
FILE.131は、世田谷区の世田谷城跡です。
第131座目「世田谷城跡」
今回の登山口も、小田急小田原線豪徳寺駅です

小田急小田原線豪徳寺駅登山口。
今回目指すのは「世田谷城跡」、この連載「TOKYO山頂ガイド」で何度も取り上げているお城の跡地です。山を紹介する連載で城跡が登場する理由とも関係するので、あらためてサクッとおさらいします。
日本の城は立地によって以下のの4タイプに大別されます。
・水城:水源のある場所を利用した城
・平城:平地に建てられた城
・平山城:低い山や丘と平地に建てられた城
・山城:山に築かれた城
今回の目的地である世田谷城跡は平山城、つまり小高い山、丘陵などに築城された城なのです。
ということで早速、世田谷城跡を目指して出発します。登山口(最寄り駅)は、前回に続いて小田急小田原線豪徳寺駅。ただ、前回とは逆に、今回は豪徳寺駅から南へと進んでいきます。
ネコの誘惑が続く街、豪徳寺
訪れたのが週末ということもあり、豪徳寺商店街は多くの人々で賑わっています。活気のある商店街を進んでいくと…見つけてしまいました。ネコに関するグッズを取りそろえたお店、その名も「ネコの時間」。
前回書いたように豪徳寺は招き猫の街で、僕は無類の猫好きです。「ネコの時間」は外から覗いただけでも結構な品ぞろえであることが分かりました。入店したら物欲がおかしくなること確実なので、外観の写真だけ撮ってササッと移動します。でも、きっと次回上京したときは自分を抑えられず、この店に来てしまう予感がします…。

「ネコの時間」、外国の方でにぎわっていました。
と、すぐにまた困った事態に(全然困ってないですけど)。「ネコの時間」に続いて現れたのは「RARASAND」、招き猫をモチーフにした和菓子が人気のカフェです。店頭のメニューを拝見すると、最中やベビーカステラのほか、招福焼(しょうふくやき)という人形焼きもあります。また、カフェでも招き猫の最中などが味わえ、猫グッズも扱っているようです。

ネコ好きを惑わす(?)「RARASAND」の招き猫の人形焼(の看板)。
まだ豪徳寺駅を出発して30分も経っていないし、何も成し遂げていないのに、なんか満足して帰りそうな気分になってしまいました。ネコ好きを思考停止に陥れる街、豪徳寺。恐ろしい…いや素敵です。すっかり魅了されてしまいましたが、気を取り直して、いざ世田谷城跡へ。
駅から続く豪徳寺商店街を過ぎると、今度は名店そうな激シブのお店を発見しました。調べてみると、1947年に荻窪で創業した「中華そば丸長」からのれん分けをし、1961年に開業したという「丸長 豪徳寺店」です。
店頭に貼られた手書きのメニューを拝見すると、自家製麺のラーメンが500円から楽しめるようです。外観もメニューの価格も昭和のまま!なことに驚きです。今回は山行の途中なのでスルーしますが、次はプライベートで(ネコのお店めぐりをした後で)必ず来ます。

丸長 豪徳寺店。
「丸長 豪徳寺店」を過ぎると住宅街ですが、すぐに一際目を引く水色の洋館がありました。「旧尾崎テオドラ邸」です。
旧尾崎テオドラ邸
この洋館は、1888年、尾崎テオドラ英子(※)の来日時期に、日本人の父である男爵が建てたといわれている住宅。当初は港区にありましたが、尾崎デオドラ邸を譲り受けた英文学者が一度解体し、1933年に豪徳寺に移築したそうです。
※尾崎テオドラ英子:イギリス・ロンドンで生まれ、日本の詩の翻訳などを手掛けた他、国際親善に尽力した人物。
テオドラ英子の夫は、東京市長だった尾崎行雄です。彼は東京市長時代にアメリカ合衆国へ桜を送りましたが、これが有名なポトマック川沿いにある桜なんだとか。偶然ですが、僕は昨年ポトマック・ヘリテージ・トレイルを歩き終えたばかりです。何だからポトマック川河畔の桜が取り持つ縁のようなものを感じました。

尾崎テオドラ邸。
尾崎テオドラ邸を過ぎると、豪徳寺の広い敷地の外周を歩いていきます。
豪徳寺
もともとは武蔵吉良氏が居館としていたそうで、寺周辺は、1590年(天正18年)の小田原征伐の際に廃城となった今回の目的地、世田谷城の主要部だったそうです。その後、1633年(寛永10年)に、世田谷が彦根藩の所領地となり、1480年(文明12年)にこの地に建立されていた「弘徳院」を、彦根藩主井伊家が江戸菩提寺と定めました。
その後、1659年(万治2年)に2代藩主井伊直孝の法号(亡くなった人に与えられる名前)の「久昌院殿豪徳天英大居士」にちなんで、寺の名称を豪徳寺と改称しました。世田谷周辺では最大規模の国指定史跡です。
前回も紹介した通り、豪徳寺は招き猫発祥由来の地とされています。一般的に招き猫は小判を持っていますが、豪徳寺の招き猫は小判を持っていません。そういえば、豪徳寺駅の改札を出てすぐの場所に置かれた招き猫(の石像)も小判を持っていませんでした。

豪徳寺、
目的地の城跡目前でルート喪失の危機!?
豪徳寺から松並木の参道を通って城山通りに出ると、すぐ左手に世田谷城跡があるとGoogleマップでは記されています。が、指示通りに進むと東京都住宅供給公社のアパートがあり、敷地の立ち入り禁止エリア方向に向かってしまいました。仕方がないので、来た道を戻ります。そこから再度、城山通りに戻ってウロチョロしていると、世田谷区立世田谷城阯公園がありました。
※後で判明したことですが、この付近には復数の城山通りが通っていて、世田谷城阯公園は城山通りに囲まれています。(こうして説明していてもやや混乱しますが)これから世田谷城阯公園に行く際はくれぐれも留意してください。
公園のベンチの付近には世田谷城跡の案内板もありました。公園内に進むと、なんと空堀なども残されています。城の本丸は東京都住宅供給公社の敷地と公園の中間あたりでしょうか、現在は立ち入ることが出来ないエリアでした。

世田谷城阯公園にある案内板。

世田谷城の範囲予想図。
世田谷城は、初代吉良氏が南北朝時代(1336年〜1392年)に、関東管領の足利基氏から戦の手柄として領地ををもらいうけて築城したのが始まりといわれています。そして、上記の豪徳寺の説明にあるように、1590年の小田原征伐の際に廃城となりました。
この連載「TOKYO山頂ガイド」では、これまでいくつも平山城を紹介してきました。きちんと統計などを取っていませんが、城跡付近に神社仏閣がつくられることが多いような気がします。
それにしても、世田谷の、しかもこれだけ造成が進んでいる住宅街で、城の痕跡がこんなにしっかり残っているとは驚きでした。何しろ空堀や土塁が、園内のあちこちに残されています。もっとも、こうした空堀などは公園として整備される際に再現されたものだそうで、もともとの石材は江戸城が回収される際に持ち出されたのだとか。
そうだとしても、世田谷城(阯公園)は起伏に飛んだ地形で、平山城の雰囲気を十二分にとどめています。通りすがりの登山者が言うのは大きなお世話かもしれませんが、世田谷区民はもっとこの城跡を掘るべきだと思いました。

世田谷城の空堀(再現)。

公園自体も緑が多くて良い雰囲気です。
前回に続いて今回も招き猫の発祥の地の一つで、猫に惑わされながらの山行でしたが、すばらしい城跡にたどり着けて大満足です。いつか、というか近いうちに必ずまた豪徳寺に来ます(次はネコ目的で)。
次回は、世田谷区の将監山(遺跡)です。
※今回紹介したルートを登った(歩いた)様子は、動画でもご覧いただけます。