2018年秋、高知県の鍛冶屋「トヨクニ」へ取材に行った。
事前にトヨクニの所在地を調べてみると「南国市亀岩」とある。「亀岩」の文字を見て驚いた。ちょうど別の仕事で伊能忠敬の作った地図を調べていたのだが、伊能の測量隊は文化5(1808)年5月2日(旧暦)に「亀岩村」を歩いている。なんという偶然だろう。その亀岩に行けるのだ。
南国市にある高知空港でカーナビに住所を入れて車を走らせると、30分ほどで領石川沿いの山道に入る。亀岩の集落に近づいてもカーナビの案内は止まることなく、集落からはずれた川沿いの高台でようやく案内は止まった。そこはまさに伊能の歩いた古道の途中といえる場所だった。
伊能の歩いた古道についてちょっと説明しておくと、亀岩村の先は穴内村、本山村、立川(たじかわ)村を過ぎて標高約1000mの笹ヶ峰峠を越えて、伊予(愛媛県)の馬立村から瀬戸内海の川之江に達する。この道は、北山越え(土佐北街道)と呼ばれる土佐藩主の参勤交代道であり、坂本龍馬も歩いたといわれているが、国道や鉄道、高速道路が通じるいまとなっては利用者は少ない。少ないどころか、穴内村に至る道の一部は現在の2万5000分の1地形図にも記載されておらず(いつかこの道を歩いてみたい ※1)、伊能隊が泊まった穴内村の集落の位置には現在は穴内ダムが大きく横たわっている(集落はどこかに移転したのだろうか)。
ひょっとして、トヨクニは伊能の時代からここでトンテンカントンテンカンと刃物を打っていたのではないか? 伊能がトヨクニで道を尋ねていたりして…と想像がふくらむ(実際は伊能本人は高知のほうに向かったので、この道を歩いたのは分隊ではあるが…)。
トヨクニの濱口誠(せい)さんに、ひととおり刃物作りについて取材したあと、いつからこの地で鍛冶をしているか聞いてみた。
「ここへ来たのは35年前くらいかな」
ちょっと拍子抜けする答えだったが、くわしく聞いてみると、とても興味深い話だった。トヨクニはもともと高知市内の秦泉寺(じんぜんじ)というところで刃物を作っていた。秦泉寺にはほかにも鍛冶屋がいて、一種の鍛冶屋村を形成していたらしい。土佐は日本有数の刃物の産地、とくに農山林業の刃物で有名だった。しかし、宅地化が進むにつれて騒音が公害問題となって鍛冶屋は移転していった(※2)。
私(筆者)は、小学生高学年の頃に高知駅の北側の愛宕町というところに住んでいたが、秦泉寺といえば久万川という川をはさんだ対岸である。そんな近くで鍛冶が行なわれていたとは知らなかった(小学生だから知らなくて当たり前か…)。
▲トヨクニは昭和21年創業。刃物を打つのは四代目の濱口誠(せい)さん。
高度成長期までは国産木材で住宅が建てられたため、日本各地で林業が盛んで土佐の鉈や鎌はよく売れた。が、林業がふるわなくなると売れなくなる。トヨクニは林業向け製品にとどまらず、アウトドアユーザーに向けたナイフを作るようになって、いまに至る。トヨクニのホームページを見るとわかるが、すべて1点ものなのか、と思うくらい商品のバリエーションが多い。伝統的な土佐打ち刃物の手法を守りつつ、3Dプリンターを導入して試作品を作るなどハイテク化も進んでいる。
さて、今回紹介する「槌目磨6寸剣鉈」も現代的な鉈といえる。刃はダマスカスを15層重ねたもの。ダマスカスは重ねることによって独特の美しい縞模様が出る。この模様ゆえにダマスカスは最近とても人気だが、この鉈は表面に磨きをかけて、なおかつ槌目をほどこすことによってユニークな質感に仕上げている。ビーパル向けの限定モデルである。
▲しっかりと磨いて美しい槌目磨に仕上げた。
▲柄の材質は桜。軽さと丈夫さを兼ね備えている。指を守るつばは真鍮製で、ゴールドに光り輝く。一般的な鉈にはつばがないことが多いが、安全のためにとり付けた。従来の形にこだわらず、現在のユーザーに合わせて柔軟に工夫するのがトヨクニらしさといえる。
▲剣鉈は先端が尖っているので、料理にも使うことができる。鉈なら固いカボチャもこの通り難なく割れる。
▲革ケースは、柄をスナップボタンで固定できる。裏側にはベルトループが付く。木製ケースに比べてスマートなので、ベルトに通したときも邪魔にならない。
(※1)伊能の歩いた北山越えの道については、『伊能図探検 伝説の古地図を200倍楽しむ』(河出書房新社)という本で見ることができます。伊能はよく知られているように日本中を測量して、初めて正確な日本全国地図を作った測量家。
(※2)トヨクニについては、全国の鍛冶屋をルポした良書(他に類書が見当たらない唯一無二の存在)『ニッポン鍛冶屋カタログ 野の匠の知恵と技を手に入れる』(かくまつとむ著、小学館 ショトルライブラリー)にも取りあげられています。