクター」などと検索するも特にヒットしません。「はて…?」とさらに調べを進めると、この建物は「竹ノ塚ピー君プラザ」と呼ばれるビルのようです。
ということは、きっと屋上にいるのがピー君なのでしょう。ピー君のプロフィールなどは不明ですが、その姿はかなり存在感があって目立つのは確かです。
その竹ノ塚ピー君プラザの向かいには、竹ノ塚駅前名店街という少し古い建物があり、地元のお店が軒を連ねていました。その中に「田舎おはぎ」の看板を掲げているお惣菜屋さん「旭屋」があります。「田舎おはぎとは…?」と調べると、2023年に某情報番組でも紹介されたことがあるそうで、大きくて甘いおはぎは竹ノ塚の名物とも言われているそうです。
さらにカリンロード商店街を進み、そのままニコニコ通り商店街へ。特に目に留まるものもなくサクサク歩いていくと、いつしか住宅街へ入っていくのでした。公園がありましたが、何か特徴的なものがあるわけではありません。結局、そのまま進むしかありませんでした。
旧日光街道を北上すると足立区立渕江小学校があり、道なりに進んでいくと今回の目的地、保木間氷川神社があります。
渕江小学校の柵に消防団員募集の幕が掛けられていました。どこも人手不足だなと実感。実は僕も消防団員なのですが、暮らしている山形県上山市も常に消防団員不足で困っています。全国的に、来たれ消防団!なんですね。
…といった山とは関係ないことを考えているうちに、保木間氷川神社に到着しました。
300年以上の歴史がある神社と、その境内の富士山
保木間氷川神社
保木間氷川神社の創建は詳らかでありませんが、保木間氷川神社前を東西に通る流山道が戦国時代以前にはあったようです。またこの地に千葉氏の陣屋跡があったことから、1696年頃(慶長年間)に宝積院(現在は同じ敷地ある)と時期を同じくして創建されたと考えられているそうです。当初は、天神社としていましたが、1872年(明治5年)に前回紹介した伊興氷川神社から分離して保木間氷川神社とし、村社となりました。
ちなみに、足尾銅山鉱毒事件に尽力した田中正造は、この地で演説し、上京してきた被害住民に、解決を誓い(保木間の誓い)、被害住民を帰郷に導いたとされています。
※足尾銅山鉱毒事件:19世紀後半の明治時代初期から栃木県と群馬県の渡良瀬川周辺で起きた、日本初の公害事件です。
保木間富士
本殿から左奥に進むと、その姿が見えてきました。高さ3mほどの立派な富士塚です。保木間富士の詳しい由来などは分かっていません。
ただ、富士塚は浅間神社にあることが多く、一般的な富士塚のモチーフは当然ながら富士山です。でも、こちらの鳥居に掲げられた扁額に記されているのは「榛名(はるな)神社」。山頂にも、同名の石の祠が祀ってあります。
また、この地域には足立区保木間前組榛名講があり、榛名神社にお囃子を奉納しているそうです。そうしたことも関係しているのか、こちらの富士塚は富士山ではなく、榛名山を模したものなのかもしれません。群馬県の榛名山は円錐形をしていて、榛名富士とも呼ばれています。なので、榛名山がモチーフの富士塚が存在してもそれほどおかしくないのかもしれません。
なお、保木間富士に山道はなく、すぐそばに「危険ですから山登り遊びは絶対にしてはいけません 社主」という看板も立っています。すぐ隣が小学校なので、子どもたちのケガなどを防止するため登はん禁止になっているのかもしれません。
今回は思いがけず、富士山以外の山をモチーフにしたかもしれないユニークな富士塚との出合いとなりました。連載100回目での新たな発見で、東京の山の奥深さを再認識することになりました。派手さはないかもしれませんが、個人的には興味深くて濃厚な山行になったと思っています。
次回は足立区の花又富士です。