
日本で唯一のプロハイカー・斉藤正史さんは、そんなシーニックトレイル全11ルートの踏破に挑戦中です。2024年9月から10月にかけては、アメリカ東部の「ポトマックヘリテージトレイル」と「ニューイングランドトレイル」に挑みました。
斉藤さんによるアメリカのトレイルの最新レポート第14回をお届けします。
[ポトマックヘリテージトレイル編 その14]
19年ぶりに歩いたアパラチアン・トレイルの感触
前回に続いて、今回もOFF TRAIL=トレイル外の行動です。OFF TRAIL2日目は、2005年に歩いて以来、19年ぶりとなるアパラチアン・トレイルに向かいました。
そもそも、APPALACHIAN TRAIL(アパラチアン・トレイル)とは——。3大トレイルの中でももっとも人気があり、アメリカ東部のジョージア州からメイン州にかけての14州にまたがる約3,500kmの長距離自然歩道です。
なお、3大トレイルとは、このアパラチアン・トレイル(AT)と、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)、パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)です。この連載のvol.1で、アメリカ連邦議会の承認を得たものがナショナル・シーニック・トレイル(National Scenic Trail)だと説明しました。1968年、PCTとともに初めてナショナル・シーニック・トレイルに指定されされたのが、アパラチアン・トレイルなのです。
アパラチアン・トレイルのコースはほぼアパラチア山脈に沿っています。アパラチア山脈の東側に3つある国立公園のうち、グレート・スモーキー山脈国立公園(テネシー州)とシェナンドー国立公園(バージニア州)を通るほか、さまざまな自然保護区や州立公園を通過します。

アパラチアン・トレイルの全体図。

アパラチアン・トレイルは略してATと呼ばれ、AとTが合体したものがロゴマークです。
アパラチアン・トレイルでは、毎年、約2,000人がスルーハイク(=単年で一気に歩き終えること)に挑戦します。多くのスルーハイカーは、雪の残る北部を避け、春に南端のジョージア州スプリンガー山を出発、そこからメイン州のバクスター州立公園(Baxter State Park)が閉鎖される10月15日までに、北端のカタディン山のゴールをめざします。
3大ロングトレイルの中でもスルーハイクでの踏破率は低く、成功するのは全体のわずか10%ほどといわれています。ちなみに、スルーハイク、セクションハイク(※)を問わず、全区間を踏破した者は、総延長が2,000マイル余りであることから、2000 Milerと呼ばれています。
※セクションハイク:トレイルをセクションに分け、休止なども挟みながら、最終的に全区間を踏破すること。
僕が歩いた2005年、アメリカのロングトレイルをスルーハイクした日本人ハイカーは片手で余るほどでした。僕は縁があって、この2005年のアパラチアン・トレイルで日本のロングトレイルの第一人者であり、作家でバックパッカーの故・加藤則芳さんに出会いました。この出会いがその後の運命を大きく変えるきっかけとなります。
このトレイルで加藤さんに出会わなければ、加藤さんの背負ったバックパックを受け取ることもなく、今こうしてこの地に再び来ることも、プロハイカーとして活動することもありませんでした。僕にとっての原点、それはまさにアパラチアン・トレイルなのです。

「ホワイトブレイズ」と呼ばれる長方形の白いマークがアパラチアン・トレイルのルートを示すサイン。
ということで、19年ぶりのアパラチアン・トレイルに心踊ります。宿泊先のCross Trails Hostelから、アパラチアン・トレイルのルートを目指して南方向に進むと、前日訪れたハーパーズ・フェリーに着きます。
ポトマック川の流れる橋を渡り、ハーパーズ・フェリーに入ると、セイントペーターズローマンカトリック教会の脇を通り、一気にハーパーズ・フェリーの高台へ。そこに、ジェファーソン・ロックがありました。

史跡もトレイルのルートになっています。
ジェファーソン・ロックは、ハーパーズ 層(片岩、千枚岩、頁岩で構成)の大きな塊がいくつも積み重なってできたものです。この名前は、1783年にこの場所に立ったトーマス・ジェファーソン(第3代アメリカ合衆国大統領で「アメリカ独立宣言」の起草者のひとり)に由来しているそうです。
ちなみに、妻のマーサ・ジェファーソンは夫が大統領に就任する前に33歳で亡くなっており、代理として娘のマーサ・ワシントン・ジェファーソンがファーストレディを務めたそうです。
ジェファーソン・ロックの最上部の石板は、もともと自然石の土台の上に載っていました。その石板は、軽く押すだけで前後に揺れるほど不安定だったそうです。
この土台は天候の影響や観光客によって、非常に危険な大きさにまで摩耗してしまいました。そんなこともあって、1855 年から 1860 年の間に、最上部の石板の各角の下に 4 本の石柱が設置されたそうです。

ジェファーソン・ロック。
ジェファーソン・ロックから一気に下り、今度はシェナンドア川にかかるその名もシェナンドア橋を渡ります。今度は、2005年の時と逆方向、アパラチアン・トレイルのルートをサウスバウンド(南向き)に歩いていきます。2005年はノースバウンド(北向き)に歩きました。

シェナンドア橋の欄干にも、トレイルを示すホワイトブレイズがありました。
19年ぶりのアパラチアン・トレイルですが、反対向きに歩いているせいか、最初は全く懐かしさを感じませんでした。でも、約9マイル(約14.4km)歩くと、見覚えのある場所にたどり着きました。キーズ・ギャップ・パーキング・トレイルヘッドです。
今回は2日に分けて歩くのですが、2005年に歩いたときは宿泊先のベアーズデン・ホステルから一気に20マイル(32km)ほど歩き、ハーパーズ・フェリーに入りました。下りの道のりだったこともあり、それだけの距離を一息に歩けたのです。
当時はハーパーズ・フェリーで泊まれなくても、6マイルくらい歩けばシェルターに着くだろうという考えもありました。2カ月以上も歩き続け、ハイカー・ボディ(トレイルに適した体力や心肺機能など)を手に入れていた2005年当時の僕にとって、20マイルは大した距離ではなかったのです。
そのときに休憩した場所が、ここキーズ・ギャップ・パーキング・トレイルヘッドです。今回も一服して、さらに先に進みます。

キーズ・ギャップ・パーキング・トレイルヘッド。
この辺りのアパラチアン・トレイルのルートは、バージニア州とウエストバージニア州の州境を行ったり来たりしながら南に延びています。
徐々に森も色づき始める季節です。10月に入るとスルーハイカーの姿はなくなり、セクションハイカーやデイハイカーを時おり見かけるだけ。多くの人が行き交うオンシーズンから一転、とても静かなトレイルに変わります。

この道、前に通った!なんてことのない風景に見えますが、ここで急に記憶がよみがえりました。
アパラチアン・トレイルには、「シェルター」が多く設けられています。15km~40kmほどの間隔で点在している、三辺が壁で屋根が付いただけの簡素なシェルターです。小さなシェルターだと定員は2名ほどですが、定員が10名を超える大型のシェルターもあります。
シェルターはfirst-come、つまり先着順です。満員の場合、周辺にテントサイトがあればそこに、なければシェルターの近くのフラットなエリアにテントを張ります。なぜシェルターの近くにテントを設営するのか。シェルターにはトイレがあるし、近辺に水場も設けられているからです。

この日訪れたデイビット・レッサー記念シェルター。
この日は、午後2時にシェルターに着くと、テントを広げて乾かしているハイカーがいました。彼の名前はダミアンで、典型的なウルトラライト系のハイカーでした。
ダミアンは9日前、バージニア州ウエズボロを出発。ハーパーズ・フェリーとの間をセクションハイクしているとのことでした。前回記した9月のハリケーンの影響もあって、トレイル中はほぼ雨。ようやく最後の日の今日、晴れたそうです。
僕もスタート当日以外は、ずっと雨続きでした。「Congratulations!」といって僕はダミアンと握手し、しばらく話し込みました。
彼は明日、ハーパーズ・フェリーに宿泊し、翌日にワシントンDCからフロリダに戻るとのことでした。せっかくなので、シーニックトレイルのひとつであるフロリダ・トレイルの情報を聞きつつ、ダミアンのトレイル最後の日を一緒に過ごしたのでした。

ようやく晴れたので、テントなどを天日干し。
セクションハイカーは、何年もかけてトレイルの各区間(セクション)を歩き、踏破を目指します。2005年当時、日本ではアパラチアン・トレイルに関する情報が全くなく、ガイドブックも入手困難。僕は不安を抱えつつ、現地に到着しました。
実際に歩き始めると、セクションハイカーと一緒に歩く機会が多く、トレイルに関するさまざまなことを教えてもらいました。
ざっくりと大別すると、スルーハイカーは自らの限界への挑戦も含め、チャレンジすることが目的です。一方、セクションハイカーはより自然やトレイルそのものが好きな人が多い印象です(僕個人の感想です)。
彼らセクションハイカーは、自分の人生の中の一部としてトレイルが存在しています。話を聞いていると、言葉の端々からトレイル愛が感じられます。それでいて、トレイルに対する考え方の異なるスルーハイカーにネガティブな感情は一切持っていません。
セクションハイカーの彼らから、「わざわざ日本からきて、スルーハイクでアパラチアン・トレイルにチャレンジするなんてすごいね」とよく声をかけてくれました。
そう言われ、僕はセクションハイカーへのリスペクトを込めてこう答えました。「アメリカに住んでいたら、きっと僕はスルーハイクはしないよ。セクションハイクの方がトレイルを楽しめるから」と。
トレイルをしっかり満喫できるセクションハイカーがうらやましい。これは、僕の本音でした。そして、自分が最初に挑むロングトレイルで、トレイルや自然を愛するセクションハイカーたちに出会えたことが大きな財産になりました。だからこそ、20年近くたった今もこうして歩き続けることができるのだと思います。
今でも折にふれて19年前の奇跡的な出来事の数々を思い出すし、やっぱり何ごとも初心忘るべからずだなと思います。いつの間にか、すぐ「疲れた」とか「暑い」とか口にするようになった自分を反省…。

シェルター内部の様子(ダミアンの許可を得て撮影)。
なお、アパラチアン・トレイルのシェルター近辺では「ベアハンガー」が設置されていることがあります。シェルターから少し離れた場所、食べ終わった食料、匂いのするクリームや歯磨き粉などを袋に入れてベアハンガーに吊るしておきます。こうすることで熊が、シェルターではなくベアハンガーに向かうためです。その名の通り、熊対策です。
ベアハンガーがないところでビバークする場合などは、木に吊るして食料を保管します。もっとも、ベアハンガーが常設されているということは、それだけ熊の出没も多い証拠なので注意が必要です。
この日、僕はひさびさのアパラチアン・トレイルのシェルターにテンションが上がりました。それにしても、きれいなシェルターで良かった(ネズミが多かったり、汚れていたりするシェルターも少なくないので)。
そして、ひさしぶりにセクションハイカーハイカーと一緒に夜を過ごしました。かつて味わった雰囲気や匂い、気分などの記憶がよみがえります。僕はやっぱり「この感じ」が好きなんです。

シェルター近辺で目にすることが多い鉄製のベアハンガー。
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