
日本で唯一のプロハイカー・斉藤正史さんは、そんなシーニックトレイル全11ルートの踏破に挑戦中です。2024年9月から10月にかけては、アメリカ東部の「ポトマックヘリテージトレイル」と「ニューイングランドトレイル」に挑みました。斉藤さんによるアメリカのトレイルの最新レポート第17回をお届けします。
[ポトマックヘリテージトレイル編 その17]
バラックのような宿泊場所に上がるテンション
The Potomac Heritage Trail : MILE124 | Hancock
4日ぶりの街、ハンコックに到着。この街の名前は、アメリカ独立戦争でジョージ・ワシントンと共に戦ったエドワード・ジョセフ・ハンコック・ジュニア(1758年7月21日 – 1834年9月2日)に由来しているそうです。と、泊まる街なので軽く街の歴史に触れてみました。
このハンコックに着くまでの間、C&O運河トレイルと並行する道がありました。何かと思っていたら、ウェスタン・メリーランド・レール・トレイルのルートだったようです。
ウェスタン・メリーランド・レール・トレイルは、ウェスタン・メリーランド鉄道の旧ルートをたどる道で、全長約28マイルの自転車ルートです。C&O運河トレイルと並行していて、全ルートが舗装路。途中でC&O運河トレイルへアクセス可能なポイントがいくつもあり、バイカーは2本のトレイルを行ったり来たりしながら楽しむそうです。
ワシントンDCを出発して11日目、前日の宿泊地であるリッキング・クリーク・ハイカー・ビカー・キャンプサイトからわずか14マイル。C&O運河トレイルを走るバイカーには有名なバンクハウスがあり、僕も事前に宿泊予約をしていたC&O Bicycleに到着しました。C&O運河トレイルのルートから徒歩1分ほどの場所にあります。
店名通り自転車ショップですが、Tシャツなどのオリジナルウェア、C&O運河トレイルの関連グッズ、エナジー系の食料なども充実。僕が到着したのはお昼前ですが、店内は常連らしきバイカーで賑わっていました。
受付らしいところにいた年配の女性スタッフにバンクハウスを予約していると伝えると、「あなたね、待っていたよ。夜は寒いけど平気?」などと、とてもフレンドリーな対応。バンクハウスはショップの裏の庭にあると教えてくださいました。

C&O Bicycle。

店内は自転車の関連ギアや多彩なアイテムがぎっしり。
教わった通り、C&O Bicycle裏手にまわってバンクハウスに向かいます。台風がきたら簡単に壊れそうな感じのバラックがあり、それが目的のバンクハウスでした。
このバンクハウスの情報を教えてくれたバイカーが「ハチの巣みたいな感じ」といっていましたが、まさにそんな雰囲気です。来た来たー!個人的には高級ホテルなんかより、こういった場所の方がテンションが上ります。
バンクハウスの中に歩を進めると、棚や物置きといった印象の2段ベッドが9台ほど並んでいました。中央には、カーテンで囲われた試着室のような着替え場所もあります。
ホームセンターで見繕った材料で手づくりしたようなシャワー室と、簡易トイレも完備。業務用の冷蔵庫もあるし、ピクニックテーブルが置かれた焚き火スペースもあります。これぞハイカーの宿泊場所といった雰囲気で、すごく良い!
ポトマックヘリテージトレイルをスタートした11日前は、「暑い、暑い」とグチっていました。でも、ここ数日でぐっと気温が下がってきました。日中は温かいのですが、陽が沈むとダウンジャケットが必要になるほど。このバンクハウスのシャワー室はほぼ屋外にあるので、めちゃめちゃ寒かったです。
日本に暮らしている人の基準に照らせば、このバンクハウスにはおかしなところや不備がいくつもあると思います。でも、僕はこういった場所でこそ、「トレイルを挑戦している」という実感を得られるのです。
調べると、C&O Bicycleのバンクハウスの近くにはSave A Lotがあることが分かりました。Save A Lotはチェーン店のスーパーで、とにかく安いことが魅力。僕の次の食料補給の予定地はカンバーランドという街です。そのンバーランドまでの4日分の食料と、これからバンクハウスで食べる分を買いに出かけました。
Save A Lotへの買い出しから戻ってきても、バンクハウスにはまだ誰も来ていませんでした。おそらく今夜の宿泊客は僕一人なのでしょう。1日ごとに気温が下がり、もうバイカーもシーズンオフになります。

ハチの巣のようなバンクハウス。

収容施設ではなく、バンクハウスです。

ほぼ屋外で寒い季節にはキツいシャワー。
The Potomac Heritage Trail : MILE 127.4
愛着のような感情すら抱いたC&O Bicycleのバンクハウスを出発し、ハンコックの街を出ると、すぐにあったのがラウンドトップ セメント工場跡です。この工場も他の産業と同じように運河建設に伴って開業したものです。
工場の始まりは、1830年代にラウンドトップヒル付近の掘削中に、運河労働者がセメントの主要原料である石灰岩を発見したこと。1838 年にC&O 運河会社が、石灰岩の採掘とセメント工場の建設を許可します。それから25年間にわたり、C&O運河の建設計画であるカンバーランドまで残りの 60 マイルの運河建設にセメントを供給したそうです。
セメントはC&O 運河とB&O 鉄道によって出荷され、最盛期には1 週間あたり平均 2,100バレル(約333,873リットル。って換算しても想像もつきませんが)の水圧セメントを生産。ワシントン郡で最も収益性の高い事業の1つとなったそうです。
ここのセメントは、ワシントン DC の国会議事堂の基礎部分にも使用されたとか。それが、コンクリート技術の進歩により、1909年に工場は閉鎖されました。現在も、C&O運河トレイル沿いに100年以上前のセメント工場の遺構がいくつか残っています。

ラウンドトップセメント工場跡。

城の遺跡のような雰囲気ですが、セメント工場の遺構です。
それにしても、この日は一向に天気が上向きません。昨日までは日中は暖かかったけど、今日はずっと薄ら寒いまま。川沿いだから寒いのかもしれません。
そんな気候の中、スタート当初からずっと続く登り坂を歩いていると、トレイルというより修行とかお遍路でもしている気持ちになります。何だか、いろいろつらい…。つい数日前、アパラチアン・トレイルを訪れて、初心忘れるべからずなどと謙虚な気持ちになったはずなんですが…。
そんな愚にもつかないことを考えていると、突然、後ろから声を掛けられ、とても驚きました。
僕以外の人は賢いので、基本的にこのトレイルを上流から下流に向かいます。ひたすら登り道を進む僕とは逆に、下っていくわけです。その方が楽だから。
ということで、ワシントンDCを出発して13日、トレイルで出会ったバイカーはたいてい僕の前方から登場しました。でも、この日は珍しく後方からバイカーが現れたので、ひどく驚いたのです。
振り向くと、そこそこの年齢のバイカーがいました。適当にあいさつを交わしてすぐ別れてもおかしくない状況ですが、彼とはそこから2kmほど一緒に歩き、あれこれ話し込むことになりました。なぜ急速に彼と親しくなったかというと、話し始めてすぐにお互いが「トリプルクラウナー」だと分かったからです!
アパラチアン・トレイル(約3,500km)、パシフィック・クレスト・トレイル(約4,260km)、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(約4,300~5,000km)。この3つをまとめて「アメリカ3大ロングトレイル」といい、全て踏破した人はトリプルクラウナーと呼ばれます。僕は2013年にトリプルクラウナーになりました。
アメリカのトレイルを歩いていて、アパラチアン、パシフィック・クレスト、コンチネンタル・ディバイドの、各トレイルを踏破した人に出会うことは珍しくありません。
でも、僕はこれまで一度もトリプルクラウナーに出会ったことがありません。だからなのか、僕がハイカーとしての経歴を話すと、「初めて会ったトリプルクラウナーだよ」などといわれ、中には記念写真を求めてくる人もいました。なぜか、アメリカでもトリプルクラウナーは珍しい存在なのです。
そして、話はC&O 運河トレイルに戻ります。僕に声をかけてきたバイカーの彼も、自分以外のトリプルクラウナーに会うのは初めてだそうです。僕がトリプルクラウナーだと知ると、彼は雄たけびを上げました。
「落ち着け」と思いつつ、でも、彼の気持ちも分からないでもないと思いました。僕も正直、トリプルクラウナーに出会えたことにテンションが上ったからです。
彼は2019年にコンチネンタル・ディバイド・トレイルを歩き終え、トリプルクラウナーになったそうです。ではなぜ、今は自転車に乗っているのかというと、年齢を重ねて長距離を歩くことが難しくなったからだそうです。それでも自然の中で過ごしたいからと、彼は自転車という手段を用いてトレイルを旅していると語ります。
やはり(元)ハイカーと話すと話が弾みます。ついさっきまで寒いとか登り道がキツいとかグチりながらドンヨリと歩いていたのに、気づけばそんなネガティブな気分は吹き飛んでいました。
そして、お互いのトレイルの無事を祈りつつ、何とも晴れがましい気持ちでバイカーの彼と別れたのでした。やっぱり、トレイルって素晴らしい!ですね。
この後もいろいろと不思議な出会いが続くのですが、この時点では知る由もなく、ひとまず良いペースで歩を進めるのでした。

トリプルクラウナー仲間の彼。名前を失念してしまいました。すみません。
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