
FILE.133は、大田区の松山・桜山です。
第133座目「松山」「桜山」
今回の登山口は、東急池上線長原駅です

東急池上線長原駅登山口。
この連載「TOKYO山頂ガイド」を130回以上続けてきて、これまで未踏だった大田区にいよいよ突入します。僕の中で大田区といわれてパッと思いつくのは、羽田空港か大井町競馬場ぐらい。
逆にいうと、それ以外はよく知らないエリアです。
今回、登山口(最寄り駅)をどこにするか、とても悩みました。目的地は、洗足池公園。東急電鉄の池上線、大井町線、目黒線という3路線に囲まれた公園です。最寄り駅は池上線洗足池駅で、目的地まで歩いて3分。
かなりの駅チカです。だからといって、登山口(最寄り駅)を遠くに設定しても、地の利がないのでいろいろ不安です。そもそも山形在住の僕には、池上線も大井町線も目黒線は全くなじみがありません。
そんな状況で、結局、今回の登山口に選んだのは東急池上線長原駅。洗足池公園周辺の駅はどれも不案内だけど、長原駅から目的地までは距離も適度だし、ルート上に商店があって書くことに困らなそうだし…といったアバウトな理由です。すみません。
なじみのない街の商店街を散策しながら山へ
調べると、長原駅の駅名は、開設当時の地名=荏原郡馬込村字長原に由来。開設前の駅名候補は「馬込駅」でしたが、いざ駅の新設が決まった際に「長原」の仮駅名が付けられ、そこから正式に採用されたそうです。
って、そのまんまですね。そう簡単に、驚きの歴史的新事実を発掘、みたいなことにはなりません。
駅を出ると、そこは「ぱすてる長原」という商店街になっています。大手チェーン店もありつつ、まだまだ昔ながらの個人商店も健在。ほどよい東京の下町の雰囲気が広がってます。

ぱすてる長原(長原町商店街)。
長原駅を出て、そのまま商店街を進んでいくとすぐに目に入るのが「SMASH&SHAKE BURGER」。鹿児島の黒毛和牛バーガー専門店「にくと、パン。」がプロデュースするハンバーガー屋さんで、2024年11月オープンしたそうです。
「最高のお肉を最高のパンに挟む」というコンセプトで、黒毛和牛をはじめとする鹿児島の食材にこだわっているとか。ホームページに書いてあるストーリーを読んじゃうと鹿児島のお店にも行ってみたくなります。
「KYUSYU山頂ガイド」とか新連載ができたら行けるのにな。というか、なぜ鹿児島のお店がピンポイントに長原駅に新規出店したのかは不明。肝心のハンバーガーも含め、ちょっと気になりますね。

SMASH&SHAKE BURGER。インパクト大なイーゼルのハンバーガーの写真がそそります。
以降、特筆すべきことを見つけられないまま、商店街をキョロキョロしながら歩いているうちに中原街道に出ました。
中原街道を洗足池公園方向に進むと、すぐに幹線道路エリアに。これまでの経験上、幹線道路沿いで記事に書けるような何かを見つけられたことがほぼありません。
こうなったら、さっさと洗足池公園に行こう。そう思い、キョロキョロすることもなく歩いていきます。もはや無の境地(?)です。
中原街道を進むと、先ほど通ったのとは別の商店街から延びる道に合流しました。ふと見ると、とんかつ屋さんの隣にオシャレなお店がありました。すでに外観からおいしそうな雰囲気が漂っている「T.SWEETS.LABO.」です。
調べてみると、添加物や人工的な材料に頼らず、身体に良い素材を使った「自然のものを自然に加工する」スイーツを販売しているそうです。
自然大好き、自然リスペクトのハイカー(僕のことです)も、「自然のものを自然に」という言葉にはグッときます。なお、こちらでつくられている多くのスイーツには「糀甘酒」が使われているとか。小麦粉・白砂糖・添加物を一切使用していないので、小麦アレルギーの方でも安心です。

T.SWEETS.LABO.。
「T.SWEETS.LABO.」を過ぎると、洗足坂が始まります。なかなか急な坂道です。この洗足坂のある中原街道は、江戸から平塚の中原に通じる街道だそうで、江戸時代には東海道の裏街道として利用されたそうです。
明治期以降も、神奈川方面から東京への物資輸送路として大きな役割を果たしたそうで、大正6年から12年にかけて改修工事がされるまでは、この洗足坂は現在より短く、さらに急な坂道だったとか。
足腰に自信のあるハイカーの僕が「急坂だな」と感じる現状より、さらに急というと相当です。などと思いながら坂を上がっていくと、目的地の洗足池公園に到着しました。
目的地は、洗足池公園の2つの山
「足」を「洗う」と書いて「洗足」(せんぞく)。この地名、古くは「千束」だったそうで、その名は平安時代末期の文献にも登場します。
地名の由来は「諸説ある」そうですが、身延山久遠寺から常陸へ湯治に向かう途中の日蓮が、この池のほとりで休息して足を洗ったという言い伝えがあり、もとの千束が「洗足」となったという説もあるのだとか。面白いというと怒られそうですが、地名の由来って不思議ですね。

日蓮が足を洗った(?)洗足池のボート乗り場。
この洗足、あの勝海舟ゆかりの地でもあります。洗足池公園に大森第六中学校側から入ると、勝海舟ご夫妻のお墓があるのです。
勝海舟は、江戸城の明け渡しについて話し合うため、中原街道を経由して新政府軍の本陣へ向かう途中、洗足池付近で休息をとったといわれています。
そのときに、洗足池周辺の風景を気に入り、1891年(明治24年)に「洗足軒」といわれる別荘を、現在の大森第六中学校の地に構えました。
勝海舟は1899年(明治32年)に亡くなりますが、遺志によって洗足軒の近くに葬られます。妻の民子は他界後、一度は青山墓地に葬られますが、再びこの地へ改葬されたそうです。
なお、洗足池公園に隣接して、大田区立勝海舟記念館もあります。

勝海舟ご夫妻の墓。
勝海舟ご夫妻のお墓の直ぐ隣には、ふたつの碑があります。ひとつは、「東京奠都七十周年記念碑」。かつて、「江戸無血開城」へとつながる勝海舟と西郷隆盛の対話によって江戸が戦火を免れ、その結果、東京として大いに発展出来たことを称えたもので、1939年(昭和14年)東京奠都70周年を記念して建てられたそうです。

東京奠都七十周年記念碑。
もうひとつ、その隣にあるのは「留魂祠」(りゅうこんし) 。1877年(明治10年)に戦死した西郷隆盛を惜しんで、勝海舟が1883年(明治16年)に薬妙寺(現葛飾区東四ツ木)境内に造立した祠だそうです。海舟没後、遺言により、勝海舟夫妻の墓の隣地にに移転したそうです。

留魂祠。
勝海舟夫妻の墓で手を合わせ、道路を挟んだ公園の北側の小高い場所へ登っていくと、ベンチや妙なフォルムの彫刻だか東屋のようなものがありました。山頂を示すものなどは何もありませんが、公園の地図によるとこの付近が「松山」、通称へび山です。名前の通り松林に囲まれています。

松山(通称へび山)山頂付近。
その松山を下り、道路を挟んだ丘へトラバースしていきます。すこし急な斜面を一気に登り切ると、山頂はなだらか広場になっていました。桜の木が多く植えられており、眼下には野球場が見えます。
こここにも山頂を示すものはありませんが、公園地図には桜山と記載されていて大田区の桜の名所になっています。実際、周辺で一番高い場所です。

ただの土の斜面のようですが、桜山山頂付近です(たぶん)。
今回はやや駆け足での紹介となりましたが、洗足池公園には他にも水生植物園や見どころがたくさんあります。春の桜山はもちろん、秋のイチョウやモミジもキレイらしいので、また別の季節に再訪したいと思います。
それにしても、縁もゆかりもない街にある山目的で訪れた公園で、歴史的な偉人の足跡に触れることができたのはうれしい誤算です。こういった意外な発見や出会いがあるのも、東京の山登りの魅力のひとつですね。今回初めて足を踏み入れた大田区、期待以上に楽しい場所でした。
次回は、大田区の木原山です。
※今回紹介したルートを登った(歩いた)様子は、動画でもご覧いただけます。