定年が近づくと歩きたくなる理由とは
おじさんは歩き出す。
特に定年を控えたおじさんは歩き出す。
私のまわりでも急に低山ハイクを始めたり、お遍路を始めたりする人が、あっちこっちに申し合わせたように現れました。
理由のひとつにはその頃になると、仕事も少し余裕が出てくるのだと思われます。それまでは平日仕事に疲れているので、ウイークエンドは休みたいのが人情ですよね。
また老後の体力づくりのためにという人もいるでしょう。今まで特にスポーツにいそしんできていない身としては、さて何をやるか、といってもジムに通う決心はつかない。それなら身近な「歩く」は気軽だし、何よりお金がかかりません。
さらにひとつの理由としては、ディスカバージャパンではないですが、日本の風景を見直してみたいという欲求が自然と湧いてくる年代なのです。
齢をとると人は感動できるようになる(野田知佑)
昔、カヌーイストの野田知佑さんが言いました。
「ミヤカワ、齢をとるとな、花を見ても雲を見ても、しみじみ美しいなあって感動するんだ(笑)。若いうちはそんなもんに感動しないだろう。たぶん自分の生命力が弱ってきて、まわりの生命力がきらきらと輝いて見えるのだろうな」
これと、おじさんの「歩き出す症候群」は関連があると思うのです。
花や雲に生命力があって、それに感動できるには、ある程度、こちらが弱らないと見えてこない(ここでいう生命力とは、無機物も含めてこの世の営みということ)。
そりゃあ、若いときの歩きっていえば、アクティブなトレッキングでしょう。
がしがし歩くこと自体が目的で、まわりの風景なんか目に入らなかったではないですか。
つまり私が言いたいのは、おじさんが歩き出すのは、ただ仕事や体力の関係だけではないということです。
見られるべき風景の側の事情というか、こちらの「構え」ができて初めて、風景が開いてくれるのだ、ということを強調したいのです。
そして人は風景と対話しに、歩きだしたくなるのです。
57歳の春、中山道を歩くことにした
さて私も57歳の春に、中山道を歩き始めました。
中山道はご存知の通り、江戸五街道のうちのひとつです。
京都の三条大橋から江戸の日本橋を続く、約550キロのロングトレイル。比較的平坦な海沿いの東海道よりも、山がちな街道で、風景も変化があり情趣に富んでいます。
もちろん一気に歩き通すなんてことはしていません。
一日の行程を終えたら、東京の自宅に戻り、また気が向いたら、前回の終点から歩き始めるというのを繰り返して、5年かけて完歩しました。
牛のようにのろい。
旅先ですれ違う人のなかには、石畳の道を飛ぶように走り去る人もいますが、たぶん友達になれません。
「そうだ、街道歩きをしよう!」
歩き出しの朝は、寝覚めるときに天啓のように、街道歩きをしよう、とひらめきました。
東海道にするか中山道にするか、始点である東京・日本橋に着くまで決めませんでした。
地下鉄から地上に出て、「五街道の碑」の前に来て、ようやく中山道に決めたのです。
東海道は海沿いで、どうも工場地帯を延々と行くイメージがしました。
一方、中山道は木漏れ日の山道をのんびり歩く自分の姿を想像できました。
日本には五街道だけでなく、あちこちに「街道」というロング・トレイルがあります。
旧街道はクルマの往来が少なく、山村に行けば昔ながらの風景が残っています。
歩きたいと思ったら、まずは街道歩きをおすすめします。
あっ、言い忘れるところだった!
絶対にひとりで行くこと。ぞろぞろと引率者に連れられて歩いても風景は開いてくれませんよ。
宮川 勉
中山道のリアル: エッセイのある水彩画集
5年かけてちんたらと中山道を歩き通しました。中山道というのは、東京の日本橋から京都の三条大橋までをつなぐ旧街道です。東海道は有名ですが、中山道はその山道版とでもいうロングトレイルで、信州や美濃といった山がちな場所を歩きます。そのときに心に残った風景を水彩画として描き、まとめたものが本書です。