役小角は「動く人」たちの理想像
金剛山山頂をご神体とする葛木神社から歩いて15分ほど。昨日はモヤにおおわれていた国見城址(展望広場)へ向かいました。
今は「国見城址」として一般的には知られていますが、元々は転法輪寺(てんぽうりんじ)の塔頭(たっちゅう)『実相院(じっそういん)』があったところで、あの名将・楠木正成(くすのきまさしげ)も参篭されていた場所なんだそうですよ。
――楠木正成。
やっぱりこの名前を口にしてしまいました。この地域を歩いていて、彼の名前を口にしないのは、あまりにも無理があります。そりゃもう『太平記』の舞台ど真ん中ですもの。しかし、私は我慢していました。今回追いかけているのは、あくまでも役小角(えんのおづぬ)。楠木正成にはあえて触れないように、断腸の思いで「はしょって」歩いてきたんです。でも、ほんとはね。ものすごい好きなんですよ……!
正成はとても有名ですが、実は諸説あって、その出自は確定されていません。門外漢の私にはとんとわかりませんが、ただ事実として明確なのは、「金剛山という、古来資源に恵まれ、『動く人』たちが集う重要な聖地だった場所を基盤にした(できた)人物だった」ということではないでしょうか。
ここでいう「動く人」とは、山師、猟(漁)師、運送業者といった山や海に暮らす人たち、職人や商業者、芸能者といった人たちのことです。彼らは技能でもって生活の糧を得ていました。そういう意味では、武芸で生計を得る武人というのも「動く人」と言えるかもしれません。楠木正成は、中世のそんな人たちを代表するような人物なんじゃないかと思います。
修験道は、そんな「動く人」が重要な担い手でした。「役小角」は、動く人たちにとって、仲間であり、同族であり、誇るべき先祖であり、そして憧れてやまない理想の姿だったのではないかと思うのです。その役小角が修行したと伝わるのが、この金剛山。そしてこれからお詣りする「転法輪寺(てんぽうりんじ)」は、その役小角が開いたとされる重要なお寺なのです。
ついに憧れの転法輪寺へ!
「あ、そうか。私も『動く人』なんだ」
私は、彼方に広がる空と海の境のあわいを見ながら、ふと思いました。フリーライターはまさに「動く人」。私が修験道に惹かれてしまうのも、そこらへんが関係しているのかもしれないな……。そんなことを考えながら、いよいよ憧れの転法輪寺へと向かいます。
入り口から境内を見渡すと、正面には不動明王(ふどうみょうおう)像と、お護摩を厳修(ごんしゅう)する護摩壇があり、その先に階段、そして階段上には本堂が見えます。
「不動明王」は、密教や修験道で最も重要な仏「大日如来(だいにちにょらい)」が、人々を導くために、恐ろしい顔かたちに変身した姿とされており、密教や修験に関係する多くの寺社で、この不動明王が祀られています。そして境内の右手にある、やや小ぶりなお堂は、行者堂です。転法輪寺を開いた役小角(役行者)を祀っています。
行者堂脇には、説明板があります。こちらでぜひ注目していただきたいのは「御宝号(ごほうごう)」と「御真言(ごしんごん)」です。
「御宝号」には、「南無神変大菩薩(なむ じんべんだいぼさつ)」、「御真言」には、「おん ぎゃくぎゃく えんのううばそく あらんぎゃ そわか」とありますね。「南無」は、「~に帰依します」という意味。ですから、「南無神変大菩薩」は、「神変大菩薩(役小角)に帰依します」という意味です。
そして「御真言」ですが、これは「真実の言葉」という意味で、言葉・音そのものに神秘的な力があると考えられるものです。尊格ごとに異なる真言があり、役小角の真言は上記になるというわけです。真言は音を発することに意味があるそうですから、思い切って声を出して唱えてみましょう。
異形のほとけ「法起大菩薩」に出会う
本堂に入って視線をあげると、私は思わず「あう!」と声を挙げてしまいました。
目の前に現れたのは、三体の仏像です。両脇の蔵王権現(ざおうごんげん)像と不動明王像は修験に関わりの深いほとけですからお馴染みです。しかし正面の仏像は、初めて見るお姿です。1つの顔に5つの眼、そして6本の腕。髪は怒髪(逆立った髪型)で、口元には2本の牙がのぞいています。このお像こそ、ご本尊の「法起大菩薩」。実はこのほとけ、金剛山の周囲にしかいらっしゃらない、とても珍しいほとけなのです。私は言葉を失って見惚れてしまいました。どれほどそんなふうに見つめてしまっていたかわかりません。ふと我に返って、側に掲げられている御真言を慌てて唱えます。
実は、転法輪寺は、明治の神仏分離令で、葛木神社のみ残されて廃寺とされてしまい、戦後に復興されたという歴史があります。先代ご住職、当代の葛城光龍師、真言宗醍醐派の皆さん、そして地元の講の皆さんが一丸となり、失われそうになっていた修験道の魂を、ひとつずつ復興してこられたのです。このお像も文献を調査し、周辺のお寺に残る像容を参考に、復刻されたんだそうです。
それにしてもなぜこのお姿なんでしょう。まるで明王のようにコワい表情ですが、不思議とコワくない。そして距離が近いような、あたたかいような気がする……これは一体何なんだろう? 私は、そんなことを思いながら、合掌して深く頭を垂れました。そして、フワフワとした不思議な心持ちのままロープウェイで下山しました。
帰宅すると荷物もそのままに、資料をひっくり返して調べてみました。すると「法起菩薩」は、『華厳経(けごんきょう)』という経典に登場する菩薩で、金剛山は法起菩薩の浄土と考えられること。そして役行者の前に出現したほとけとも、あるいは、役行者の本地(本体)、化身であるとも考えられていることがわかりました。しかし、やはりどうしてこの姿なのかは、わかりません。私は意を決して、ご住職の葛城光龍師に、電話で伺ってみました。
「5つの眼に6本の腕がありましたでしょう。密教では世界を構成する元素を『五大』――地・水・火・風・空の5つと考えるんですが、そのことをこの5眼があらわしている。そして『六根(ろっこん)』という言葉がありますが、人に迷いを起こさせるもとになる6つの器官――目・耳・鼻・舌・身(皮膚)・意(心)を言います。法起大菩薩のお姿には、そんな大切な教えがあらわされています。つまり、このお姿が、教えなんですね」
ちょっと複雑なお話になりますが、密教は、修験道においても大切な「核」ともいうべき教えなんですね。その中でも重要な、「五大」と「六根」という教え(概念)が、一目見ればわかるようにあらわされていると……。つまり、ここでいう「五大」とは、「金剛山」という宇宙を、「六根」はそこに生きる人(生きもの)を意味しているのかな?と、私はふと思いました。そしてその全体を包括しているのが、あの「法起大菩薩」だということなのでは?!
役小角が金剛山山頂で出会ったほとけが、法起大菩薩だったということが、この場所の属性を説明してくれている気がします。偉大な存在でありながら、私のように呆然とたたずむ小さな人間をもそのまま受容してくれるような、厳しくも優しいほとけ。それは、役小角が金剛山という場所に感じていたイメージそのものだったのではないか――。そしてそのほとけを、後世の人々が、尊敬してやまない「役小角」その人の印象にも重ねて、同体として崇敬した。そういうことなんじゃないでしょうか。
実は、葛城師のご厚意に甘えて、このほかにもたくさん質問をしてしまいました。実際の修行はどんなことをされているのか。山伏の皆さんは、どんな方々なのか。私のような一般人でも、同行させていただける修行はあるのか――。そんなしつこい私に、葛城師は優しく言ってくださいました。武藤さんも、よかったら参加してみますか?と。
「いいい、いきます~~っ!!!」。思わず立ち上がって叫びました。「スケジュールが合うなら、でね」とたしなめる葛城師に、「合うもなにも、合わせます!」とさらに叫ぶ私。そしていろいろご相談した結果、参加させていただくことになりそうなのです!
役小角の気配を探して大和葛城山から金剛山を巡る旅は、今回でいったん終了します。しかし、葛城師の有り難いお言葉により、俄然やる気の私です。何はともあれ、再び金剛山を訪ねると、心に決めました。本連載で、その折のことはご報告させていただきたいと思います。ぜひお楽しみに!
(次回は、常陸国へと場所を移し、パワースポットとしても話題沸騰中という御岩神社を、文化系アウトドア旅する予定です!)
★共著で書き下ろした『今を生きるための密教』(天夢人刊)が12月17日に刊行されました!ぜひお手に取ってみてください。よろしくお願いいたします~!