「たとえ数mの石っころでも、制限をかけることによって冒険性を付与できます」
探検家・関野吉晴さんが、時代に風穴を開けるような「現代の冒険者たち」に会いに行き、徹底的に話を訊き、現代における冒険の存在意義を問い直す──BE-PAL11月号掲載の連載第40回は、クライマー 大木輝一さんです。
岩、谷、雪……。山の中でジャンルにとらわれずに先鋭的・冒険的な活動を繰り広げている大木さんの原点とは? 関野さんが迫ります。
関野吉晴/せきの・よしはる
1949年東京都生まれ。探検家、医師、武蔵野美術大学名誉教授(文化人類学)。一橋大学在学中に探検部を創設し、アマゾン川源流などでの長期滞在、「グレートジャーニー」、日本列島にやってきた人びとのルートを辿る「新グレートジャーニー」などの探検を行なう。
大木輝一/おおき・てるひと
1994年神奈川県生まれ。大学入学を機にクライミングを始め、スポーツルートやボルダーを中心に経験を積み重ねる。その後、山岳滑降や沢登り、大滝登攀、キャニオニングなどへ活動の範囲を広げ、自然の中での冒険を追求する。仕事では、2020年から㈱ロストアローに勤務。
ノーマットクライミングという冒険
関野 インドアから始めたのですか?
大木 はい。僕が最初に通ったジムには外岩志向のオールラウンドな人が多くて、岩場や沢に連れていってくれたのですが、寒いし怖いし全然楽しくなかった。だから、もっぱら安全で快適なジムで登っていました。スポーツクライミングに熱中し、そのうちにコンペに出るようにもなりました。そして、大学を出て「Base Camp」という平山ユージさんが代表を務めるクライミングジムに就職しました。
関野 冒険的な活動をするようになったのは、いつごろからですか?
大木 25歳を過ぎてからです。
関野 いま、30歳ですからけっこう最近のことですね。
大木 山岳滑降や沢登りを始めて2年、キャニオニングはまだ1年です。
関野 きっかけは?
大木 働いていたジムに日本を代表するクライマーである倉上慶大さんがお客さんとして来ていました。その倉上さんにノーマットクライミングに誘ってもらったんです。自然の中の石をボルダリングをするとき、普通は落ちても安全なようにマットを敷くのですが、ノーマットクライミングではマットを敷きません。マットがないので背中や頭から落ちると大怪我をする危険性が大きくなります。へたをすると命を落とすリスクもあります。
関野 何のためにそんなことをするんですか?
大木 僕も最初はそう思いました。でも、やってみると、落ちても足から着地するような登り方を心がけなければならなくて、それによってゲーム性が高まると感じました。落ちても大丈夫な中で行なうスポーツクライミングとは、まったく別の遊びでした。たとえ数mの石っころでも、制限をかけることによって冒険性を付与できることを知ったんです。その冒険性とは何かというと、人によって定義は異なるでしょうが、ひとことでいえば危険を冒すことだと僕は思うんです。では危険とは何か? それは、予測できないこと――未知であることだろうと。だから、未知に入っていくことが冒険であると僕は考えているんです。かつて地球上に地理的空白がたくさんあった大航海時代、海を渡って未知の土地を目指すのはまさに冒険でした。人類にとって未知だった極点やエベレストを目指すのも冒険でした。でも、地理的空白はもうほとんど残っていません。そんな現代においても、活動の中に制限をかけることで、危険性=冒険性を付加していくことができる。人によっては、そのような活動を冒険とは認めないかもしれません。でも、僕は冒険は主観的なもので、「はじめてのおつかい」も冒険だと思っているので、その人にとって未知かどうかが重要であり、どんなところでも冒険性は作れると考えています。
この続きは、発売中のBE-PAL11号に掲載!
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以下の動画で、誌面に掲載しきれなかったこぼれ話をお楽しみください。