どうも。私の名は橋爪ヨウコ39歳。身体は熟れてきているが、女としても芸人としてもなかなか売れずにいるお笑い芸人だ。
大型バイクに乗り始めて数年。ふと「でけぇ山を走りたい!」と思い立ち、様々なトラブルに見舞われながらもインドにあるヒマラヤ山脈を走り続けること…10日間!
ついに!ゴール地点まで到着!長らく続いたこの〝爆夢旅“も今回が最終章である。
マジで終わってしまった…ヒマラヤツーリング
道中いろいろ本当に大変だったけれど…終わってみるとヒマラヤから離れたくないよー!
「寂しい!寂しすぎるぞ!おい!」と、一生このままヒマラヤを走り続けたい気持ちでいっぱいだったが、そうもいかない。私には東京に残してきた子供や旦那……はいないが、お笑いという大好きな仕事がある。
一瞬「インドでお笑い芸人をしながらヒマラヤツーリングを続けられないものか?」と考えてみたが、10日間かけてもインド人の笑いのツボが全く分からなかったので、日本に帰る準備を開始した。
ヒマラヤを10日間走り続けたブーツやウエアは真っ黒に汚れ、過酷さを物語っていた。そして、値段の安さから「ヒマラヤ山脈に立ち向かえるのか?」と少し不安視していた、ワークマンのレインウエアやパンツも大活躍してくれた。ワークマンが地元群馬の企業だということがとても誇らしかった。
何度も転倒しながらもケガなく帰国出来たのはこのウエアやブーツたちのおかげだ。「私を守ってくれてありがとう」と感謝の気持ちを込めながら、綺麗に畳んでキャリーケースに詰め込んだ。
どんなときも守ってくれて、本当に感謝!!
「やだ!!!やっぱ帰りたくない!!!」
おもちゃ売り場で「買って!買って!」と駄々をこねる子供のようにジタバタする39歳。それほどヒマラヤ山脈に魅了されていた。
「どうにかならんか…」と名残惜しんでいると、インド人のスタッフが声をかけてきた。
「ヨウコ、ファイティングガール!」
『サンキュー!』
「ヨウコはいっぱい転んだ!だから名前も一番最初に覚えた」
『えへへ(恥ずかしい)』
「日本に帰ったら両親に感謝しなさい」
『???』
「鋼の精神力と丈夫な身体に産んでもらったこと。すごい事だよ!!」
『!!!!!!』
とても嬉しい褒め言葉だった。私はもちろん、両親までも褒めてもらえるとは。この言葉を頂けただけでヒマラヤツーリングを走った甲斐があった。
「また必ずヒマラヤを走る!!」
そんな夢を掲げて、10日間過ごした標高3500mの街「レー」を旅立った。
さようならーヒマラヤ…。また、、、来られる日はあるのか!?
早速日本へ帰国!…というわけにはやっぱりいかなかった
トランジットの為、デリーにあるインディラ・ガンディー国際空港に到着。日本発の飛行機に乗り帰国しようとするが、まさかのまさか!機材トラブルでまさかの欠航!空港で立ち往生することになってしまった。
「最後の最後までハプニング続きかい!」
まったくもう!私らしいなー!と笑いつつ、機材が直る目処がついていないらしく今日は1日欠航することが決定。急遽デリーで1泊することになった。
ここで初めて海外旅行保険のありがたみを知ることになった。飛行機側のトラブルの為、その日の宿泊代と滞在にかかったお金(食事代)は支払ってくれるらしい。ヒマラヤツーリング後すぐ帰国の予定だった為、お金の手持ちが少なかったことや私のクレジットカードがインドでは使えなかったこともあり、とても助かった。
12日間で帰国の予定が、2週間を超えるほどの滞在。デリーでは海外旅行保険のおかげで、ヒマラヤでの〝風呂無しテント宿”とは打って変わっての高級ホテルに宿泊。
べ、別世界すぎませんか。
しかもジャグジーのお風呂がついていて、ヒマラヤツーリングの疲労を少し取ることも出来た。そして何より今までほとんど出来ていなかった観光も出来て、ある意味「ラッキー」だった。
翌日、大幅に遅れていた飛行機も無事出発。ふと日本へ帰る飛行機の中でヒマラヤツーリングを思い返す。
早速倒れたあの日。
標高3500mのレー(Leh)に到着してすぐ高山病になり「私は何しにインドに来たんだ」と泣いたあの日。
ツーリング初日で「標高5600m越えの車やバイクで走れる世界で一番標高の高い峠越え」を達成したこと。
道の概念を忘れるほどのガタガタ道を走り続けたこと。「道なのか池なのか川なのか」大きな水たまりや底の見えない川を走行したこと。標高5000m越えでバイクのタイヤがパンクし絶望したこと。
「テレビもねぇ!風呂もねぇ!工事現場はツルハシだ!」という場所で、3日間風呂無しで過ごしたこと。迷子になりヒマラヤの神様に助けてもらったり、標高4500mで登山をしてボロボロになったこと。道中トイレが無くて嫁入り前に〝野ション″を決意したこと。
環境や標高が違うだけで、呼吸する事もトイレに行く事も寝る事さえも当たり前に出来ず…何度も高山病にかかったりと想像していたよりも何倍も過酷だったけど、毎日充実して「うれしい!たのしい!大好き!」と色んな意味でのDREAMS COME TRUE状態だった。
慣れないオフロードと雄大なヒマラヤに飲み込まれないようにと必死に走り続けたこの10日間の記録は自分の中で自信に繋がり、これから力強く生きていくための原動力になっていくんだろうなと感じた旅だった。
思い出が走馬灯のように…。
そんな素晴らしき旅が終わりを告げた。
日本に帰国してすぐ連絡をすると約束していた父親に電話。
『無事、ケガなく帰ってきたわ』
「なかなか電話してこないから死んだかと思ってたわ!わははは!」
『あと…』
「なに?」
『鋼の精神力と丈夫な体に産んでくれてありがとう』
「なんだー?やっぱりインドに行くと人は価値観が変わるのかー?」
そう茶化してきたのは父の照れ隠しだったのだろう。
よく「インドに行くと価値観が変わる」と聞いたことがあるが、価値観はもちろん「当たり前が当たり前じゃない」「道路が舗装されているのは当たり前じゃない」と概念も変わった。
今から2ヶ月前。深夜2時にふと思い立ち、実際に車やバイクで走れる世界一高い峠・標高5600m超えのヒマラヤ山脈をケガなく走り切れる事が出来るなんて…!!人生というものは孫悟空も驚くほど、摩訶不思議なアドベンチャーである。
レッツトライトライトライ大冒険♪
空を駆け抜けヒマラヤを越え♪
レッツトライトライトライ大冒険♪
次回ヒマラヤツーリングに続き、ベトナムバイク旅が始まるぜー♪
絶対読んでくれよな!
1985年生まれ、群馬県出身。お笑いコンビ「こじらせハスキー」として活動中。10代からずっと夢だった大型バイク(スポーツスターXL883N)に乗り、 バイクYouTube【ようこそ!づめちゃんねる】にてツーリング動画を定期的にUP中。雑誌BE-PAL連載「お笑い清掃団が行く」の団員。