再訪したホステルで思い出したハイカーの原点【プロハイカー斉藤のナショナルシーニックトレイル踏破レポ vol.15】 - 【BE-PAL】キャンプ、アウトドア、自然派生活の情報源ビーパル
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    2025.04.12

    再訪したホステルで思い出したハイカーの原点【プロハイカー斉藤のナショナルシーニックトレイル踏破レポ vol.15】

    再訪したホステルで思い出したハイカーの原点【プロハイカー斉藤のナショナルシーニックトレイル踏破レポ vol.15】
    トレイルの本場であるアメリカには、連邦政府によって認定されたトレイル(ルート)がいくつかあります。そのうち「シーニックトレイル」と呼ばれるものが全11ルートあり、総距離は約17,800マイル(約28,646km)におよびます。

    日本で唯一のプロハイカー・斉藤正史さんは、そんなシーニックトレイル全11ルートの踏破に挑戦中です。2024年9月から10月にかけては、アメリカ東部の「ポトマックヘリテージトレイル」と「ニューイングランドトレイル」に挑みました。斉藤さんによるアメリカのトレイルの最新レポート第15回をお届けします。

    ポトマックヘリテージトレイル編 その15]

    オフトレイル3日目は、2005年の思い出の地へ

    前回に続いて、今回もOFF TRAIL=トレイル外の行動です。OFF TRAIL3日目は、2005年に歩いて以来のアパラチアン・トレイルとベアーズデンホステルを巡りました。

    朝、アパラチアン・トレイルのシェルターで起床。昨日いろいろと話を聞かせてもらったセクションハイカーのダミアンと別れ、それぞれの道へ向かいます。

    僕はポトマックヘリテージトレイルを歩き始めて日が浅く、まだまだハイカー・ボディ(トレイルに適した体力や心肺機能など)にはほど遠い状態です。小刻みに繰り返すアップダウンに苦戦しながら歩いていきます。

    2005年のときは一気に駆け抜けたのでその存在気づきませんでしたが、途中にビジターセンターの「ブラックバーン・トレイル・センター」がありました。

    トレイルのコースからは約0.2マイル(約322m)離れています。わずか0.2マイルとはいえ、けっこうな下りに感じます。「320m以上も下るのか」と思いつつ、時間だけはあるので歩を進めることにしました。ちなみに、ダミアンは前日、ここに泊まったそうです。

    ブラックバーン・トレイルセンター。

    きれいに管理された休憩スペース。

    シーズンを終えたビジターセンターに人影はありませんでした。それにしても広くきれいな建物です。このまま寝袋を広げれば心地よく眠れそうな雰囲気ですが、ビジターセンターの裏には立派なシェルターもありました。

    ブラックバーン・トレイル・センターには、ハイカーが不要になったギアなどを交換するためのハイカーボックスもありました。中をのぞくと、いろいろなものであふれていました。
    (※)ハイカーボックスの詳細はvol.12参照。

    ピクニックテーブルで休憩してから、また急な登りを上がって、アパラチアン・トレイルに戻ります。ブラックバーンビジターセンターまでは、小刻みなアップダウンの道のりでした。そして、その先がアパラチアン・トレイルらしく、大きなアップダウンの岩場の道が続いていました。僕の記憶では、2005年のときはさほど苦労せず一気に通り過ぎたと思います。でも、今回はアップダウンがけっこう体に堪えました。

    ようやく眺望のあるレヴィン・ロックス・ビスタに着いたので、昼食を兼ねて休憩。すると、ジョシュアだと名乗るデイハイカー(1日だけトレイルを歩くハイカー)に声をかけられました。19年前にアパラチアン・トレイルを歩いたことなどを話すと、彼はフルーツの盛り合わせをくれました。「僕は家に帰ればいくらでもあるから食べて」と。

    写真を撮ってくれとジョシュアに頼まれて撮影。

    ジョシュアからもらったフルーツミックス。

    その後も、次々にやってくるデイハイカー。その度に「アパラチアン・トレイルを歩いているの?」と聞かれます。あー19年前もこんな感じだったな、と思い出しました。

    一歩アパラチアン・トレイルに足を踏み入れると、沿線の人たちの言動や雰囲気が変わります。ハイカーに対して、敬意や仲間意識を持って接してくれるように感じます。やっぱり、特別なトレイルなのだとあらためて思いました。

    今の僕はポトマックヘリテージトレイルのオフで、2005年の思い出の地を巡っている身です。でも、19年前のスルーハイカーに戻ったような気分になりました。

    そのままアパラチアン・トレイルを進み、バージニア州とウエストバージニア州の州境を越えます。そして、僕は記憶の糸をたどるように、2005年の思い出の地である「ベアーズデンホステル」へと向かいました。

    バージニア州とウエストバージニア州のトレイル上の州境。

    確か、こんな道だったよな。足というか全身で、2005年に歩いたときの記憶を思い起こしながら、トレイルを進みます。

    間もなく、19年前と同じようにベアーズデンホステルの裏手に着きました。「ここだ!」思わず声に出てしまうほどの感動です。

    ベアーズデンホステルへの道を示すサイン。

    懐かしのベアーズデンホステル!

    2005年、僕がベアーズデンホステルにたどり着いたのはたまたまです。ハイカーの懐に優しい宿泊料だし、何より無料で使えるオンラインのPCがあることが大きかったです。

    当時、ハイカーは街に着くと、食料よりも先に図書館やアウトドアショップなどに向かいました。タダで使用できるPCがあるからで、客観的に見たらおかしな光景かもしれないけれど、PCの前にハイカーが行列をつくることもあったのです。

    なぜ、そうまでしてPCを使いたかったのかというと、家族や友人に無事を伝えるためです。当時は、トレイルのルート上で携帯電話の電波が入る場所がほとんどなく、気軽に連絡できませんでした。

    まだスマホが登場する以前の話です(初代iPhoneの登場は2007年です、念のため)。しかも、アメリカで使えるPCに、日本語のフォントは入っていません。そうしたことから、僕は日本にいる友人たちとローマ字でメールをやり取りしていました(懐かしい)。

    2005年当時、僕は初めてのロングトレイルであるアパラチアン・トレイルを歩きながら、とても気がかりなことがありました。妹が出産を控えていたのです。

    後から聞いた聞いた話では、妹は妹で兄が急にアメリカで3,500kmもの距離を歩くロングトレイルに挑戦すると言い出し、戸惑いや不安を感じていたようです。なお、妹は無事に出産しました。

    19年ぶりにベアーズデンホステルを訪れ、室内の共有スペースへと歩を進めます。かつてデスクトップPCがあった場所は棚になっていました。そして、ホステル内ではWI-FIが使えるようになっていました…。

    さすがに19年前とは共有スペースの雰囲気も変わっている…気がします。

    確か2005年のときは、夕食にピザを焼いてもらい、他のハイカーといっしょに食卓を囲みました。翌朝の朝食はパンケーキで、出発する際には昨日のピザの残りを「ランチに食べて」と、スタッフが持たせてくれました。ホステルにきたら、細々とした記憶が急によみがえってきました。

    現在のベアーズデンホステは、ハイカースペシャルという料金設定があり、1泊40ドルで2食(夕食・朝食)・洗濯込み(素泊まりは1泊30ドル)。夕食は大きな冷凍ピザを自分で焼くスタイルで、ハイカーが大好きなハーゲンダッツのアイスやソーダもセットになっていました。

    「これじゃ儲けが少ないだろうな」と思いつつ、僕はピザもアイスもソーダもありがたく一気にいただいたのでした。

    その後デイハイカーやバイカーがホステルにやってきましたが、何人かに「MASA?」と声をかけられました。いつの間に自分は有名人になったのだろうと不思議に思いましたが、ここに来る前に会ったジョシュアが、行き合った人たちに日本人ハイカーである僕のことを話してくれたようでした。

    ベアーズデンホステルで働くスタッフの顔ぶれは変わっていました。でも、どのスタッフもハイカーフレンドリーで、何よりこのホステルが居心地が良い場所であることは、19年経っても同じままでした。

    ホステル内の壁に書かれた絵。スプリンガーマウンテンはアパラチアン・トレイルの南の起点、マウントカタディンは北の起点です。

    2005年、僕は最初に挑むロングトレイルとして、アパラチアン・トレイルを歩きました。そのときにさまざまなハイカーたちと出会い、言葉を交わしたことが、自分にとって大きな財産になったと前回書きました。それは、ベアーズデンホステルで過ごした時間も同じです。

    たどり着いたハイカー、出発するハイカー、そんなハイカーたちを優しく見守るホステルのスタッフ。たった1泊ではあるけれど、このホステルに滞在し、「ロングトレイルって素晴らしいな」と実感できたのです。

    やはり、僕にとって2005年にアパラチアン・トレイルで過ごした時間は、ハイカーとして掛け替えのない糧になっているのです。

    2024年にベアーズデンホステルに足を運び、「また来て良かった」と心から感じました。

    ベアーズデンホステルのキャンプ場にあるアパラチアン・トレイルのサイン。

    ベアーズデンホステルに泊まった翌日、トレイルエンジェル(=ハイカーをさまざまにサポートしてくれるボランティア)の運転する車でハーパーズ・フェリーまで連れて行ってもらいました。

    そこから、もともと滞在していたCross Trails Hostelに戻り、ホステルのスタッフと話したりしながら残りの休日をゆっくり過ごしたのでした。

    ホステルスタッフに教えてもらったポトマック川にかかるハーパーズ橋の絶景。

    10月7日、ポトマックヘリテージトレイルを歩き始めて9日目。

    この日、Cross Trails Hostelには3組、合計7人のハイカーが宿泊していました。みんな明るくなる前からゴソゴソしています。ハイカーの朝は早い!

    僕も、のんびり過ごした4日間のオフトレイルの分を取り返すため、朝早くにホステルを出発しました。スタッフに教えてもらったビューポイントに立ち寄り、再びトレイルへ。そしてトータル3往復したハーパーズ・フェリーへの道を歩き、ようやくその先へと足を踏み入れたのでした。

    The Potomac Heritage Trail : MILE 61.2

    ハーパーズ・フェリーの近くに、メリーランドハイツハイキングトレイルがあります。このトレイルには、メリーランド・ハイツの展望台までの 1,200 フィート(約370m)を登るルートも含まれています。展望台からは、ポトマック川とシェナンドア川に囲まれたハーパーズ・フェリーの街並みが見えるそうです。ここには、1862 年に南軍が砲撃して街を占領した際の砦があります。

    メリーランドハイツハイキングトレイルは全長が4.2マイル(約6.7km)もあるので、寄り道で済ませられる距離ではありません。もともと僕が歩いているC&O運河トレイルと被っているルートだけ歩くことにしました。

    メリーランドハイツハイキングトレイルのサイン。

    C&O運河トレイルを歩き始めると、昨日までいたアパラチアン・トレイルが嘘のようです。C&O運河トレイルでは他のハイカーから話しかけられることがないというか、ほぼ人と出会いません。

    しかも、ずっと登り坂が続いていて、地味に体力を奪っていきます。まるで僕の人生のようだと暗い気分になりかけましたが、どうやら天気が回復する様子なので少しほっとしていました。

    ポトマックヘリテージトレイル公式サイト

    ナショナルシーニックトレイル踏破レポのバックナンバーはこちら

    ※vol.13〜15で紹介したトレイルの様子は、下記の動画でもご覧いただけます。

    私が書きました!
    プロハイカー
    斉藤正史
    2012年より日本で唯一のプロハイカーとして活動。トレイルカルチャー普及のため、海外のトレイルを歩き、アウトドア媒体を中心に寄稿する傍ら、地元山形にトレイルのコースを作る活動「山形ロングトレイル(YLT)」を行なう。スルーハイク(単年で一気にルートを歩く方法)にこだわり、スルーハイクしたトレイルだけで22.000km(地球半周以上)を超える。最新情報はブログを。また、BE-PAL.netにて「TOKYO山頂ガイド」を連載中。

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