
写真提供:いにしえ
高齢化や後継者不足など様々な問題を抱え続けてきた日本の農業。そんな中、脱サラして農業にチャレンジする人たちも少なくはない。山形県東根市の果樹園でぶどうを栽培する井形誠さん(いにしえ代表)もそのひとり。
この道に入って約15年。紆余曲折を経て辿り着いた「やればやるほど自然が豊かになる農業を世界に広めて行く」という目標に、毅然と、それでいて楽しげに立ち向かう井形さんに、その思いを語ってもらった。
自然と調和する農業の仕組みを作るため、ぶどう畑を立ち上げた
「やればやるほど自然が豊かになる農業」とは?そのモデルケースともいえるのが、井形さんが、果樹栽培が盛んな山形県東根市に3人の仲間たちと一緒に2020年に立ち上げた一家農園だ。ワイン専用のデラウェア(小粒な品種)を栽培する約4ヘクタールの果樹園なのだが、そこには、植物、虫、鳥、動物、微生物など、さまざまな生き物が生息していて、外から来たり、また外へ出ていったりしているという。
その興味深い挑戦について、じっくりとお話をうかがったインタビュー。まずは、農業を目指すことになったきっかけから「一家農園」立ち上げに到るまでの歩みについて伺った。

山形県東根市の果樹園「一家農園」の代表・井形誠さん。
--会社員として働いていた後、農業の道に進む決意をしたきっかけは何だったのでしょう
井形さん(以下・井)私はもともと動物も自然も好きだったのですが、仙台の広告会社でビジネスパーソンとして働いていた時に、クライアント(顧客)の動物病院の先生から、武田修さんという自然保護員の方を紹介されたんです。
武田さんは、親とはぐれて保護されたニホンカモシカの赤ちゃんを引き取り、野生に帰せるように育てていた方でした。それがきっかけとなり、武田さんの施設でお手伝いをすることになりました。
--会社勤めをしながら、ボランティア活動としてお手伝いしていたのですか?
井 はい。2年ほどだったのですが、その間に、今の日本の社会の仕組みって、あまり動物に優しくないんじゃないか、と思うような出来事があったのです。
武田さんは、野生の傷病動物の治療と自然への帰還を支援する取り組みをしていて、その施設にはハクビシンもいました。
ハクビシンは外来種なので治療が終わっても野外に放つことができないため、保護した数がどんどん増えていくんです。そんなハクビシンに対して、ある農家の方が動物好きの私にとっては聞くに堪えない言葉を口にしたんです。
その頃の私は農業についての知識が全くなく、被害を被る農家側に立った考え方がでなかったこともあり、ただ単純に「動物を排除するなんてひどい!」と思い込んでしまいました。
ふゆみず田んぼとの出会い
そんな私に武田さんが、県北部の大崎市には、マガン(真雁)などの渡り鳥や田んぼの生き物のために、冬の間も水を張っておく「ふゆみず田んぼ」というのがあると教えてくれました。
「冬期湛水」ともいう農法なのでのすが、田んぼに水をためる目的は、集まってきた渡り鳥の糞や水の中に残った藁、稲の切り株などの作用で、多様な生物が生息する豊かな水田を作ることだというのです。
この話を聞いた私は、冬の田んぼの様子を見たくて、早朝に車で田尻町に何度も通いました。そこで出会った農家さんと話をしたら「冬場は動物の観察ばっかりだよ」というんです。それを聞いてワクワクしました。こういう農業が広がったらいいなって。それをきっかけに、いつか農業をやろうと決めたんです。
--その後すぐ脱サラを?
井 その時点では、まだ。まずは、農業の道に進むための方法を見つけようと考えたんです。
私は当時、27か28歳とまだ若かったのですが、仕事の内容が広告だったことで、社長や幹部など、会社の上層部の方にお会いする機会が多くありました。
その当時(2000年初頭)の日本の農業経営について言えば、トップに経営に長けた人物がいると成功していくという時代でもありました。
それで思ったのです。経営がわかる人間が農業を始めたら、経営的にもうまくいくかもしれないといと。
農業のことを勉強し始めながら、マーケティングやビジネスにおけるモチベーション、経営者の勉強も始めました。ただし、3年後には脱サラして本格的に農業の道に進もうと「夢を成し遂げる日付」を決めました。
仙台から山形へ移り住んで
--3年の準備期間を経た後、会社を辞められたのですね。
井 その間は農業についてかたっぱしから調べ、山のように勉強しました。その準備期間中に、自分はもしかしたら野菜や米作りより、果樹が性に合っているのでは? と思うようになりました。そこから果樹を基準に進むことにして、2006年の脱サラとともに生活の拠点を仙台から山形県東根市に移しました。
--フルーツ王国とも言われる山形県です。まずは、どんなことをなさったのしょう。
井 県の農業支援制度を利用して、農業経営も学べそうな規模の果樹園を探し、1年間の研修を受けました。ここでは、通販や出荷の仕組み、デパートの販売のルールなど、広く薄くではありますが、実践で多くを学ぶことができました。
ところが、研修を終え、いざ自分で始めようと思ったら肝心の畑がなかなか借りられない。ここから試行錯誤の日々が続きました。
そんな中で出会ったのが、りんごの自然栽培に取り組み続けた木村秋則さんをモデルにした映画『奇跡のりんご』です。壁にぶち当たり、もがいていた時だったのですが、映画を観て本当に自分がやりたいことが見えた気がしました。そして弘前に移り住み、木村さんの指導のもと、養成コースで1年間、自然栽培の基本を学びました。
--基本的な質問なのですが、自然栽培と自然農法は違うのでしょうか。
井 私たちから見ると明確に違います。自然農法は自然のままにするという意味合いで、なるべく手をかけず、放置に近い状態でする栽培方法のこと。耕さずに種をまき、農作物を育てる不耕起栽培が一例です。
一方の自然栽培は、例えば、自然を真似て手をかけるとか、手をかけて自然の姿を再現するとか、手をかけて自然に近い環境を作って農作物を栽培すること。木村さんから学んだのは「自然栽培」です。

農業の専門書だけでなく、たくさんの本を読んできた井形さんの本棚から‥。 『ミュータント・メッセージ』 、『リンゴが教えてくれたこと』、 『狼の群れと暮らした男』
--とくに印象に残っている木村さんの教えはありますか?
井 「すべては自然の中にヒントがある。そのやり方(=自然栽培)は、世界中のどこででもできるから、常に近くの自然を見て学びとりなさい」という言葉です。
弘前での研修を終えた後、東京の自然栽培で生産された野菜や加工品を販売する店舗の責任者として5年勤めたのですが、そこで自然栽培を実践する全国の農家さんとのネットワークを持つことができました。2020年2月、山形に戻り、私の思いに賛同してくれる同級生と先輩を合わせた4人のメンバーで、『一家農園』を立ち上げました。

井形さん愛用の剪定ばさみ。一家農園の立ち上げのために山形に戻る時に、それまで5年間店長をつとめた東京の店のスタッフから贈られたもの。
後半に続く。
いにしえ https://inishi-e.com
取材協力:MIZEN https://mizenproject.co.jp
写真 小倉雄一郎