足掛け6年、49日間に及ぶ漂泊山行で感じたもの─
「この間ね、また日高にずっと行ってたんですよ。18日間」
角幡唯介さんは、サラッといったが、半月は長い。漂泊の地として選んだ日高山脈とは、北海道にある国内有数の自然深い山域。’70年に大学生3名がヒグマの犠牲となった顛末はあまりにも有名で、容易には踏み込めない……そんなイメージがある。
どんな手段でも越えれば山を見る目が変わったかも
2017年夏を始まりに、地図を持たず日高山脈を歩いた4度の記録が『地図なき山─日高山脈49日漂泊行─』として一冊にまとめられた。漂泊行は、漂泊することが目的なので事前に現地のことをあれこれ調べず、情報を入れず、予定を立てない。真っ新の状態で向かうものだ。
「(本書の中で)峠を越えて“巨大ダム湖”って出てきますが、あそこは日高を移動する際のキーポイントなんですよ。あそこを通らないと山脈の南北がうまく繋がらない。川の入り方とか、山脈、尾根筋の角度とか。必ずあそこを通らなきゃいけないんですよ。本当に自然の道を見つけて進んでいますけど、今回もやっぱりまた通りました。前は入れ食いだった湖での釣りはなぜだか一匹も釣れなかったです」
何度も通い何日も彷徨った日高の山塊は、今では脳内に鮮明に描けている様子だ。巨大ダム湖と呼んでいたのは、幌尻湖のこと。地図を見ていない当時は名称も不明なため特徴的な場所には〈三角山〉〈カフラー王の墓〉〈神々の庭〉などと自ら名づけている。漂泊行の舞台は、ほとんど人が踏み入らず懐深い。山中では主に沢筋をたどった。
「道がないところは結局、冬でない限りは沢を使うしかない。この山塊を移動するには、どこの沢をうまく使えばいいか?っていうふうに見ているんですよね。山を旅する際の移動路として考えていて。だからゴルジュ(※)を突破せず巻いてもいいし、どんな手段でも越えられればいいと思うようになりました。昔と比べて山を見る目が変わったってことですかね。以前はもし滝が出てきたらきちんとクリアしていくゲームとして、楽しんでいたんだと思います」
※切り立った岩壁が迫った狭い谷のこと。
現れた“存在”に従う。それで自分の行動が決まる
山を始めて29年。角幡さんの活動はカヤックや犬橇などに広がっているが、求めているのは自身への内なる探究だ。そこに未知の世界があるのではないか──。漂泊行は未来予期(今回の場合は地図)を捨てると人はどうなるのかという実験のよう。
「やっぱり未知には刺激がありますよね。試行錯誤して自分でやり方を見つけなきゃいけないから、本能的にはやりたくないことだと思うんですよ。行きたくない。リスクとは何かと考えると、例えばヒマラヤ登山には今でもリスクがある。だけどシステム化しているから予測可能で。
予測不可能な部分もあるだろうけれど、色々わかって情報がたくさんある。危険だけど未知ではない。人間にとってやっぱり未知っていうのは怖いんですよ。飛び出すこと自体、精神的ハードルがとても高い。だけどそれだけに刺激がある。未知の場所に行くことが冒険の第一条件だと思うんです。未知を既知に変えていくまでの過程が、やっぱり一番面白いですよね」
1回目の’17年夏の漂泊行から2回目に出発するまで、じつに3年もの間が空いている。未知に対するダメージの大きさの表われにほかならない(1回目でかなり打ちのめされている)。
「地図を持つと山を対象として見るんですよね。登頂して嬉しい、ハッピーとか自分の幸福度を上げるための素材として。だけど、地図がないと対象として認識できなくなるわけです。ただ山という存在がある。対象というよりも存在として扱っていかないとうまくいかない。現われた存在に自分が従うっていうか、自然な条件に従っていくことで自分の行動がどんどん決まっていく。一番自然の中に深く入り込むための行動形態なんじゃないかって思ってるんですよ」
漂泊の日々、自然にからめとられるとは一体どういうことなのか、ぜひとも刮目されたし!
『地図なき山 ─日高山脈49日漂泊行─』
角幡唯介著
新潮社
¥2,310
情報があふれる今、探検家が掲げたのは脱システム。情報なし、地図なしで挑む前代未聞の山行記録だ。
※構成/須藤ナオミ 撮影/横田紋子
(BE-PAL 2025年1月号より)