テント生活と寒さに慣れるため、スキー場から30分ほど歩いたところに張っていたテント。満月の夜、一人で山を歩くのに心が躍ったのを覚えている。
前回までの2回は、タイムラプスという動画を見ていただいた。
https://www.bepal.net/trip/overseas/55407
https://www.bepal.net/trip/overseas/56023
アラスカに流れている時間や、その土地の気配のようなものを味わって欲しかったからだ。
今回からはガラッと雰囲気を変え、アラスカ遠征を始めた頃、2015年まで遡って話をしてみたい。
アラスカ遠征の予算と体力を蓄える日々
手付かずの大自然と、そこに生きるものたちの姿を伝える。という想いを数年にわたって固めに固めた私は、2015年6月に1度目のアラスカ遠征開始を予定した。その準備を始めたのはその年の1月。その頃はまだ「毎年3~4ヶ月の遠征を行なえば、数年でいくつかのパターンの写真展を企画できるところまでもっていけるはずだ。一度の遠征の費用は150~200万ほど。少なくとも3年は撮影だけにフォーカスできるようなライフスタイルを組み立てないと。そのあと小規模な展示から発信活動を始めよう」などとドンブリ勘定をしており、そして私にはそれができるだろうという確信めいた感覚も持ってしまっていた。
長年の計画で挑む写真活動である。焦ってもいけないが、手を抜いてもいられない。特に体力と予算は早い段階からうまくマネージしないといけない、という思いが私の中で重心を据えていた。季節は冬だったので冬山でのトレーニングを開始し、街にいる間は装備や機材の提供や、あわよくば、と融資のお願いにも駆け回った。展示どころかまだ遠征にすら行っていない、いわば実態のない状態で装備提供やスポンサーをお願いして回るもので、怪しまれることも多かった。しかし決して安くはないアウトドアの装備やカメラ機材をいちいち自分で購入している余裕はないので、スポンサーを見つけることは必須だと思っていた。お金も稼げて一石二鳥だ、とばかりにスキー場でバイトをお願いし、山にテントを張ってそこから通勤し、スキー場が終わるとテントに戻る、なんてこともした。そこでも随分と人を訝しがらせたが、体力作りに加え、テントライフや寒さに慣れないと、という思いの方が強く、怪しまれたくないとか辛いとか寒いとか言ってやめられることではなかった。
1度撮影に出たら3~4ヶ月は戻らない。長期間家を開けることに対して以前からある作戦を考えていたのだが、あの作戦は果たしてうまくいくだろうか、なんてことを考えながら寝袋で眠る日々を送っていると、毎日はあっという間に過ぎていった。
本もかなりの量読み漁った。すっかり忘れてしまったものも多いが、フィールドに関することも哲学的なことも、大事なことを本から学ぶことは今でも多い。
私の住む安曇野も、少しずつ春に近づいていた。
プロフィール
佐藤大史
東京都町田市出身。長野県安曇野市在住。日本大学芸術学部写真学科卒業。卒業後、写真家白川義員の助手を務め、2013年独立。
「地球を感じてもらう」ことをコンセプトに、アラスカなどの手つかずの大自然と、そこに生きる生き物たちを撮影している。