
日本で唯一のプロハイカー・斉藤正史さんは、そんなシーニックトレイル全11ルートの踏破に挑戦中です。2024年9月から10月にかけては、アメリカ東部の「ポトマックヘリテージトレイル」と「ニューイングランドトレイル」に挑みました。斉藤さんによるアメリカのトレイルの最新レポート第21回をお届けします。
[ポトマックヘリテージトレイル編 その21]
トレイル出発から18日続いた登り道の終わり
前日、フロストバーグに到着し、トレイル・イン・ロッジング & キャンプグランドに宿泊。ここにはキャンプ場もあるのですが、吹きさらしで雨風が防げず、しかもトイレやシャワーのなどの設備から距離があって不便なため、バンクルームに泊まりました。
バンクルームを選んで正解。予報通り、その日の夕方から雨。翌日も午後から雨が降り、しかもダウンを着ても寒いほどの天候でした。なお、この日はゼロデイ(=トレイルを歩かない日。それまでの疲れをとったり、今後の準備・計画立案などを行います)。寒い中を歩かないで済んでほっとしました。
バンクルームからぼんやり外を見ると、隣に何やら建物がありました。
Thrasher Carriage Museum
ここは、1800年代後半から1900年代前半にかけての希少な馬車や関連道具を集めた「スラッシャー・キャリッジ・コレクション」の博物館。コレクションは幅広く、牛乳配達人のカート、葬儀用の霊柩車、 19世紀前半に有名だった鉄道王の一族・ヴァンダービルト家の豪華な馬車、テディ・ルーズベルト大統領の就任式用の馬車まであります。
様子をうかがってみると、なんと入場無料。現代の日本人には馬車なんて縁遠く、映画やテレビでしか見ることがありません。でも、実際に見るとなかなか興味深く、その機能美や品質の高さは現代の高級車にも共通するものを感じました。僕は高級車とも縁遠いですが…。


ゼロディを利用して、この先の予定をもう一度見直しました。すでに帰りの飛行機の便が決まっているので、これから先も順調に歩いていけば、どこかでもう1日、ゼロデイにする必要があります。
ただ、この先のニューイングランド・トレイルの沿線は高い宿が目白押しなので、ゼロデイを取ると予算的にキツくなります。だからといって、その手前のLAUREL HIGHLAND HIKINGトレイル(LHHトレイルトレイル)は、山の中なのでゼロデイにするのが難しい…。
そうなると、今いるフロストバーグから、トレイルが分岐するオハイオパイルの間で取るしかありません。
オハイオパイルにある宿泊施設はかなり高額で、宿泊費を抑えようとすると電気のないキャンプ場しかありません。当初は電気のないキャンプ場で2泊し、各種機器に使う充電池を極限まで節約する無謀な計画を立てていました。
でも、あまりにも現実的ではないと考え、困った僕はフロストバーグに来る前、GAPトレイルを歩き始めた時点で安い宿がないか、ネットのコミュニティに書き込みをしてみました。
すると、オハイオパイルの手前のコンフルエンスという街にキャンプ場があり、しかも現在はシーズンオフなので無料で使えるそうです。
それでいて、電気も水もあるという情報でした。ここでゼロデイを取れば、オハイオパイルまで14マイル(約22.4km)で、LHHトレイルトレイルの最初のシェルターまで歩くとしても合計19マイル(約30.4km)の距離です。しかも、そこから先は当初の予約通りのシェルターに泊まって進めるので、大きな変更も必要ありません。
●当初の計画:コンフルエンス1泊→オハイオパイル2泊→シェルター4泊
◯変更後の計画:コンフルエンス2泊→シェルター5泊
この計画変更によって、宿泊費もかなり節約できます。急いで、ペンシルバニア州立公園のキャンプ場予約サイトにアクセスして検索します。5つあるシェルターのうち1つだけ空いていたので、速攻で予約しました。
それにしても、今日はゼロデイなので、いったんトレイルのことを忘れてのんびり過ごし、リフレッシュすべき1日です。でも、僕はゼロディでも、毎回これまでの道のりを振り返り、これからの計画を見直し、「ああでもない、こうでもない」とトレイルのことを考え続けてしまいます。
ふと自分を客観視し、休日も仕事のことを忘れられない日本人らしいなと苦笑してしまいました。
ゼロデイの翌日の予報は雨。朝、宿泊地を出発し、歩き始めて1時間ぐらいは曇っていたのですが、結局は徐々に雨粒が落ちてきました。すでにシーズンオフなので、ハイカーやバイカーの姿もほとんどありません。
The Potomac Heritage Trail : MILE205 | Mason-Dixon Line
フロストバーグを出発して間もなく、メイソン・ディクソン・ラインが見えてきました。メイソン・ディクソン・ラインは、ペンシルバニア州とメリーランド州の境界を示しています。このライン、米国北部と南部の境界線でもあるそうです。
この境界線をめぐり、その昔、ウィリアム・ペン(ペンシルベニアの創設者)の家族とチャールズ・カルバート(メリーランドの所有者)の子孫の間で争いがありました。
そして、1763年から1767年にかけてイギリスの天文学者チャールズ・メイソンと測量士ジェレマイア・ディクソンによってメイソン・ディクソン・ラインが決められ、紛争が解決しました。メイソンとディクソンは、5マイルごとにペン家とカルバート家の家紋が刻まれた笠石(かさいし:石や煉瓦れんが積みの塀や手すりの上部に載せる石)を置いて測量を行ったそうです。
メイソン・ディクソン・ラインを越えると、いよいよペンシルバニア州に入ります。



The Potomac Heritage Trail : MILE208.5 | Eastern Continental Divide
イースタン・コンチネンタル・ディバイド(東部大陸分水嶺)は、ピッツバーグからワシントン D.C. まで、つまり僕が歩いているGAPトレイル・C&O運河トレイルの中でもっとも高い場所にあり、海抜 2,392フィート(約729m)。チェサピーク湾とミシシッピ川の流域を分ける水路分水嶺になります。この分水嶺は、ニューヨーク州西部からフロリダ州まで続くそうです。
トレイルがイースタン・コンチネンタル・ディバイドにかかる場所にトンネルがあり、その入り口にウェスタン・メリーランド鉄道とピッツバーグ・アンド・レイク・エリー鉄道が描かれていました。この日はずっと雨が降っていたので、少しだけトンネルで雨宿りします。
vol.19で出会ったスティーブンがいっていたとおり、ピッツバーグをスタートするバイカーにとっての登り道がここで終わります。それは、ワシントンDCから歩いてきた僕にとっても、ここが登りの終わりであることを意味します。
トレイルを出発して18日。ずっと続いていた登りがようやく終わったのでした。ここからLHHトレイルのルートと分岐するオハイオパイルまでは、ずっと下りです。ほんの少しですが、気持ちが軽くなるのを感じました。


The Potomac Heritage Trail : MILE216.4 | Meyersdale
かつて、マイヤーズデールの主な産業は石炭の採掘で、鉄道によって石炭を搬出していました。現在のマイヤーズデールはメープル・シロップ生産の中心地として知られています。
街の周囲数マイルにわたって、裏庭や農場、森林にシロップの樽が並んでいます。毎年 3月には、2週間ほど「ペンシルベニア・メープル・フェスティバル」も開催されるそうです。
マイヤーズデールに到着すると、かつての駅がミュージアムになっていました。バイカーやハイカーは、水の補給やトイレに利用が出来るようになっています。駅の隣には、石炭の搬送に使われたものか、当時の鉄道車両も設置されていました。

雨が続くと体力を奪われるし、気も沈みます。やんでほしい…という願いが通じたのか、マイヤーズデルに到着する2時間ぐらい前から晴れ間も出始めました。
ほっとして、マイヤーズデルの宿泊料の安いキャンプ場へ。シーズンオフで管理人がいないので、隣接するレストランで手続きをします。宿も経営しているようでしたが、80ドルと高額でした。
キャンプ場に行くと「ペンシルベニア・メープル・フェスティバル」のステージがあり、1人のバイカーが屋根付き(!)のステージ上にテントを張っていました。もう一張分の余裕もあったので、僕も速攻でテントを張りました。これで少しぐらいの雨も朝露も怖くありません。
それにしても、どんどん季節が進んでいるようで、ダウンを着ていても寒くて仕方ありません。トレイルを歩き終えるまであと半月。これ以上気温が下がるようだと、防寒用の装備を買い足さなくてはなりません。何とか現状の装備やウェアでトレイルを終えられるように祈るのでした。
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※vol.19〜21で紹介したトレイルの様子は、下記の動画でもご覧いただけます。