高さ12mで登山道も整備!練馬区・大泉八坂神社のミニ富士山【プロハイカー斉藤正史のTOKYO山頂ガイド File.114】
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    2025.01.21

    高さ12mで登山道も整備!練馬区・大泉八坂神社のミニ富士山【プロハイカー斉藤正史のTOKYO山頂ガイド File.114】

    高さ12mで登山道も整備!練馬区・大泉八坂神社のミニ富士山【プロハイカー斉藤正史のTOKYO山頂ガイド File.114】
    東京23区内、特に山手線の内側はビル街や飲食店街、住宅街ばかり。そう思っている人が多いかもしれません。でも、目を凝らせば東京都心にも「山」はあります。そんな東京の山の世界を、日本で唯一のプロハイカーである斉藤正史さんが案内します。

    FILE.114は、練馬区の中里の富士塚です。

    第114座目「中里の富士塚

    今回の登山口は、都営大江戸線光が丘駅です

    都営大江戸線光が丘駅A4出口登山口。

    今回の目的地は、練馬区にある「中里の富士塚」(「なかさと」ではなく「なかざと」と濁ります)。

    このミニチュア富士山を目指すにあたり、地図で確認すると登山口=最寄り駅は都営大江戸線の光が丘駅一択でした。中里の富士塚周辺はいわば鉄道空白地帯なのですが、その隙間を埋めるかのようにぽつんと光が丘駅があります。初めて降り立つ駅ですが、そもそも大江戸線もほぼ利用した記憶がありません。そこで、あらためて大江戸線について調べてみました。

    実は大江戸線、単一の地下鉄路線としては日本で最も長い地下鉄で、全長で40.7Km。建設費を抑えるため、まず日本の鉄道では一般的な20m車両10両編成の「フル規格」を断念し、小型地下鉄車両(16.5m車両・8両編成)を採用します。また、駅の規模とトンネル断面を縮小することで建設費用を大幅に削減。建設計画時の経済状況などから、このような決断になったようです。乗ってみて僕はまったく車両の大きさに気づきませんでした。

    ご存じの方もいるかもしませんが、大江戸線はその名称も決定までに紆余曲折ありました。開業からしばらくは「12号線」と呼ばれていました。その後、全線開通を前に一般公募で路線名を決めることになり、一度は公募の中から路線名が「東京環状線」に、愛称が「ゆめもぐら」に決まります。が、当時の東京都知事が『環状線』という言葉に難色を示し、自身の意中の名称は「大江戸線」だと明言、その鶴の一声から、そのまま決定することになった、ということのようです。

    緑豊かな住宅街の歴史的変遷

    …などと出発までに時間がかかりましたが、ようやく光が丘駅A4出口登山口をスタートします。歩き始めてすぐに感じたのは、新しい街並み、緑の多い道でした。街路樹の生い茂る街並みを横目に歩くのはなかなか気持ちいいです。ただ、特にこれといって書くことのなさそうな住宅街が広がっていました。

    緑豊かな光が丘の街並み。歩いたのは、ちょうど紅葉の季節でした。

    光が丘駅から北に数分歩くと、光が丘公園があります。この地域は、古くは「下土支田村」や「上練馬村」という地名だったそうです。土壌がよく、当時は畑が広がる農村地帯で、昭和の初めごろまでは、練馬大根が盛んに作られていました。

    農村の風景を一変させたのは、1941(昭和16)年から始まった太平洋戦争でした。戦況が悪化するなか、当時の陸軍は首都を守るために、東京郊外に飛行場を造る計画を立て、下土支田村や上練馬村の農村地帯で川越街道と富士街道に挟まれた約150ヘクタールの土地に飛行場を建設しました。正門が高松の集落側にあったので、高松飛行場とも呼ばれていたそうです。

    戦後、1947(昭和22)年から飛行場跡地には「グラントハイツ」と名付けられた住宅街ができました。広大な土地に1,200世帯の住宅、学校や教会、劇場、売店、兵士のクラブなどの施設がつくられ、まさにアメリカの街が出来上がったそうです。しかし、立川や横田基地に通勤していた住人は、渋滞などもあり勤務地の近くへ移転する人が急増。1960(昭和35)年ごろになると、住民はほぼいなくなり、雑草が茂る広大な空き地が残されたそうです。

    1968(昭和39)年、米軍から返還の同意を得て、ここから民間団体、練馬区、東京都、国と共に、グラントハイツの跡地利用の検討が始まりました。1973(昭和48)年には全面返還。広大な光が丘公園をはじめ、住民のアンケートに上がった各施設などが次建設されていきます。そして、光が丘の多くの部分を占める集合住宅街、光が丘パークタウンも建設されたのでした。

    光ヶ丘公園入口。

    こうして光ヶ丘の歴史を知り見ながら歩くと、住宅街歩きも少し違った形に見えます。土支田通りを越え、さらに住宅街の路地を進んでいきます。実はこのエリア、両脇に「練馬区立清水山の森」と「稲荷山公園」に挟まれています。いずれも連載で取り上げる候補の山としてリストアップしていましたが、調べるとどちらも残念ながら「山」という事実はなさそうでした。

    土支田なごみ公園。

    公園が点在しているエリアを抜けると、練馬区立 富士下緑地に入り、その出口に今回の目的地、中里富士、大泉八坂神社があります。

    目的地は趣ある神社と富士塚

    大泉八坂神社

    創立年代不明で、1800年代に書かれた風土記においても、「社殿鎮座年歴不明」とされているそうです。当時は天王社とされ、大泉八坂神社改名されたのは、明治元(1868)年だそうです。

    大泉八坂神社の案内板。

    中里の富士塚

    中里の富士塚は、高さが12メートル、径が30メート。ちゃんとスイッチバックして登る大きな富士塚です。石碑の年記や言い伝えなどから、明治初期に丸吉講によって築かれたと言われています、ただ、1822(文政5)年の石碑があるので、江戸時代にはすでにその原型があったと考えられているそうです。中里の富士塚は、現在でも区内の富士講の人々によって伝統行事が受け継がれているそうです。

    中里の富士塚の中腹付近。なかなか本格的な山道です。

    今まで縁のなかった光ヶ丘ですが、山歩きをきっかけに街の歴史を学ぶことができた今回の山行。その土地の歴史を知って歩くと、何気ない住宅街の街並みも味わい深くなることをあらためて実感しました。そして、戦後につくられた住宅街を抜けた先に、江戸時代に築かれたかもしれない富士塚が今も大切に守られていることに、深い感慨を覚えました。

    次回は中野区の紅葉山です

     ※今回紹介したルートを登った(歩いた)様子は、動画でもご覧いただけます。

    私が書きました!
    プロハイカー
    斉藤正史
    2012年より日本で唯一のプロハイカーとして活動。トレイルカルチャー普及のため、海外のトレイルを歩き、アウトドア媒体を中心に寄稿する傍ら、地元山形にトレイルのコースを作る活動「山形ロングトレイル(YLT)」を行なう。スルーハイク(単年で一気にルートを歩く方法)にこだわり、スルーハイクしたトレイルだけで22.000km(地球半周以上)を超える。最新情報はブログを。

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